Eno.364 リヴィウィエラ

星渡り

ずっとずっと昔の話。
わたしが一番幸福だった時間があった。
人を愛した。人に愛された。
今でもまだずっと愛している。
だけど帰らなければならないから、全てを置いて旅に出た。
いつになったら終わるのかわからない。
それでも旅を続けている。

「……まだ、甘いな」


あの島から持ち出したクッキーをかじっている。
まだ味がする。
この世界を離れたら、また何も食べない時間が続くだろう。
食べる必要はないのだけれど、食べることは嫌いではない。
わたしはわたしに食べ物を与えてくれた者の気持ちを食べている。
だから何かを美味しく食べられるということは、とても嬉しいことだった。

「結局、君が焼いてくれたのはフレンチトーストだったんだろうか。
 それとも、なにか別の菓子だっただろうか」


同じようなものを食べた記憶はあるのだけれど、それが何だったかまではどうしても思い出せなかった。
恐ろしいことだ。わたしが覚えていなければ消えてしまうのに。
時間の流れが容赦なく記憶を奪っていく。
急がなければ。君のことすら忘れてしまう前に。
腕に抱えたままのお守りをぎゅっと握り締める。

「……ユグは伴侶に会えただろうか」


一番会いたいヒトに会えるのは、きっといいことだ。
わたしも、君に会いたくなってきたよ。トール。
この旅が終わったら、また世界を渡って君に会いに行こう。
いつになるかはわからないが、君はきっと待っていてくれるだろうから。




クッキーの甘みが次第にぼやけてきた。
海よりも空が近くなる。そろそろ、時間だ。
さようなら、ジーランティス。
わたしのようなものも受け入れてくれた、優しい世界。

ばさりと大きく翼を広げる。
わたしは種を持っている。
新しい世界を作るための、大事な種だ。
今はまだ何も存在していない、ただの抜け殻にすぎないけれど。
いつかはわたしたちもきっと、大海原のように、大樹のように、優しい世界になるだろう。

命になる。それが、今からとても楽しみなんだ。