Eno.17 神速のバンバの日記

泉と雨

 
出航の直前、主を探して歩く拠点にも波が迫っていた。
時折、岩に衝突した飛沫が雨のように降り注ぐ。



「……いた、主」




主は奥の方の薮にいた。
枝葉の隙間から覗く、深く沈んだ緑色の背中。


やや沈黙を経て、俺は口を開く。



「魔王様……
 良かったな、救われて」




「そうね」




「オタールにも行ける。
 ……力の四天王は、欠けるかもしれねえけど」




「あいつはいいのよ。
 自分の道を選び取って進む男だもの。
 惰性でいるよりずっと、健全よ」




「そうだね」




「……………」




「悪かったよ、魔王様のこと。
 主の言う"本当の望み"の方が正しかった。
 俺は……」




「気にしてないわ」




なんとなく、不機嫌の理由が以前と違うことに気づいた。


今、主の背を沈ませているのは
俺が魔王様の運命について言及したことじゃない。


そして、その理由もすぐに思い当たった。



「ユウの選択か」




「…………」




「愚直な奴だ。
 希望を信じ始めたら、
 ああもなるんだろうな。

 ……今回はたぶん、俺も主と同意見だよ」




「私は何もしないわ」




「……うん」




「水を差すことは、しないわ」




主は、死ぬほど負けず嫌いなくせに
とある瞬間、糸が切れるみてえに
気力が失われることがある。


出会った時からずっと、
その背にはひっかかって取れないものがある。


こいつが本当に、何のしがらみもなく
全力で走れたことはないんじゃないか。
楽しめたことはないんじゃないか。


そう、思っている。



「…………」








(……変えてやりたい)



この島の水は特別で、可能性の塊で
主の淀みを押し流してくれるような気がしていた。


(でも先行しすぎている。俺の気持ちばかり)




ユウが聖剣を抜き、"全大陸を取り戻す"と宣言した時、
主が静かに動揺したのを俺は見逃さなかった。


かつて邪竜によって多くの命が脅かされたのは事実。
だがそれからどれだけの時間が経っただろう。
呑まれ、打ち捨てられた後の大陸でひとつの命も育まれなかったなんてことはあり得ない。
たとえ海底に沈んでいたって、存在する限りは"その場所での役割"が育っていたはず。
エゾデスがあそこまで文明を築くだけの時間があったのだから。


勇者の力で、そういうものの命までは奪わずに済むのだろうか?
だが生きてりゃ良いって話でもなくってさ……



でもエゾデスの民は救われる


魔王様は幸せになる




生きてる限り何かを脅かす俺たちは
大なり小なり見落としていく。
走るだけで何かを轢き殺している。
そうやって生きざるを得ないから
最後には口を紡ぐ。



(かつて、人々の開拓に"見落とされた"主が
 巨大な変化を前に沈むのは仕方ないことだ。

 そしてその心をただの"走るしがらみ"だと
 乗り越えさせようとするのは……)



































               







主、ぴーたんに新しい手綱をもらったよ。

海上レース、
楽しみにしてるってさ……