Eno.583 BlancusとYayauikの日記

怪物たちのうた/始まりに向けて



【――『四次拡張迷宮ラビュリントス』、開放確認されました】
【――接続を確立しています――】

【――Errorログを確認――接続先の修復を開始――】
【――再接続します――】

【――多軸間誘導装置アリアドネ・ストリングス、再展開開始――】





 自力で帰れるのでもう大丈夫だと伝えると、船員たちは拍子抜けするほどあっさり送り出してくれた。
 海を介して世界を渡る船だという彼らのことにも大変興味はあったが、生憎とこれ以上この海で無為に過ごすわけにはいかない。
 餞別にとラム酒の瓶を渡して、ブランクスは甲板に出るとアリアドネの"糸"を探した。
 一度は取り逃がしてしまった糸の端を再度捕まえて、"迷宮ラビュリントス"への道を手繰り寄せる。

 この術についてを詳細に記すのはとても難しいことだ。
 魔術師自身であっても、感覚を言語に翻訳するのは困難なのではないかと思う。
 上なるものは下へ、下なるものは上へ。
 絡み合う遠大な糸玉の中から、微細なほんの一端の糸を選り分ける。
 とにかくそのようにして、ブランクスは無事にアリアドネの再起動に成功し、ヤヤウィクと共に"迷宮"へ戻った。
 それから更に"迷宮"を通じ、彼が本来あるべき場所へ――"実験室"へと帰還する。




『……ぷあーっ!! やっぱり、ここに来るのはどうも疲れるな!!』

 慣れ親しんだ空気を感じ取って、ヤヤウィクが大きな溜息と共にそう溢した。
 言葉にはしなかったがブランクスも同意して、上着の襟を整えると同時に軽く息をつく。

「仕方がないな。ここが一番重いんだ。迷宮の中と比べると、どうしても疲れる」

『あの島もそれなりに疲れはしたけど、ここの重さとはまた違ってたしなあ。
 で、どうする。あのアニキのとこに行くんだろ?
 それともちょっとくらい休憩するか?』

 居心地が悪い、とまではいかないが、足早に装置の側を離れる。廊下を挟んで、"実験室"の向かいが彼らの私室だ。
 久しぶりに帰った部屋の大きなソファーに飛び乗って、ヤヤウィクが小さく息をついた。
 未知の世界の、未知の島から帰ったばかりなのだ。それも一週間のサバイバル生活を経て。
 確かにしばらく休んでもいいような気もするが、ヤヤウィクの言葉に、ブランクスは軽く首を振った。

「いや、ここに長居するのは時間が惜しい。装置の点検もしなければならないしな。
 すぐ行って、さっさと小言を聞いて戻ってくるさ。
 お前は休んでいるといい。大して時間はかけないつもりだ」

『おー、わかった。
 あっ! それなら食いもん! なんか美味いもの買ってきてくれよな!』

「はぁ? お前なぁ……」

 そんな暇はない、と答えかけて、そういえば島にいた時からそんなようなことを言っていたなとブランクスも思い出した。
 でもパンもピッツァもちゃんと島で食わせてやったし。
 そりゃあ素人が見様見真似で、しかも島にあった謎の食材で作ったものだから、プロのものとは雲泥の差ではあるだろうが。
 うーん、と首を捻りつつ、しかし約束は約束だからな、とブランクスが渋々頷く。

「……仕方ないな。でも荷物があって面倒だから、買いに行くのは無しだ。
 好きなもの勝手に注文していいぞ。受け取りは出来るだろ?」

『マジ? やったぜ。それならお前が戻る頃に受け取れるようにしておくな。二人分でいいよな?』

「ああ。じゃあ、ちょっと行ってくる。術が弱まってるかもしれないから、あまりうろうろするなよ」

『おう、留守番は任せろ』

 室内は常に監視されているが、カメラには認識阻害の術がかけられているから、何をしていても見咎められるようなことはない。
 どうせ監視の方でもそれを承知しているので、まともに見張っている者なんていないだろうが。

 ヤヤウィクを部屋に残して廊下に出る。
 すぐに出かけるとは言ったものの、ブランクスは一度考え込むと一人で"実験室"に戻った。
 部屋の真ん中に鎮座する巨大な術式、彼らの生命線でもある"多軸間誘導装置アリアドネ・ストリングス"をじっと見つめる。
 点滅するいくつかの画面を確認し、静かに声をかけた。

「……やあアリアドネー、調子はどうだ? 突然妙な場所に飛ばすから、さすがに肝が冷えたぞ」

【――こんにちはBlancusの魔術師。その節はご迷惑をおかけして申し訳ありません。
 現在、かかる異常に関係するエラーログを解析中です。
 状態と原因が判明次第、修復作業に入ります】

