はじまりの0ページ ~ どうして此処に至ったか
いつからだっただろう、夜の闇が極彩色のネオンで彩られ始めたのは。
いつからだっただろう、かつては人と共に歩み続けた神々が、瞬きの内に姿を変える偶像に役目を取って代わられたのは。
人々から信仰と闇への恐怖が薄れはじめて幾年月。繰り返される人類の営みは、幻想と共に在った日々と何ら変わることもなく、今日という日常を紡ぎ続けている。
だがしかし、うつろう時の中で失われたモノもあれば、新たに産声を上げるモノもある。
それは時を越え、場所を変え、人と人との間でまことしやかに囁かれる噂話。
情報技術の発展と共に生まれた、広大な電子の海を漂う、他愛のない与太話。
曰く、「夜に一人で出歩くと、大きなマスクを着けた女から話しかけられて怖い思いをする」だとか。
曰く、「普段から利用しているはずのモノレールが知らない駅に止まることがあり、そこで降りてしまうと怖い目に遭う」だとか。
怖い、怖いと伝えられた現代の伝承たる都市伝説は、多くの人に知られ、語られ、尾ひれ背びれがつけられていくことで、徐々に徐々にと明確な姿を象っていく。
妖怪、物の怪、魑魅魍魎たる化生たちに、都市伝説。
人々によって語り継がれ、人々によって恐れられる。その在り方に、一体何の違いがあるのだろう。
——光あるところには、必ず影がある。
そうして生まれ、力を得た現代の怪異たちは、眠らない街に残る僅かな暗がりから、夜の恐怖を忘れた無防備な人間たちに向けて牙を剥く。
数百年の時を経て、今、現代に逢魔ヶ時が帰ってきた。
それは数多の次元に点在する内の一つ。急激な科学技術の発展により、近未来的な成長を遂げた世界。
遥か那由他の彼方に存在するであろう「日本」と呼ばれる国とよく似た歴史を辿り、かつては人と自然とが寄り添い、共に時を刻んでいた国、ヒノモト。
ここは、その首都である大都市ヤマトから遠く離れた地にある地方都市、ムサシ。
煌々と闇を照らす街灯と、視界を埋めつくすビル街のきらびやかなネオンの中で、それに負けないほどの鮮やかな赤紫が一つ。
すれ違う人の目を引く時代錯誤の鱗文様を身に纏い、毛並みの良い赤い尻尾を機嫌よく左右に揺らして夜の街を闊歩する少年、戌ヶ追・朔也がそこにいた。
「朔也さぁ、そうやって夜遊びすんのはいいんだけどよぉ……本来の目的も忘れんなよな。
お前の爺様からお小言食らうのは、おれも同じなんだぞ」

「だからってなぁ……」
自身のすぐ後ろをついて歩く狩衣姿の少年から出た言葉に、朔也はわざとらしく嘆息してみせる。


ふふん、と胸を張る朔也の言葉に、スエキチと呼ばれた少年は「そうかぁ? まあ、そう言われればそうなのかもな……?」と頭に疑問符を浮かべている。


そう不満げに語りかける朔也に、すれ違う人々は足を一瞬止めて振り返り、好奇の目を向けている。
「まあお前の気持ちはわかるけどよ、爺様も朔也のためを思ってやってんだろ?
むしろ、そこは感謝するところだと思うぜ」

「悪かったな、ちっちゃくて」
また一人、訝しむような視線を向けてくる大人とすれ違う。
口を尖らせながら先を行く朔也の代わりに、首だけで後ろを振り返ったスエキチが、ふと。
「というか、いいのか? さっきから。
すれ違う奴らがすごい目でお前のことを見てるぞ」

