RECORD
Eno.72 メルルの記録
長い、長い夢から目を覚ます。
泡沫がやわらかく弾けて、あたたかな非日常からひややかな非現実へと放り出される。

微睡みはなかった。ただ名残惜しそうな少女の呟きがあった。
さようなら、愉快で痛快なお祭り騒ぎ。ただいま、奇怪で不可解な世界の裏。
瞼を開き、いつのまにか横たわっていた体をベッドから起こす。
壁を見れば薄桃色の上に散りばめられた色とりどりの水玉模様。
床を見れば乾いた薄茶色と艶やかな黒色の格子柄。
弾力のある真っ白のソファに、滑らかな手触りの焦げ茶色のテーブル。
『童話』らしいお菓子の家。つまり私の家。あちらの世界に繋がっていた大穴からは離れていたはずだけど、親切に家まで帰してくれたらしい。

部屋の中で一人騒ぎ立てながらきょろきょろと見渡すと、案外すぐに見つかった。
これまで私がこつこつ作り上げてきたたくさんのぬいぐるみたち、それらを並べていた棚の空きスペースが埋まっていた。見間違うわけがない。間違いなく、私があの世界で手に入れたテディベアたち。

感極まった様子でテディベアたちを抱きしめると、私はふわりとスカートを膨らませながらその場でくるくると回り始めた。
無邪気に笑顔を浮かべながら、心の底から喜びを表現するように。
見ての通り、私は喜んでいる。
見ての通り、私は楽しんでいる。
見ての通り、私は笑っている。
見ての通り、私は

思い返す。あのお祭りで皆が一喜一憂し、けれど私がただ眺めることしかしなかったメインコンテンツ。
誰もが武器を手にして戦っていた。赴くままに思うがままに思い思いに痛みすら命すら軽視して度外視して死してなお挑み勇み勢い立ち、そして笑っていた。
私は戦わなかった。私は誰かを傷つけることを好まない少女だから。
私は死ななかった。私は痛いのが嫌いな少女だから。
それでもお祭りは楽しかったと私は思うだろう。
それでも、一度くらい、皆と肩を並べて戦うべきだったんじゃないかと私は私に問いかける。
戦いたくない少女ではなく、戦える少女なら、もっと楽しく、もっと賑やかに、もっと仲良くできたんじゃないかと問いかける。
ねえ私、今の私が私の理想なの?

少女は思い出を棚に並べ直し、童話の家から飛び出して行った。
◇

リセカイに帰ってきてから数日後、ふと思い立って私は都市部にやって来ていた。
私が蹴落とされてフェストリアに落っこちた真っ黒の孔。あれからしばらく経った今、あれがどうなっているのか確認するために。
するとどうだろうか。孔は以前よりも明らかに大きくなっていた。もう少しでも大きくなれば、近くの信号機や車までも落ちてしまいそうなほどに。
見れば見るほど奇妙な孔だった。
人為的に掘られたものでは当然なく、けれど自然にできたとも思えない。
だって、そこには何も無かった。全てを呑み込んでしまいそうなほどの虚無が広がっていた。一度落ちたら最後、二度と戻って来れないんじゃないかと思うほどに。

怒りが再燃したように、私は怨嗟の言葉を口にした。
たまたまか必然かは分からないけど、この孔は私を異世界へと落とした。でもアレは絶対なんの根拠もなく私を蹴り落とした。断言できる。何も分からないまま好奇心のままに私を犠牲にしようとした。許せねえ。
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孔の前に立ち尽くし、心の中で呪詛を垂れ流していた私にかけられた声。
聞き覚えのある少年の声に、そちらへと振り向いた。



私の反応が面白かったのか、少年はくつくつと笑うと観念したように両手を上げた。



少年は指を指した。
それはちょうど私の後ろ、道路のど真ん中に広がっている大孔に向けられていて、『探し人はそこにいる』とでもいうように。


呆れた声を上げる私の視界の端で、大孔にノイズが走った、気がした。
メルル・イン・アンダーランド
長い、長い夢から目を覚ます。
泡沫がやわらかく弾けて、あたたかな非日常からひややかな非現実へと放り出される。

「……あーあ、終わっちゃった」
微睡みはなかった。ただ名残惜しそうな少女の呟きがあった。
さようなら、愉快で痛快なお祭り騒ぎ。ただいま、奇怪で不可解な世界の裏。
瞼を開き、いつのまにか横たわっていた体をベッドから起こす。
壁を見れば薄桃色の上に散りばめられた色とりどりの水玉模様。
床を見れば乾いた薄茶色と艶やかな黒色の格子柄。
弾力のある真っ白のソファに、滑らかな手触りの焦げ茶色のテーブル。
『童話』らしいお菓子の家。つまり私の家。あちらの世界に繋がっていた大穴からは離れていたはずだけど、親切に家まで帰してくれたらしい。