 魔術師の呼びかけに、無機質な機械音声が答えた。
 平坦な返答に、ブランクスはふと頬を緩める。
 装置自体には問題はなさそうだ。ひとまず安心した。

「そうか、助かる。ああ、だが修復に入る前に一旦報告をくれ。私の方でも確認したい。
 修復にはどれくらいかかりそうだ?」

【――調査中です。エラー箇所の数次第です。
 修復時間は現在のところ約618分程度を想定していますが、最終的には2倍ほどに増える見込みです】

「そんなにか? ……そうか。思ったより大きな問題みたいだな。
 わかった、それなら解析が終わり次第、修復にかかってくれ。
 報告は戻ってからこちらで見させてもらう」

【――了解しました。解析完了次第、修復を開始します】

 ふむ、と装置の前で腕を組み、ブランクスはしばらく考え込んだ。
 これはもっとしっかり腰を据えて確認しなければならないかもしれない。
 場合によっては"迷宮"の側からも調査が必要になるだろう。今までこんなことはなかったのだが……。

「……そうか。いいじゃないか、……楽しくなってきた」

 ぞくり、と、背筋が粟立つ。
 まさか突然、こんなことが起きるとは。
 装置が今までにないエラーを起こした。おそらく直前に自分たちが行なったことに原因があると見て間違いないだろう。
 具体的な行動を洗い直してみるべきかもしれない。
 そもそもこれまでとは違ったことが起きたということ自体が、もっと重く見なければならない事態だ。
 "迷宮"の中であるにも関わらず、外部に影響を及ぼすほどのことが起こったのだから。
 これまでとは異なる事象が発生している。
 つまりはこの先にも、まだ何か未知のことが起こる可能性があるということだ。

 ブランクスは思わず喉を鳴らして笑った。
 高揚し、笑わずにはいられない。本当に、久方振りの期待だった。

「……何か、変わるぞ」

 それをどれほどまでに切望しているのかなんて、きっと誰にもわからないだろう。





「ヤヤウィク、予定変更だ。何日かここで経過させる」

 部屋にとって返した魔術師は、ぺしぺしと前足で器用に端末をいじっていた獣にそう声をかけた。
 振り返ったヤヤウィクが、嬉しそうにぴんと耳を立てる。

『おっ! じゃあ食いもんは多めに注文しても大丈夫だな!』

「好きなだけ頼め。ひとまず僕は先にキリアンのところに行ってくる。
 調査中に向こうから来られでもしたら面倒だ」

『すぐ帰るんだろ?』

「そう出来るといいがな。ルイーゼに捕まると長くなるから、留守だといいんだが」

 肩を竦めて、ブランクスは島から持ち帰った荷物の中からいくつかの花や石を取り出した。
 好奇心に満ち溢れた異母兄への土産だ。これでしばらくこちらのことは放っておいてくれるだろう。

『気をつけて行けよ〜』

「誰に言ってる。じゃあな」

 ぱたぱたと尻尾を振る獣に一瞥を返して、ブランクスは部屋を後にした。

 ――瞬間、纏わりつく冷たい空気に表情を固くする。

 陰鬱な閉鎖区画の中を、彼は構わず進んでいった。そのまま誰にも何も言わずに、居住区を出て外に向かう。
 その間に行き交う者たちのどんな視線や態度にも、表情を変えることはない。
 陰で罵られようが蔑まれようが、その目は真っ直ぐに前へ向けられている。
 そう、迷宮を一歩出れば私は化け物だ。それでいい。
 化け物でなければ、怪物でなければ、叶えられない願いがあるのだから。

「……ふ、……ははっ!」

 それでも今日はやけに浮き足立っていることに気づいて、Blancusの魔術師は思わず声を上げて笑った。

 何かが変わる。
 今に見ていろ。



 その日はきっと、すぐ目の前まで迫っているのだ。





end.










「ところでアリアドネー、ひとつだけ聞くが、どうしてあの世界を『安全圏』として選んだ?
 一歩間違えば死んでいたし、お世辞にも安全とは言い難い場所だったが」

【――お答えします、Blancusの魔術師。
 四次拡張迷宮ラビュリントスが接触済みであり、かつ誘導装置の起動が確認され、
転送が問題なく行われたという実績のある地点の中から、リカバリープログラムがランダムに選出した結果になります】

「……つまり、装置を使って一度はあの世界に行ったことがあるということか? ……全く記憶にはないが」

【――お答えしかねます、Blancusの魔術師。
 四次拡張迷宮ラビュリントスの伸展は現在の当機が把握可能な範囲を超えています】

「ああ……なるほど、わかった。
 ここではないどこかの誰かが、糸を使ってあの島へ行ったことがある、ということか。
 理解した。ありがとう、アリアドネー」

【――どういたしまして、Blancusの魔術師】





end?...