Eno.274 ミトリムシの日記

海に佇む  の先

おや、創造神。
こんにちは。

もうすぐ此度の物語は一度区切りを告げますが、どうでしたでしょうか? この世界で何を見て、何を聞き、何を話しましたか? 得られたものはありましたか? 嗚呼、まだこれから得るのかもしれませんが……。

――そもそも私は誰だ、と? くひっ、まあ『語り手』とでも思っておいてください。今回の私は、本当に添えるだけの概念ですのでねえ。


さて本来、このシマは海の中にあるものと言います。


ではシマが浮上し、どこからともなく様々なものが流される現象は何なのでしょうか? しかもまた沈み直し、そこで築き上げられた何かも、海の底へと沈んでしまいますのに。まあ、隠された秘密や異世界同士の邂逅というのは、大変意味があり面白いと思います。……ふふ。そうですねえ。沈むものだけではない。それもありましょう。

ならば、会話もせず本当にそこに居ただけの場合はどうでしょうか? 目撃は出来ているのでしょうが、シマが沈めば当事者の記憶にしか残らない。有ったのか無かったのか、それすら怪しいラインに乗ってくるかもしれません。


――ニンゲンは〝可能性〟の類を扱う際、統計学という学問を用いるそうです。


そこでは『存在すること』を証明するには、『存在しないこと』を否定しなければいけません。用語としては『対立仮説の棄却』と言いますが……逆もまた、同じこと。『存在しないこと』を証明するには、『存在すること』を否定しなければいけない。

あるキャラクターが、或いはある種族が、事象が、存在するのかしないのか、ニンゲンが討論する場があったとしましょう。此処でもまた、同じことなのですよ。

『存在すること』を証明するには、『存在しないこと』を否定しなければいけません。
『存在しないこと』を証明するには、『存在すること』を否定しなければいけません。

有と無は切り離せず、必ず対立した事象がいないと始まらない。『有』の証明は『無』の否定で始まり、『無』の証明は『有』の否定で始まる。

そこには何も『ない』。『ない』からこそ、それを否定する何かがあれば『ある』ことを証明できる。そこに何かが『ある』と仮説を立てるならば、それを否定すればそこには何も『ない』。虚無0の存在は森羅万象の肯定でもあるのです。


 博士号を持つ者として、分かりきってはいたんでしょうけどね。彼も。


意味が分かる方には、旅の最後の一頁に説明等は不要でしょう。ま、理解出来なくても構いませんしね。ただ、今回の〝概念の祝福〟は、その冠する名前故に、死神的な扱いをされがちですから……。

さて、話が長くなりました。お時間を取らせてしまって申し訳ございません。貴方も貴方の物語を、最後まできちんと育んでくださいね。後悔なき選択を。選択の先に創造の加護を。――全ての物語に、祝福を。


 島々を囲む海を越え、遠くどこかで紡がれるは
   とある人間と有と無を司るモノの噺虚無の祝福――



to be continued...DAY8へ続く