虚像鏡【0-2 実は虚に、虚は実に】
【0-2 実は虚に、虚は実に】
◇
お父様が亡くなってから、季節が少し過ぎた。
プルリタニアに冬が来る。
極北の大地プルリタニアに於いて、冬は死の季節だ。
此処は世界で一番寒い場所。
冬に外で濡れたタオルでも振り回せば、
ほんの数秒で凍りつく。
それでも王宮の中が暖かいのは、
歴代の王の中に優れた炎の魔導士がいて、
彼の死後もその魔法が城を守っているからなのだとか。
お陰で王宮に住んでさえいれば、凍えて死ぬ心配はない。
僕と姉さんは、王宮の中庭に出て会話していた。
その日は久しぶりに天気が良くて、
見上げた空は綺麗な快晴で。
こんな日なんて滅多にないものだから、
ふたりでのんびりしていたんだ。

「暖かい日だね、姉さん」

「そうだね! あったかいねぇ」
隣、姉さんは無邪気に笑ってた。
僕とそっくりな顔で、でも僕と明らかに違う表情で。
僕は道化の笑みを貼り付けるけれど、
姉さんはいつも無邪気に純粋に笑っている。
それだけで誰からも愛して貰える。
「あ! そうだ! わたしね、
シィセスに ききたいことが あったの!」
「……良いけど。何、姉さん」
また下らない話かな。
まぁ今日みたいに穏やかな日は、
そんな雑談をしても良いか。思っていたら。
「──シィセスは、これから
おうさまに なるの?」
「……何を言いたい」
警戒心。僕は姉さんと距離を取り、
姉さんを睨み付ける。警戒、警戒。
姉さんはただ、無邪気に笑っている。
「わたしが おうさまに なっても いいんだよ?」
「…………は」
喉の奥、漏れた声。
は? 姉さんが王様に?
その弱い頭で幼い心で、お前に王の何が分かる。
王様になるべきと育てられていた僕が
王になるんだ、何を今更!
──姉さんは僕の居場所を奪うつもりか!
距離を取る。警戒、警戒!
姉さんは悪意で他人を傷付けない。
善意の刃こそ怖いものはない!
姉さんの口が開く。何を言うつもり?
それ以上喋らないでくれ、
その話題を広げないでくれ!
「わたしが おうさまに なったらね、
あのね、わたしね──」
お前に居場所をやる訳にはいかない。
お前が王になったら、
僕は、僕のこれまでは。
湧き上がる怒りで頭が沸騰しそうだった。
だから僕は、

「──黙れこの
障害者ッッッ!!!!!」
言ってはならない言葉を、吐いたんだ。

「え…………」
ショックを受けたような姉さんの顔。
頭の弱い姉さんだけど、
「障害者」が良くない言葉なのだという
ことは理解しているはずだ。
姉さんは頭に障害を持って生まれてきた。
だからこそずっと天使で、馬鹿みたいに無邪気で。
あぁだけど僕は更に傷付けられることを恐れて、
言葉の刃で姉さんを先制攻撃してしまったんだ。
さっきまで笑っていた姉さんの表情が変わる。
分かりやすい。あれは悲しみと怒りか。

「なんで シィセス そんなこと いうの」
姉さんには、分からないだろうよ。

「わたしは おうさまに
なってみたいなって いってみた だけなのに」
姉さんには、分かるわけないんだから。

「わたしは!!!!!」
姉さんの手が、僕に向けられた。
姉さんと僕は、それでも仲良しのはずだった。
だから僕は、高を括っていた。

「しょうがいしゃ なんかじゃ!
ないもん!!!!!」
向けられた手に魔力が集まる。
何かを思う間もなく、

──茨が、僕の、心臓を。
激痛。げぼり、血を吐いた。
雪で覆われた真白の庭に、赤い赤い花が咲く。
そうだ 姉さんは 植物の 魔導士。
頭の弱い 姉さんが 感情に
呑み込まれたの なら それを 制御する 術は。
「さっきの ひどいことば!
さげてよ、シィセス!」
茨が、僕の手足を。
ぐさり、ぐさり。赤が散る。
待って 嫌だ 待って 僕は、
明滅して赤く染まる視界。胸が苦しい。
体温が下がっていく感じがする。
ぐるり、世界が回って、僕は仰向けに地面に倒れた。
「ねえ さ ん ……」
伸ばした手は、だらりと落ちた。
茨の棘が、更に手を切って血が滲んだ。
僕が最初に傷付けた。こうなるのは因果応報なんだ。
だけど 何で 待ってよ。
僕は これから 王様、に──
しにたくない。
異変に気付いたのか、
姉さんが駆け寄ってきて血塗れの僕の手を取った。
姉さんは泣きそうな顔をしていた。
「…………シィセス?」
頭の弱い姉さんじゃ、幼い心の姉さんじゃ、
死という概念も分からないのかもね。
血を吐きながら、僕は笑った。
あぁ、最後まで道化の笑みしか浮かべられない。

「…………だいっきらい、だ」
笑って、僕は意識を手放した。
死にたくなかった。僕はこれから王様になるのにさ。
何も報われてない、何ひとつ、ぼく は!
し に た くな い。
しに たく な い。
死 にたく ない。
死にたくない。
──死にたくない!!!!!
激情が胸の中を吹き荒れた時、
僕は宙に浮いていて、
呆然とする姉さんと死んだ僕を見下ろしていたんだ。
◇
「シィセス? シィセス?
つめたいね さむいの?
まって どうしたの へんじをして!」
その魔法で殺した僕の遺体に縋る姉さん。
流れる涙もやがては凍り付く。
僕は僕の死を以て意図せず姉さんに負の感情を抱かせた。
けれど、せいせいしたとか、そんな気持ちは湧かなかった。
僕が見ているうちに、姉さんは動きを止めた。
呆然と空を見上げて、心此処に在らずといった感じで。
だから僕は近付いてみた。
今の僕は恐らくは霊体、しばらくすれば
冥界に引っ張られて消えてしまう存在。
だけどその前に、もっと近くで、
思っていたら、
僕は姉さんの中に強く引き込まれたのだ。

「…………」
気が付いたら、僕は息をしていた。
傷も痛みも何処にもないみたいだ。
でも視界のすぐ先には僕の遺体が確かにある。
ならば今、僕が動かしているこの身体は誰のもの?
翡翠色のドレスが目に入った。
それは僕のこの身体が身に付けていた。
あぁ、と理解した。悟ってしまった。
「…………ねぇ、さ」
──この身体は、姉さんのもの。
僕の魂は、姉さんの身体を乗っ取ったのだと。
絶望して心の壊れた姉さんの代わりに、
死んだばかりの僕の魂が
この身体を動かせるようになったのだと。
静かな感情が湧き上がる。
“僕”は死んでない。僕がこれから
“シィリヤーレル”として生きて女王になれば、
国の未来は安泰だ。
身体は姉さんのものだけど、
宿る魂は僕のもの、
賢い賢い僕のものなのだから!

「は……はは……はは、は…………」
乾いた笑い声が漏れた。
何だよ、何だよ。これで邪魔な姉さんは消えて、
これから僕の治世が始まるんだ。
これで良かったんだ! これで──!
拝啓、相容れぬ半身へ。
僕はさらに偽りを重ねて、
君の名前で生きていくんだ。