Eno.691 明日の分霊の日記

無理

親しさも、温情も、悲しみも、慈悲も、遺されたものですら、愛なのに。


天才が二人して見逃した。それがこのザマだ


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珈琲豆をプレス機に入れて、丁寧に蒸らす。
ひと一人の存在を失って尚、青年達はいつもと変わらぬ日々を送っていた。
朝ごはんを用意して、家事をして、昼ごはんを食べさせて、研究をして、夜ご飯を食べる。
日の光が着いて消える日々は変わらない。
予定は未定だ。当然コロコロ変わっていく。
しかし変わる様すらも笑ってしまうほどいつも通りで。

強いて言うなら、明日に息子は現れなかった。そのくらい。

しかしそれは青年にとって理想通りの結末だったし、消してしまったものはもう直せないのだから問題ない。
昼ごはんはスコーンとミルク。
『別にコーヒーアレルギーという訳では無いんだ。つまり飲み続ければいつか飲めるようになる。そうだろう?』
とかのたまう先生がうっかり飲んじゃわないように、使った豆は閉まっておく。
薄いコロンビアの深みで喉を満たす。
ああ、いつも通りだった。
窓の外、みずみずしく広がる空は偽物だけど、青年にとってこれが一番綺麗な空だった。汗水と引替えた爽やかな祝福だった。




「ここに、俺の親父が居るって聞いたんだけど。」



女が存在した事実を消せば、当然そこから産まれてくる子供だって消える。そうだと記憶していたし、実際その挙動が逸れたことは無かった。
日を遠く置いて、息子は現れた。
どうして、なんで。消したはず、徹底的に、一糸のほつれもなく、例外もなく、全部全部消し去ったはず


天才せんせいは、微笑んでいる。


「ひとみ、ようこそ我が家へ。とりあえずなんか飲む?」
「いらね」


どうして。
​───────その時青年は知りえなかったが、先生は息子に特殊な守りを刻んでいた。
子を守るのは親の仕事。産ませたのなら、最後まで責任をもって育てる事。
それが出来ないのなら、妻への協力を惜しまないこと。
先生はそう思い、実行していた。
万能の天才と歌われた男の守りは固く、オルドの現実改変とも呼びうる魔術から息子を護りきった。妻が消え去っても、息子だけは生かしたのだ。
その事を知らないオルドは、当然こう思った。




先生は、また違う奴と?






「いやだいやだいやだごめんなさい、あ、あああ!きえる、けさないで、やめてやめて」

「けさないでやめてゆるし、ゆるして!なんでもする、なんだってさしだ、あ、ら」

「誰か!だれか!わたしをだれだとおもってるの!わたしを、いや、ちかよらないで!」

「おねがいしますおねがいします、むすこがいるの、まだうまれ、やめ、や、いやぁ!」

「どうして、どおして、しらない、そんなやつしらない!なん、なんで、いやぁああ!」

「おかあさん、おかあさ、あか、お、おか、おかあさん、たすけて、ねぇ、おねが」

「おまえなんか、おまえ、ゆるさない、ぜったいにころして、ああ、やめ、や、わす」

「悪魔め、おれがころ、こ、ころここ、え、なんでおれはここに、あれ、まま、え?なん」





少ないものを積み上げて。





「君は、傷つかなければ生きていけない。」

「得る為に他者を。貰ったらば己を。傷つけて、抉って。君はそうやって息をする。」

「君に、息子ひとみを託したかった。」











​───────バキ、パキン。