Eno.280 超散布意思

Day 2 pm 4:00




鳥散布種子は想定外の事態に直面していた。

鳥散布種子は形式の概念であるが、鳥類という形をとっている。

元はといえば種子の散布という本質をカバーするために派生した補助機能であったそれだが、今となっては本質の一側面として落ち着いている。まあメリットもある事なのでそれはいいのだが。

問題の焦点は鳥類として――生物としての面に本質が引き摺られてしまっている事だ。
具体的には鳥目ゆえに夜間の行動に制限が生じる事。
そしてなまじ生物的であるがゆえに耐え難い――飢餓という衝動についてである。


ひとつに鳥目、夜盲症について。
勿論すべての鳥類が暗い場所では視力が低下する、などという事実が存在しないことは諸兄もよくご存じであろう。

たとえ昼行性の鳥であっても夜だけ弱視になるなんて種類実はあんまりいない。
ただ大体の鳥類は夜には大人しく過ごしているのに過ぎない。

それじゃあ一体鳥散布種子にこの特性はどういう訳なのかと言えば、
"鳥類は夜目が利かないものである"という一部に根強いイメージに引っ張られているわけなのだ。

鳥散布種子は"形式の概念"であるがゆえ、偏にこうした印象や体裁に影響を受け易い。


そしてこちらがより喫緊となる飢餓について。
生物に依っているからこそ避けられない(疑似的な)生命を維持するための食餌と、それを行うことが出来ないが為の生命活動の低下。

いのちという単位の減少。即ち死。

概念の死というとだいぶ哲学的にも思えるが、その実それは【雨を降らす】という役目を終えた雨雲が無くなるようなもの。
自然現象と同じだ。受け入れられるかどうかは別として。

鳥散布種子にとっての、選択の時が迫っていた。