Eno.691 明日の分霊の日記

有機

準備は出来た。覚悟も決めた。
ヒールの音を小さく響かせ、水の満ちていく地面を蹴る。
もうきっと帰ることは無いだろう。
うだうだ悩んで、調整を重ねて、結局実行する事にする。もっと早くに復元の式ができてれば良かったけど、そこまでボクは器用でも勇ましくなかったし、慣れなかった。それだけが悔やまれる。

記憶を失う前のボク。ボクにとって、知らない昨日の他人。でも、彼らにとっては今日のボクと同じオルドだ。
優しい彼らが、そう思って、その背を押して、そう教えてくれて…………そうなんだと、理解したから。しちゃったから。
ボクは昨日のボクを置いていきたくなくなってしまった。

「我儘だなぁ。」

かん、かん、トン。軽快なヒールを小さく鳴らして、暮れるる森を駆ける。そのスピードと言ったらもう隼に例えれるほど。
走りながら、ガラス瓶に入れた水を頭から被った。大切な真水をヤケクソで使うなんて、まるで嫌がらせだ。でももういいだろう。

船はもう完成した。エルディスの最後の希望も叶えられた。
救難船も見える。彼らは助かるだろう。安心だ。
別れを告げようと思ったけど、やめにした。
これはボクの独断で、我儘で。あの子たちを巻き込む訳には行かないから。
もしかしたらセツカちゃんやエルディスくん当たりが探しに来てしまうかもしれないけれど…………そこはシィちゃんやブレイバーが止めてくれるだろう。彼らは冷静だから、きっとボクの道連れを作ったりはしない。

そう安堵して、洞穴に辿り着く。

そういえば、アンタレスのガラスペンを無くしてしまっていた。探そうともしなかった。
あんなに大切にしていたのに。


洞穴の奥、用意していた魔術式が正常に稼働を始めていることを確認する。遺跡のエネルギーを転用して、本来必要なコストを踏み倒す………大博打のような、記憶復元術式。

「それじゃあ、元気でね。」


昨日のボク愛された僕は連れてくよ。

カン。ヒールでひとつ、足を踏み入れた。













拠点、書置きの側、緋色のガラスペンを持つ影がひとつ。
ポタリ、ペンにインクを満たしていた。

​───────全く、手のかかる。