Eno.517 樋熊の日記

樋熊は夢を抱きしめた。

魔王から伝えられた『島食いの邪竜』の正体と、その存在を知った。
かつてヒグマルの母から教わったそれは、寝物語に聞くような話だった。
口伝として残されて刻銘に伝えられたそれを、話半分で流すには細かすぎるものとして印象に残っていた。
針子の仕事をするようになってからも、魔王城で働くようになってからも長い長い時間の中であっても刻まれたのは、ある種の生存本能のようなものだったのだろうかと今なら思える。
結果的に言えばかの恐ろしい戦い方をしていた雷の勇者のお陰で何とかなったらしく、魔王サマ自ら侵攻を取りやめることにしたらしい。
517匹目の下っ端ヒグマルは粛々と上の意向に従うのみだ。

種族としてのヒグマルは力は強いが好戦的な者は少なく、自衛と自分たちの領土と、家族を守るために動いていた。
ヒグマル自身だって戦いが好きなわけではなく、勇者と魔王の決闘の際は情けなく逃げ出した。敵前逃亡としてしょっぴかれる行為だし、そうなっても致し方ない。
魔王サマに惚れこんで、誰よりも特別な存在だと焦がれた方を背にして……。
だがそれを責めるものはおらず、むしろ心配すらしてくれた。共感してくれた。
同時にたくさんいるヒグマルの中の一匹にしかすぎず、野垂れ死ねば誰だかも判別ができない下っ端を、それでも魔王軍や、勇者一行までもがこのヒグマルを『個』として認識している事実に気付きを得た。
この数日の中で、軍団や群れではなく、ただ一匹のヒグマルとして認知されていたことがたまらなく嬉しかった。

嬉しさのついでで、すべてが終わりつつある今、なればこれからどうするとヒグマルは考える。
一部には力を振るえることに歓喜したやんちゃなヒグマルとているから、戻ったら当面は彼らを説得するためにエゾデスを行脚しなければならない。
否、ワープがあるのだから多少は移動が楽になるだろうけど……これはヒグマルが、エゾデス各地でのほほんと暮らす『ヒグマル達』に出来る唯一の労いなのだ。
魔王城近辺で暮らすヒグマルに、ヒグマルの家族に、各地の隠れ里や群れとして暮らす彼らに伝えて回って。
それからそれから、スピ坊が言っていたように人間と友好、共存の道を示せるように、布を使ってぬいぐるみや服も作ったりしたい。

人間との軋轢も多くあるだろう、各々が思うこととて沢山あるはずだ。
だけど考えるより先に動いてしまうのがヒグマルの美徳だ。
ひとまずはそれを目標にしておこう。


Eno.517:樋熊は夢を抱きしめた。