RECORD
Eno.118 Dr.ブックエンドの記録
夜間警備、もしくは土掘り 「その1」
遠い異世界、クヴァイが住む……不気味な世界の話さ。
始まりは定かでないが……。人々が初めて石に文字を刻み始めたのは、クヴァイが産まれた日から数十万年前のこと。その当時、どうやら大地には争いが無かったらしい。およそ75万年前の石に刻まれていたのは、日常の中で起こった喜びと驚き、それと儀式の作法。クヴァイは自分の手で過去の安らかな時間を発掘した時、胸の内側に暖かな優しさを感じる。そしてその晩だけは、意識を手放すような眠りに近づくことが出来る。
――
事前に言った通り、話はとても長くなるよ。ええとまず……。
12万年前、尊大なる"美麗人"が記録に現れ始める。美麗人については当然、知っているね?今ではこの大地のほぼ全ての人が美麗人の血を引く。彼らの血は、間違いなく大地を制覇したんだ。それが7万年前。
5万年の間に美麗人達は世界を支配した。当時のどの人種よりも攻撃的だった彼らは、自分達の外見こそが至高の美であり他の種族は醜い者であるという思想の元で団結していた。美麗人の特徴といえば色白で細く、抽象的な至高が出来ること。彼ら美麗人は、支配して服従させた種族に対して積極的に美麗人の血を混ぜていった。イブーク、トシャズィコ、ティンダロイ……、当時共存していただろう無数のアイデンティティを奪い、美麗人にした。
かくして今から7万年前、世界の血統を制覇した美麗人達は各地に国家を樹立していた。中でも大きな国家では、立派な宮殿と製紙・製本を伴う高度な記録技術が発明されていた……。クヴァイの恩師はね、この出来事を石に刻まれていた文字から解読したんだ。なぜかと言うと、当時のあらゆる記録は争いの中で焼かれてしまってもう残ってないからだ。支配と征服のため団結していた美麗人達は、征服する対象を失ったせいで団結できなくなった。やがて仲間同士の思想の違いとか外見やルーツの差とかを理由に争い始め、炎が全てを包んだ。当時の歴史のうち、残っている情報は全て、先見の明を持った一部の賢者によって刻まれた石板の記録だけなんだ。
さて話は次だな、クヴァイは純血のアフィトーカだ。ええと、悪い、巻き舌の発音に慣れてないから正しいかは分からないが……つまりそういう音の名を持つ人種だ。アフィトーカの特徴はクヴァイを見れば分かる。完全に白く染まった肌、脆弱な身体能力。髪と瞳の色は個人差がある。次は、こんな貧弱な生き物がなぜ絶滅しなかったのかについて話そう。
美麗人は自らの特徴を美とした。色白であるほど、そして細くしなやかであれば美しいと。だからアフィトーカ達は7万年より以前、世界に進出中の美麗人にとって、世界で唯一のコンプレックスになった。自分たちよりも繊細で美しい外見の人種がいる。美麗人はアフィトーカを絶滅させる派閥と血統に迎え入れる派閥に別れた。そちらの派閥も、アフィトーカに対して根源的な耐え難い嫉妬の念を胸の内に燃やしていた一方で、アフィトーカを絶滅させることが自分たちのコンプレックスに悪影響を与えることを予測していた。そこで妥協案として、長い年月を掛けて残存する純血アフィトーカを世界から追放する試みを遂行した。集められた純血のアフィトーカは山脈を5つ越えた先にある、世界の最果てに住むことを強制された。美麗人達も、純血のアフィトーカという存在を忘れ去ることで奇妙なことに、こうして世界でも特に弱々しい種族が屈強な美麗人の兵士に排除されることなく生きながらえた。面白いことに、この最果て周辺には歴史に関する石碑が大量に埋められている。戦乱を繰り返す美麗人が近寄らない唯一の場所に、未来への届け物がはるばる運ばれたのだろう。
今もアフィトーカの里は俗世から離れて原始的な民族として暮らしている。電気も紙も無くて、病気はシャーマンが精霊の力を借りて治すんだ。クヴァイは珍しい奴だよ。生まれて間もない時、クヴァンの家族は長男が重い病に罹った。シャーマンの薬草では治らず困っていたところを、偶然立ち寄った地質調査の一団がどうにかしたんだ。シャーマンはね、実はこっそり行商人の治癒薬をもらって長男を治したわけなんだが代金が払えなかった。そこで幼いクヴァイを代金代わりにするため……シャーマンはそのことをこう言った。「この子の骨が悪霊を引き寄せておるから、里から離さねばならん。しかし殺して埋めても悪霊がそこへ集まるだけだ。だから偶然のように里へ迷い込んできた者達は、赤子を外へと連れて行かせるよう、祖霊が遣わせたのだ!」このシャーマンはとんだ演者だったが、全ては上手く行った。
