Eno.91 シィリヤーレルの日記

【プロローグ 凍れる大地の翡翠姫】


【プロローグ 凍れる大地の翡翠姫】
  
  ◇  

 極北の地プルリタニア。
 短い夏のある日のこと、王宮の玉座の間にて。
 玉座に座る女王の前に、数人の男がかしずいていた。

「北の大陸では、大きな戦争があったとか」
「その戦争が、ようやく
 終結したようで御座いますよ、女王陛下」
「…………そう」

 玉座の上、頬杖をつきながら
 女王は静かに話を聞いている。
 北大陸の動向は、常に気に掛けていた。

 白い髪に翡翠の瞳、身に纏うは
 温度調節の魔法の込められた青緑のドレス。
 シィリヤーレル・プルリターニャ。
 この大地を治める若き女王だ。

「イグノシア王国の王も、戦争によって変わったのだとか」
「イグノシアはこのプルリタニアに最も近い隣国。
 なればこそ、女王陛下、
 挨拶に行かれては如何でしょうか」
「…………そうだね」

 頷く。
 イグノシアとプルリタニアは国交がある。
 これからも良い関係を築いていくならば。

「……分かった、行くよ。
 日程を決める。留守のことは
 君たちに任せても良いかい?」

「──くれぐれも、勝手なことはしないように」


 きらり、目を光らせた。
 会議はまだまだ続く……。

  ◇

 話し合いを終わらせて、訪問の日程を考えて、
 イグノシアに使者を送って。
 戻ってくるまでにはそれなりに掛かるから、
 日程は余裕を持って決めている。

 女王、シィリヤーレル・プルリターニャは
 部屋に、ひとり。さて、と思考する。

「…………イグノシア、ねぇ」

 プルリタニアは、北大陸と海を隔てている。
 海があるから簡単には渡れない中、
 北大陸最北端のイグノシアは、
 架け橋のような役割を担っていた。

 シィリヤーレルも過去に一度、
 イグノシアに渡ったことがある。
 その時のことを思い出していた。

「……アランウェン王、だったかな」

 記憶の彼方、その王は、
 品行方正であることで知られていたはずだ。
 イグノシアの賢王と慕われていたはずだ。
 けれど戦争によって代替わりしたということは、

「…………亡くなったんだよなぁ」

 あの優しい冬空の瞳を、覚えている。

 新王は誰だったか。
 確か名前はリアヌス。アランウェン王の弟だ。
 前にイグノシアへ訪れた時、自分が小さかった時、
 リアヌス王子には会えていなかったはず。

 どのような人物なのだろうな、想像しつつ……。

  ◇

 そして、今。シィリヤーレルは船の上。

 『南の地はここより暑いですから』と、
 氷の魔力秘めた宝石を持たされて。

 船に乗るなんていつぶりだろう。
 最後に乗ったのは7年前、自分が10歳の頃だったか。
 流れる水面を見つめていても、
 それで酔うことは無さそうだ。

 水面、ぼんやり、眺めていたら

──水音。

 ぼちゃん。何か落ちた?  物か? 人か?
 シィリヤーレルが思わず身を乗り出した、時。

 どん  背に 衝撃

「あ」

 スローモーション。
 反転させた身で、見たのは。

「さようなら、陛下」

 嗤う従者の、歪な瞳。
 そうか、悟ってしまった。
 彼らは最初から、僕を消そうと。

 水に落ちる。冷たさが肌を刺す。
 渡された氷の魔晶石が、さらに体温を奪う。
 藻掻く。誰も助けてくれない。
 水を飲む。苦しい。視界が水にぼやける。

──嫌だ。

 手を伸ばすのに、身体は水の底へ、底へ。
 どうしようもない重力に、引き摺られて。

──嫌だ。

 こんなところで死にたくない。
 僕の人生は、これまでは、何だったの?
 こんなところで、裏切られて、消えるようなものじゃ。

──嫌だッ!!!!!

 がぶり。海水を飲む。ごぼり。空気を吐く。
 民は。部下は。信じちゃ。ダメだった。
 分かってたのに、油断した。
 そして僕は、命を奪われるのか。

 歪む。意識。海の中に、溶けていく。
 嗤う声。もう聞こえない。
 広がる。諦念。だけど。やっぱり。ぼく は、
 しに た く な ──

 これを思うのも、二度目か。

  ◇

「女王陛下が、イグノシアへの訪問の際に
 不慮の事故で命を落とされたようです」
「となると、次の王を決めねばなりますまいな」
「プルリタニアは簒奪王家、
 誰がプルリターニャを名乗ったところで、
 まぁ何も問題はないでしょうな! はっはっは!」

 船の上。
 貴族たちが、嗤っていた。
 聡く厄介な女王は消した。
 さぁ、次は我々の天下だ!

「……して、誰が、次の王に?」
「勿論、この私に決まっているであろう」
「この俺を忘れたとは言うまいな?」
「は? 僕以外が王になるとか、有り得ないんだけど?」
「あらまぁ、わたくしを忘れておいでですの?」

 船の上、貴族たちが、睨み合う。
 武器が取り出されるのも時間の問題?
 次の王の座を賭けて、争いが巻き起ころうとしていた。

【To be continued……】