「おれはそういう意味で言ってるんじゃねえんだけどなぁ……」
困ったように頬を掻くスエキチへと振り返った朔也が「そんなの気にすんなよなー」と笑いかける。
スエキチの懸念は当然だった。朔也の言う通り、道を行き交う大人たちにはスエキチの姿が見えていないのだから。
ヒノモトから八百万の神に対する日々の感謝が失われて早数百年。
かつては共に農作業に勤しみ、田畑の成長を見守り、縁側で茶を啜っていた古き良き友人たちは、いつしか人々の前から姿を消した。
——いや、彼らは今も確かにそこにいる。いるのだが、時代が移り変わるにつれ、信じる心を失くした人間たちには見えなくなってしまった。
たとえ友人が何人かいなくなったところで、世界は、社会は、今日も明日も変わらずに回り続ける。
今を生きる人類にとっては、ただそれだけのことに過ぎなかった。
「……朔也も変わってるよなぁ」
ぽつりと、スエキチが独りごちる。
たとえば道端に朽ちかけた祠があったとして、それに関心を持つ者は、いったいどれだけいるのだろう。
ただ関心を持つだけではなく、なんとか元ある形に正そうと、自身の手が、服が、体が、汚れ傷つくことも厭わずに手を差し伸べられる者が、いったいどれだけいるのだろう。
戌ヶ追・朔也は、そういった者の内の一人である。
神職の家系故に、他とは違う、少しだけ特別な血を引いているという事情もある。
だがしかし、誰からも見えなくなってしまったはずの神々を見ることができるのは、他ならぬ朔也の人徳あってのことなのだろう。
少なくとも、スエキチはそう感じていた。

屈託なく笑いかけてくる朔也に、自然と漏れ出た呆れ笑い。
「まーたそうやって買い食いして。爺様に怒られても知らねえぞ」

それはまるで、気心の知れた友人同士のようなやり取り。
ヒノモトから失われたはずの人と神との絆は、今も確かに残っていた。
信仰と共に置き去りにされたはずの時間が帰ってきたような気がして、スエキチは思わず目を細める。
——そんな朔也と一緒だから、きっと、気が緩みきっていたのだろう。
不意に周囲から人の気配が消える。
本来であればすぐに気づけるはずの"それ"は、建物と建物の間、僅かな隙間に存在する仄暗い闇の中から二人を見つめていた。
「……!? 朔也、危ねえ!」
スエキチが警告を発したのとほぼ同時、伸びてきた黒い影が朔也の体を絡め取る。

「きっと爺様の言っていた怪異だ! 最近巷で話題になっている、"神隠し"の噂!」
——夜道を歩いている時、不自然な暗がりを見つけても近づいてはいけないよ。怖いおばけに手を引かれて、どこかへ連れて行かれてしまうから。
いつからか子どもたちの間で囁かれるようになった小さな噂は、ネットを通じて街中へと広がり、今や知る人ぞ知る怪談となった。
信じる心は力を齎す。かつて神々がそこに在ったように、人々に信じられた怪異もまた、ここに在る。
抵抗されるよりも速くに四肢の自由を奪った黒い影は、絡め取った朔也をそのまま闇の中へと引きずり込んでいく。
「朔也っ! ——くそっ、せめてダイキチ兄さんがいれば……!」
力を失い、ただそこに存在することしか出来ない小さな神格は、自身の無力さにただ歯噛みするしかなかった。
——どぷん、と音を立てて、身体が沈んでいく。
深い深い闇の中で、指先一つ動かすこともできないまま、意識が奪われていく。