純血のアフィトーカが里の外へ出るのは数百年に何度あるかどうかだが、さておきクヴァンはこうして世にも珍しい生き物として競売に掛けられた。それから12歳くらいまでは色々なことがあった。教養を身に着けることが出来たのも、過程はどうであれ、結果としては悪くなかった。この時代、アフィトーカとか美麗人だとかは教科書の中での出来事であって、気にする人はもういない。みんな美麗人の血が混ざっている時代だからね。でも彼女は14歳で学院に居候していた時から、つばの広い帽子で目元に必ず影をつけるようにしていた。肌に近い色合いの襟を立てて頬を隠しているのもそう。外では新聞を読んで顔を隠すようにもした。やかましいほど純白の髪は、幸いよく見かける髪の色だったから、わざと伸ばして出来るだけ肌を隠すようにした。表立って人種差別を受けることは無かったが、時折空気がピリッとする事態になる。タブーだから声に出さないだけで、腹の中には残酷な言葉が控えているのがわかる。クヴァイは幸いにも恩師と友人に恵まれたから、こんな世界でもひどく歪むことは無かった。今回はそれ以外の細かい話はやめとこう。プライバシーがうるさい時代だ。ともあれ、学院の下働きをした後改めて入学して、木っ端ドクトルになった後は夜間警備で小遣いを稼ぎながらフィールドワークだか里帰りだかをしている。意外とスタミナはあるんだよ。
え?そうだな。Dr.ブックエンドってのは面白い名前だよ。自分のことを、掘り起こした石板が二度と埋まらないように支える本立てだと自称しているんだ。彼女は知的好奇心で石板を掘り起こしているんだが、外野はその行為を美麗人とアフィトーカの対立及び政治的な取引材料にするつもりだと邪推している。
だから、これら全ての話を先にする必要があったわけ。クヴァイはその生い立ちから、政治や人種の問題提起のために歴史的遺物を掘り起こしていると勘違いされやすいけど、実際は違う。途方もない大昔に過ぎ去った、穏やかな平和の時代に触れるのが好きなだけなんだ。
もしかして、まだ疑っている?心配性だね皆さん。おおかた今度やる「"美麗人"展 ~私達のルーツ~」にはDr.ブックエンドが掘り起こした陶片や石板がいくつか展示されるから、彼女の素性と危険性を確認したいって話だろう?せめて学芸員主体でやればいいものを、あんたらが一枚噛むとすぐ政党の駆け引きが……
始まりは定かでないが……。人々が初めて石に文字を刻み始めたのは、クヴァイが産まれた日から数十万年前のこと。その当時、どうやら大地には争いが無かったらしい。およそ75万年前の石に刻まれていたのは、日常の中で起こった喜びと驚き、それと儀式の作法。クヴァイは自分の手で過去の安らかな時間を発掘した時、胸の内側に暖かな優しさを感じる。そしてその晩だけは、意識を手放すような眠りに近づくことが出来る。
――
事前に言った通り、話はとても長くなるよ。ええとまず……。
12万年前、尊大なる"美麗人"が記録に現れ始める。美麗人については当然、知っているね?今ではこの大地のほぼ全ての人が美麗人の血を引く。彼らの血は、間違いなく大地を制覇したんだ。それが7万年前。
5万年の間に美麗人達は世界を支配した。当時のどの人種よりも攻撃的だった彼らは、自分達の外見こそが至高の美であり他の種族は醜い者であるという思想の元で団結していた。美麗人の特徴といえば色白で細く、抽象的な至高が出来ること。彼ら美麗人は、支配して服従させた種族に対して積極的に美麗人の血を混ぜていった。イブーク、トシャズィコ、ティンダロイ……、当時共存していただろう無数のアイデンティティを奪い、美麗人にした。
かくして今から7万年前、世界の血統を制覇した美麗人達は各地に国家を樹立していた。中でも大きな国家では、立派な宮殿と製紙・製本を伴う高度な記録技術が発明されていた……。クヴァイの恩師はね、この出来事を石に刻まれていた文字から解読したんだ。なぜかと言うと、当時のあらゆる記録は争いの中で焼かれてしまってもう残ってないからだ。支配と征服のため団結していた美麗人達は、征服する対象を失ったせいで団結できなくなった。やがて仲間同士の思想の違いとか外見やルーツの差とかを理由に争い始め、炎が全てを包んだ。当時の歴史のうち、残っている情報は全て、先見の明を持った一部の賢者によって刻まれた石板の記録だけなんだ。
さて話は次だな、クヴァイは純血のアフィトーカだ。ええと、悪い、巻き舌の発音に慣れてないから正しいかは分からないが……つまりそういう音の名を持つ人種だ。アフィトーカの特徴はクヴァイを見れば分かる。完全に白く染まった肌、脆弱な身体能力。髪と瞳の色は個人差がある。次は、こんな貧弱な生き物がなぜ絶滅しなかったのかについて話そう。
