Eno.167 ピスティッペー

スパルタ人の帰還

「……はっ!」

 目を覚ますと、そこは訓練場の土の上だった。
 自分はあのシマを脱出し、船から降りたはずだ。

 しかしここは意識を失ったときと同じ場所で、
 訓練場の外からは、戦勝を祝う歌が聞こえてくる。

(ここで倒れた時に聞こえた歌と同じだ)

 シマではふにゃふにゃで使い物にならなかった槍を確かめてみると、
 鋭い切れ味を取り戻していた。

 ……まさか、すべて夢だったのだろうか?

 そう思ったとき、頭がくらくらするような甘い香りが鼻をくすぐった。
 荷物の中に残っていた、あのシマで作ったフレンチトーストだ。

「夢じゃない!」

 よく見れば、その荷物をまとめているのは小さな風呂敷だったし、
 お土産用の鳥類の肉もちゃんと入っていた。

 あのシマで起きたことは、まぎれもなく現実だったのだ!

 卵と白い汁をたっぷり使ったフレンチトーストを一口かじる。
 甘くてやわらかくて、とてもおいしい、……でも。

「うええええ~~~~ん!!」

 我慢していた涙が決壊して、ぼろぼろとこぼれた。

「もっと皆と一緒にいたかった!
 もっとお喋りしたかったし、
 倉庫に物が増えるたび何に使えるか皆で頭をひねったり、
 変なものを見つけて笑いあって、
 色々な料理を作りあって、皆で分け合いたかった!!」


 ニコル殿、レイモンド殿、リンカ殿、オルキーヌ殿。
 生まれた国も時代も、世界さえも違うのに、同じテーブルを囲んだ友達。

 たった一週間の旅だったけれど、その思い出がこんなに愛おしい。

 あとからあとから溢れてくる涙を手で拭いながら、どれほど時間がたっただろう。

 「ピスティッペー」

 遠くから自分を呼ぶ声に振り返ると、夫や友人が訓練場の入り口で手を振っていた。
 いつまでも思い出に浸ってはいられない。

 日常に帰らねば。
 ピスティッペーは涙を振り払い、立ち上がった。
 常に薄氷を踏みつづけるようなこの国で、少しでも長く幸せに生きるために。

 そして、いつか来る友人たちを、笑顔で迎えるために。


 スパルタという一つの国が絶頂期を迎え、そしてゆっくりと滅亡に向かっていく。

 彼女はそこに住まう、ごくごく一般的な女性の一人であり、
 異世界に4人の友人を持つ、唯一の旅人であった。



(我が伴侶シュメオーンよ、私はライオン狩りに行きます!!)
(えっエエ~~~~~~~ッ?!)