不思議と恐怖は感じなかった。
まるで眠りに落ちる時のように、それは静かに、とても安らかで。

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薄れゆく意識の中で、鼻をかすめたのは潮の香り。
——そういえば、来週は友達と海へ遊びにいく約束をしてたっけ。
そんなことを考えながら、朔也はゆっくりと目を閉じた。
いつからだっただろう、かつては人と共に歩み続けた神々が、瞬きの内に姿を変える偶像に役目を取って代わられたのは。
人々から信仰と闇への恐怖が薄れはじめて幾年月。繰り返される人類の営みは、幻想と共に在った日々と何ら変わることもなく、今日という日常を紡ぎ続けている。
だがしかし、うつろう時の中で失われたモノもあれば、新たに産声を上げるモノもある。
それは時を越え、場所を変え、人と人との間でまことしやかに囁かれる噂話。
情報技術の発展と共に生まれた、広大な電子の海を漂う、他愛のない与太話。
曰く、「夜に一人で出歩くと、大きなマスクを着けた女から話しかけられて怖い思いをする」だとか。
曰く、「普段から利用しているはずのモノレールが知らない駅に止まることがあり、そこで降りてしまうと怖い目に遭う」だとか。
怖い、怖いと伝えられた現代の伝承たる都市伝説は、多くの人に知られ、語られ、尾ひれ背びれがつけられていくことで、徐々に徐々にと明確な姿を象っていく。
妖怪、物の怪、魑魅魍魎たる化生たちに、都市伝説。
人々によって語り継がれ、人々によって恐れられる。その在り方に、一体何の違いがあるのだろう。
——光あるところには、必ず影がある。
そうして生まれ、力を得た現代の怪異たちは、眠らない街に残る僅かな暗がりから、夜の恐怖を忘れた無防備な人間たちに向けて牙を剥く。
数百年の時を経て、今、現代に逢魔ヶ時が帰ってきた。
それは数多の次元に点在する内の一つ。急激な科学技術の発展により、近未来的な成長を遂げた世界。
遥か那由他の彼方に存在するであろう「日本」と呼ばれる国とよく似た歴史を辿り、かつては人と自然とが寄り添い、共に時を刻んでいた国、ヒノモト。
ここは、その首都である大都市ヤマトから遠く離れた地にある地方都市、ムサシ。
煌々と闇を照らす街灯と、視界を埋めつくすビル街のきらびやかなネオンの中で、それに負けないほどの鮮やかな赤紫が一つ。
すれ違う人の目を引く時代錯誤の鱗文様を身に纏い、毛並みの良い赤い尻尾を機嫌よく左右に揺らして夜の街を闊歩する少年、戌ヶ追・朔也がそこにいた。
「朔也さぁ、そうやって夜遊びすんのはいいんだけどよぉ……本来の目的も忘れんなよな。
お前の爺様からお小言食らうのは、おれも同じなんだぞ」

「わかってるってーの。っていうか、これもパトロールの一環なんだって、さっきから言ってるだろー!」
「だからってなぁ……」
自身のすぐ後ろをついて歩く狩衣姿の少年から出た言葉に、朔也はわざとらしく嘆息してみせる。

「ったく、わかってねーなー、スエキチは!
いいかー? たとえ遊びながらでも、こーやってオレが夜の街を見て回ってれば、怪異に襲われる人がいてもすぐ気づけるだろ?」

「つまり、オレはちゃんと役目を果たしてる! だからじーちゃんに怒られることもない!
これもれっきとした退魔師のおつとめなんだぜ!」
ふふん、と胸を張る朔也の言葉に、スエキチと呼ばれた少年は「そうかぁ? まあ、そう言われればそうなのかもな……?」と頭に疑問符を浮かべている。

「大体じーちゃんは人使いが荒いんだよなー。
朝ははえーし、学校行く前には神社の掃除手伝わされるし、夕方の門限も早けりゃ、夜は勉強に特訓、時々パトロールとかさ」

「オレだってもっと自由な時間が欲しいし、友達とも遊びたいのによー。スエキチだってそう思うだろー?」
そう不満げに語りかける朔也に、すれ違う人々は足を一瞬止めて振り返り、好奇の目を向けている。
「まあお前の気持ちはわかるけどよ、爺様も朔也のためを思ってやってんだろ?
むしろ、そこは感謝するところだと思うぜ」

「スエキチは考え方が古臭すぎるんだってーの!
見た目はオレよりちっちゃいくせに、変なところでお堅いしさー」
「悪かったな、ちっちゃくて」
また一人、訝しむような視線を向けてくる大人とすれ違う。
口を尖らせながら先を行く朔也の代わりに、首だけで後ろを振り返ったスエキチが、ふと。
「というか、いいのか? さっきから。
すれ違う奴らがすごい目でお前のことを見てるぞ」