「って、メルルさんが丹精込めてアレンジしたくまさんコレクションは!? フェイちゃんも持って帰れるって言って──あれ?」
部屋の中で一人騒ぎ立てながらきょろきょろと見渡すと、案外すぐに見つかった。
これまで私がこつこつ作り上げてきたたくさんのぬいぐるみたち、それらを並べていた棚の空きスペースが埋まっていた。見間違うわけがない。間違いなく、私があの世界で手に入れたテディベアたち。

「良かった〜〜! 落としてきちゃったかもって心配したんだから〜! メルル'sハウスにようこそくまさんたちー!」
感極まった様子でテディベアたちを抱きしめると、私はふわりとスカートを膨らませながらその場でくるくると回り始めた。
無邪気に笑顔を浮かべながら、心の底から喜びを表現するように。
見ての通り、私は喜んでいる。
見ての通り、私は楽しんでいる。
見ての通り、私は笑っている。
見ての通り、私は

思い返す。あのお祭りで皆が一喜一憂し、けれど私がただ眺めることしかしなかったメインコンテンツ。
誰もが武器を手にして戦っていた。赴くままに思うがままに思い思いに痛みすら命すら軽視して度外視して死してなお挑み勇み勢い立ち、そして笑っていた。
私は戦わなかった。私は誰かを傷つけることを好まない少女だから。
私は死ななかった。私は痛いのが嫌いな少女だから。
それでもお祭りは楽しかったと私は思うだろう。
それでも、一度くらい、皆と肩を並べて戦うべきだったんじゃないかと私は私に問いかける。
戦いたくない少女ではなく、戦える少女なら、もっと楽しく、もっと賑やかに、もっと仲良くできたんじゃないかと問いかける。
ねえ私、今の私が私の理想なの?

「よーっし、せっかくだし皆に自慢しちゃおーっと! ミクルちゃんに『問いかけ』の双子に……あと『間違い』にもお礼参りしないとね! 一発や二発じゃすませてやらないぞー!」
少女は思い出を棚に並べ直し、童話の家から飛び出して行った。
◇

「……なんか、私が落ちた時より大きくなってない?」
リセカイに帰ってきてから数日後、ふと思い立って私は都市部にやって来ていた。
私が蹴落とされてフェストリアに落っこちた真っ黒の孔。あれからしばらく経った今、あれがどうなっているのか確認するために。
するとどうだろうか。孔は以前よりも明らかに大きくなっていた。もう少しでも大きくなれば、近くの信号機や車までも落ちてしまいそうなほどに。
見れば見るほど奇妙な孔だった。
人為的に掘られたものでは当然なく、けれど自然にできたとも思えない。
だって、そこには何も無かった。全てを呑み込んでしまいそうなほどの虚無が広がっていた。一度落ちたら最後、二度と戻って来れないんじゃないかと思うほどに。

「……あー、思い出したらムカッとしてきた。今度見かけたら蹴落とし返してやるんだからあのバグ野郎め……」
怒りが再燃したように、私は怨嗟の言葉を口にした。
たまたまか必然かは分からないけど、この孔は私を異世界へと落とした。でもアレは絶対なんの根拠もなく私を蹴り落とした。断言できる。何も分からないまま好奇心のままに私を犠牲にしようとした。許せねえ。
「……『童話』? 珍しいね、こっちまで来るなんて」
孔の前に立ち尽くし、心の中で呪詛を垂れ流していた私にかけられた声。
聞き覚えのある少年の声に、そちらへと振り向いた。

「あれ? 『未練』? なんでこんなとこいるの? ここって学校からだいぶ離れてない?」

「それはこっちの台詞。君が森から出てくるなんて、明日はお菓子の飴でも降るのかな。それなら傘の準備をしておかないとね。怪我したくないし」

「えー外出するだけで飴あられならメルルさん毎日お外出たくなっちゃうかも……じゃなくって! はぐらかすの禁止!」
私の反応が面白かったのか、少年はくつくつと笑うと観念したように両手を上げた。

「ただの気分転換だよ。ちょっと外の空気が吸いたくて歩いてたらここに着いて……『間違い』に見つかった。本当に最悪。出会い頭に煽ってくんじゃねえよ……」

「へー……ねえ『未練』、良かったら『間違い』がどっち行ったか教えて欲しいなーって。三発、いや四発ぐらい仕返ししなくちゃいけないから」

「……君そんな好戦的だっけ? でも残念、しばらくは無理かな。運が良ければ永遠かもだけど」
少年は指を指した。
それはちょうど私の後ろ、道路のど真ん中に広がっている大孔に向けられていて、『探し人はそこにいる』とでもいうように。

「…………あいつ、自分で足滑らせて、勝手に落ちてった」

「………………えぇー」
呆れた声を上げる私の視界の端で、大孔にノイズが走った、気がした。