美麗人は自らの特徴を美とした。色白であるほど、そして細くしなやかであれば美しいと。だからアフィトーカ達は7万年より以前、世界に進出中の美麗人にとって、世界で唯一のコンプレックスになった。自分たちよりも繊細で美しい外見の人種がいる。美麗人はアフィトーカを絶滅させる派閥と血統に迎え入れる派閥に別れた。そちらの派閥も、アフィトーカに対して根源的な耐え難い嫉妬の念を胸の内に燃やしていた一方で、アフィトーカを絶滅させることが自分たちのコンプレックスに悪影響を与えることを予測していた。そこで妥協案として、長い年月を掛けて残存する純血アフィトーカを世界から追放する試みを遂行した。集められた純血のアフィトーカは山脈を5つ越えた先にある、世界の最果てに住むことを強制された。美麗人達も、純血のアフィトーカという存在を忘れ去ることで奇妙なことに、こうして世界でも特に弱々しい種族が屈強な美麗人の兵士に排除されることなく生きながらえた。面白いことに、この最果て周辺には歴史に関する石碑が大量に埋められている。戦乱を繰り返す美麗人が近寄らない唯一の場所に、未来への届け物がはるばる運ばれたのだろう。
今もアフィトーカの里は俗世から離れて原始的な民族として暮らしている。電気も紙も無くて、病気はシャーマンが精霊の力を借りて治すんだ。クヴァイは珍しい奴だよ。生まれて間もない時、クヴァンの家族は長男が重い病に罹った。シャーマンの薬草では治らず困っていたところを、偶然立ち寄った地質調査の一団がどうにかしたんだ。シャーマンはね、実はこっそり行商人の治癒薬をもらって長男を治したわけなんだが代金が払えなかった。そこで幼いクヴァイを代金代わりにするため……シャーマンはそのことをこう言った。「この子の骨が悪霊を引き寄せておるから、里から離さねばならん。しかし殺して埋めても悪霊がそこへ集まるだけだ。だから偶然のように里へ迷い込んできた者達は、赤子を外へと連れて行かせるよう、祖霊が遣わせたのだ!」このシャーマンはとんだ演者だったが、全ては上手く行った。
純血のアフィトーカが里の外へ出るのは数百年に何度あるかどうかだが、さておきクヴァンはこうして世にも珍しい生き物として競売に掛けられた。それから12歳くらいまでは色々なことがあった。教養を身に着けることが出来たのも、過程はどうであれ、結果としては悪くなかった。この時代、アフィトーカとか美麗人だとかは教科書の中での出来事であって、気にする人はもういない。みんな美麗人の血が混ざっている時代だからね。でも彼女は14歳で学院に居候していた時から、つばの広い帽子で目元に必ず影をつけるようにしていた。肌に近い色合いの襟を立てて頬を隠しているのもそう。外では新聞を読んで顔を隠すようにもした。やかましいほど純白の髪は、幸いよく見かける髪の色だったから、わざと伸ばして出来るだけ肌を隠すようにした。表立って人種差別を受けることは無かったが、時折空気がピリッとする事態になる。タブーだから声に出さないだけで、腹の中には残酷な言葉が控えているのがわかる。クヴァイは幸いにも恩師と友人に恵まれたから、こんな世界でもひどく歪むことは無かった。今回はそれ以外の細かい話はやめとこう。プライバシーがうるさい時代だ。ともあれ、学院の下働きをした後改めて入学して、木っ端ドクトルになった後は夜間警備で小遣いを稼ぎながらフィールドワークだか里帰りだかをしている。意外とスタミナはあるんだよ。
え?そうだな。Dr.ブックエンドってのは面白い名前だよ。自分のことを、掘り起こした石板が二度と埋まらないように支える本立てだと自称しているんだ。彼女は知的好奇心で石板を掘り起こしているんだが、外野はその行為を美麗人とアフィトーカの対立及び政治的な取引材料にするつもりだと邪推している。
だから、これら全ての話を先にする必要があったわけ。クヴァイはその生い立ちから、政治や人種の問題提起のために歴史的遺物を掘り起こしていると勘違いされやすいけど、実際は違う。途方もない大昔に過ぎ去った、穏やかな平和の時代に触れるのが好きなだけなんだ。
もしかして、まだ疑っている?心配性だね皆さん。おおかた今度やる「"美麗人"展 ~私達のルーツ~」にはDr.ブックエンドが掘り起こした陶片や石板がいくつか展示されるから、彼女の素性と危険性を確認したいって話だろう?せめて学芸員主体でやればいいものを、あんたらが一枚噛むとすぐ政党の駆け引きが……