Eno.672 セバスチャンの日記

journey's end


魔王様が終戦を決められた。
それは、とある島への漂流と、その最後に決まったことだった。


かつて箱庭世界《エゾデス》で、私は魔王様とお会いした。
白雪の龍人の伝説――御伽噺のように扱われているが、それは事実だ。

私は力無き幼い魔族であり、
あの方は、魔王様は当時から強大で、偉大だった。

当時、魔族領土の王はまだ、アザーラック様ではなかった。
悪政を働くは、《死霊王》と名高い不死者。
命を奪ったものを操ることができる、悪夢のような力を持つ者。
誰も逆らうことは出来ず、生と死は意味を失いながら、
腐敗の軍勢は地平線を呑み込んでゆく。

「全部殴る」

と一言仰って、あの方は……走った。
走りながら、ただ拳を前に突き出すと、命なき木偶が逆らえる筈もなく。
なぎ倒しながら、城へ一直線で到着した。

所詮は数に頼る王。
圧倒的な力を持つ「個」であるアザーラック様には勝てず、滅んだ。

そうして、あの方は勇者に――、
否。魔族たちの偉大なる王。
祝福されし冠を戴き、
我等はその足に口づけをした。

「魔王」となられた。



…私は、吸血種と夜魔種の混血である。
両者に軽蔑され、排斥されていた。
力を得るためには、相手の力を奪う他ない。
が、庇護者も無く、生まれたばかりで捨てられた私は、力を得ることは出来なかったのだ。


魔王様が倒した、「滅びかけ」が足元に横たわっている。
私は吸血種の血を引いているからか、
夜魔種と違って魂を奪うと、とてつもない嫌悪感や、拒否感が身体を蝕む。


だが、アザーラック様は魔王となった。
なにの力もない、代償すら支払えない私との約束を守り、愚かなる王を滅ぼして。
彼の方を玉座に座らせたのは、他ならぬ私だ。


あの方と敵対するならまだしも、
弱者を装って足を引っ張り、慈悲を賜ろうとする下劣な連中もいる。
許しがたい不敬。度し難い愚昧。隔絶しがたい憤懣………、


俺は、死霊の王の魂を口にした。
どんな味わいだったかは、記すまでもない。





宴で祝われている魔王様の元へ戻ると、
あの方は慣れない歓待に僅かな笑顔を浮かべていた。
あれだけの力を持ちながら、
弱者のことを慮ることができる方が他にいようか。
正しくあろうとすることができるだろうか?


俺は、どんな表情を浮かべて見ていたのだろうか。
魔王様と目が合うと、魔王様は、なぜか悲しそうな顔をした。
子供たちに手を引っ張られる魔王様を、一礼して見送った。


不死者の王の力を得ることで、
死した魂にすら悪夢を見せ、
力を奪うことができるようになっていた。
そうして俺は、夜になる度に記憶となった過去の使者から力を奪い続け、
昼は魔王様の傍で働いた。



…………


「もしも余が失敗したら」

「その時は、勇者達と協力して
 余を討ってほしい」

「頼んだぞ、セバス。」



――その時、私を襲ったのは、絶望ではありませんでした。
ある種の、諦観にも似た……世界への失望でした。
何故か、納得しました。
あれだけの力を持ち、慈悲深き方が、只人であるはずがない。

そして、同時に――深い悲しみが襲いました。
魔王様を敬愛し、玉座を支え続けてきた廷臣に、
なんて、なんて残酷な言葉をおかけになるのでしょう。


もし全てが失敗したとき、
はじめて私はあの方を裏切ることとなるでしょう。


暖かいハーブティーを淹れながら、私は遥かなる水平線を眺めて、呟いた。


「お怨み致します…………魔王様。」