「いーんだよ、そんなの。見えてねーやつらが悪いんだって」
「おれはそういう意味で言ってるんじゃねえんだけどなぁ……」
困ったように頬を掻くスエキチへと振り返った朔也が「そんなの気にすんなよなー」と笑いかける。
スエキチの懸念は当然だった。朔也の言う通り、道を行き交う大人たちにはスエキチの姿が見えていないのだから。
ヒノモトから八百万の神に対する日々の感謝が失われて早数百年。
かつては共に農作業に勤しみ、田畑の成長を見守り、縁側で茶を啜っていた古き良き友人たちは、いつしか人々の前から姿を消した。
——いや、彼らは今も確かにそこにいる。いるのだが、時代が移り変わるにつれ、信じる心を失くした人間たちには見えなくなってしまった。
たとえ友人が何人かいなくなったところで、世界は、社会は、今日も明日も変わらずに回り続ける。
今を生きる人類にとっては、ただそれだけのことに過ぎなかった。
「……朔也も変わってるよなぁ」
ぽつりと、スエキチが独りごちる。
たとえば道端に朽ちかけた祠があったとして、それに関心を持つ者は、いったいどれだけいるのだろう。
ただ関心を持つだけではなく、なんとか元ある形に正そうと、自身の手が、服が、体が、汚れ傷つくことも厭わずに手を差し伸べられる者が、いったいどれだけいるのだろう。
戌ヶ追・朔也は、そういった者の内の一人である。
神職の家系故に、他とは違う、少しだけ特別な血を引いているという事情もある。
だがしかし、誰からも見えなくなってしまったはずの神々を見ることができるのは、他ならぬ朔也の人徳あってのことなのだろう。
少なくとも、スエキチはそう感じていた。

「あ、コンビニみっけ! 唐揚げ売ってっかなー。
スエキチもなんか食うかー?」
屈託なく笑いかけてくる朔也に、自然と漏れ出た呆れ笑い。
「まーたそうやって買い食いして。爺様に怒られても知らねえぞ」

「スエキチがバラさなきゃ、ばれねーって!」
それはまるで、気心の知れた友人同士のようなやり取り。
ヒノモトから失われたはずの人と神との絆は、今も確かに残っていた。
信仰と共に置き去りにされたはずの時間が帰ってきたような気がして、スエキチは思わず目を細める。
——そんな朔也と一緒だから、きっと、気が緩みきっていたのだろう。
不意に周囲から人の気配が消える。
本来であればすぐに気づけるはずの"それ"は、建物と建物の間、僅かな隙間に存在する仄暗い闇の中から二人を見つめていた。
「……!? 朔也、危ねえ!」
スエキチが警告を発したのとほぼ同時、伸びてきた黒い影が朔也の体を絡め取る。

「うわっ、な、なんだこれ!?」
「きっと爺様の言っていた怪異だ! 最近巷で話題になっている、"神隠し"の噂!」
——夜道を歩いている時、不自然な暗がりを見つけても近づいてはいけないよ。怖いおばけに手を引かれて、どこかへ連れて行かれてしまうから。
いつからか子どもたちの間で囁かれるようになった小さな噂は、ネットを通じて街中へと広がり、今や知る人ぞ知る怪談となった。
信じる心は力を齎す。かつて神々がそこに在ったように、人々に信じられた怪異もまた、ここに在る。
抵抗されるよりも速くに四肢の自由を奪った黒い影は、絡め取った朔也をそのまま闇の中へと引きずり込んでいく。
「朔也っ! ——くそっ、せめてダイキチ兄さんがいれば……!」
力を失い、ただそこに存在することしか出来ない小さな神格は、自身の無力さにただ歯噛みするしかなかった。
——どぷん、と音を立てて、身体が沈んでいく。
深い深い闇の中で、指先一つ動かすこともできないまま、意識が奪われていく。

「油断したなー……。オレ、ここで死んじゃうのかなぁ……」
不思議と恐怖は感じなかった。
まるで眠りに落ちる時のように、それは静かに、とても安らかで。

「でも、まだ読んでないマンガもあるし、見たいアニメもあるんだよなー……。
それに、じーちゃんにもきっとどやされるし……」
「まだ、死にたくないなー……」
薄れゆく意識の中で、鼻をかすめたのは潮の香り。
——そういえば、来週は友達と海へ遊びにいく約束をしてたっけ。
そんなことを考えながら、朔也はゆっくりと目を閉じた。