Eno.559 アスター

先にある

男は知らない。


男が異世界に飛ばされたほんの数日後に、
妻子が大型の魔獣に襲われたことも。

それで、妻が両脚を失い、息子が娘を庇って死に、
娘は大怪我を負って記憶を失って苦しんだことも。

彼らが苦痛と苦悩に溺れることも。

男がこれから先、絶望以外の全てを失うことも。


男はまだ知らない。









これは確定された未来の話。

男は人型の獣と出会う。
それは、外見上は完全に汚染されていた。
赤い髪、赤い鱗、鉤爪、黒ずんだ肌。
どうしてまだ人型を保てているのか、それくらい汚染されている。

それはまだ人としての自我を残していて、饒舌に喋る。

「すべての騎士の悲願において、あなたを討伐する」

すべての騎士の悲願とは、すべての魔獣の殲滅である。

馬鹿な、と。
男は気づいていなかった。既に自分が汚染されつつあることを。
男は気づいていなかった。眼前の汚染された騎士が娘であることも。

始まった殺し合いの末に男が獣になり、娘を喰らうまで。
何も、知らなかった。