一本の弦
見知らぬ地に流れ着いた初日。
すっかりと夜も更けきった頃。
吟遊詩人は、拠点から離れた場所の岩場に腰かけて、
跡形もなく壊れてしまったライアーを眺めていた。
いや、正確に言うと、眺めてはいない。
目を開いてはいないのだから。
ただ手に取って、そこにある感触を感じていた。

「……不思議だな」
ぽつり、呟く。
あまりにも小さなその声は、
すぐに夜空に溶けて消えてしまったことだろう。
「(長年使ってきたはずなのに…
悲しいとか、そういうのが全然感じられないや。
…もしかしてそういう感情も、もう忘れてしまったのかな?)」
それなりに丁寧に手入れをして、
自分なりに大切にしていたはずだった。
見る者が見れば、『それはもうあなたの一部だ』なんて
言われるほどには、長い時を共にしているはずだった。
けれど、何かが違ったのだろう。
……心の何処かで、薄々感づいてはいたのだけれど。

「あぁ、やっぱりこれは…
元々のボクの“一番”ではなかったのだろうね…」
数百年前のとある日、暗い森の中で目を覚ました瞬間から。
『吟遊詩人だ』という意識はあるのに、楽器の一つも持っていなかった時から。
──ボクはずっと、“ボクではないボク”を生きているのだろう。