RECORD
幕開:終
ゆらりゆらりと、影は揺れていた。
幾重にも、それの影は。それはまるで蠢く様でもあって。

「―― 聞いたよ、ベンケイ殿」
けれど、それは人影だ。……人影だった。
すれ違い様に、ベンケイに声を掛けて。
この場はヨシツネが居する宮殿とは異なる、
更に上位の地位に立つ者達が行き交う通い路。
あくまで数人が行き交うための場であり、
大人数が集う、一般的な宮殿を思わせる広間ではない。
とはいえ、宮殿の一端だ。
手入れの行き届いた庭園が散見し、踏み入ることも可能。
燦燦と降り注ぐ日光に負けじと劣らずの草木は、
国の一端を担う者が座する場として適切と言えよう。
……有事には脱出経路にも成り得るが、
その側面の機会は無きである方が望ましい。
この場はヨシツネより上位の者達の居する場。
その位置にベンケイはおらず、ヨイチもまた居ない。
……そこに位置するのは、国の行方を左右する"ヨシツネの兄"や、
太古よりジパングの象徴とされる"日皇"と云った、
ジパングの片手に収まるであろう、より特異な存在だけ。

ヨシツネの兄
ヨシツネよりも実直で、冷静――、冷酷な判断を下す。
ジパングの有権者としては5本指に入る存在の一人で、
その感性は影響力と責任から来るものだ、とも。
名を、ヨリトモと云う。

日皇
ジパングの象徴とされている職位。
この時代では珍しいことではあるものの、他国と交える際は必ず姿のある存在。
太古から続く、ジパングにおける王が移り経た地位であるらしい。
現時点でのジパングの最高職位。

「おや。……これはこれは、アスカ殿。
な、なにか……、御用でござりましょうか」
言葉の端々に緊張を漏らしながら、
ベンケイは"アスカ"、と己が呼んだ存在へと問いかけた。
そんなベンケイの様子を、アスカはケラケラと笑って。

「そう硬くなることは無いよ、ベンケイ殿。
君が私に槍を向けたとしても、"何も変わらない"。
いや、……変えるためには、
どっちもタダでは済まない、が正しいかな?」
そう言う訳では無いのだが。……ある意味ではその通り。

「ご冗談を。
"無為"でござりましょう、それは」
だから苦手なのだ。……緊張する。

アスカ
ジパングにおける"陰魔術"に秀でた人物であり、その頂点。
この国には妖怪と呼ばれる、ヒトとも動物とも異なるモノが存在し、
それらに対抗するため"陰魔術"が見出されたとされている。
正式名は、"緋鳥 朱鳥"。
見出したのは "阿倍野 清冥" というヒトであり、
それを補佐する形で"緋鳥 朱鳥"の名がジパングの歴史書に記されている。
尚、清冥は今日より400年程度前に天命を全うしている。
その間も存在し、更に陰魔術を発展、
進歩させているのがこの緋鳥 朱鳥である。
ヒトと手を組んだ妖怪たちと、それを良しとしないヒト達の争い、源平魔戦。
それにおいてもアスカの力は、陰魔術を行使する存在として圧倒的であった。

「そうだろう?
だから硬くなる必要は無いんだ、ベンケイ殿。
―― 私のご用は、君への質問だけだよ」
故に、豪著だ。宮殿に負けず劣らずのアスカの姿は。
蠢く影の正体は、幾重にも重なった衣の靡き。……靡きである筈だ。

「いやしかし、……アスカ殿が拙者に、でござりますか?
全く以て、見当が付きませぬ。
学は嫌いではありませぬが、得意とは言えませぬので……」
とはいえ、経歴に反してこの物言いだ。所作もといった所。
ジパングの片手の中では非常に温厚と言えるだろう。
何をしても無意味、と枕詞が付いてくるが。……ヒトは生きて、精々50年程度。
だが、

「カッカッカッ。君ほどの武人でも学は苦手かね。
何、ちょいと話を耳にしたのさ。
―― 君、どこぞかへ往くつもりなんだって?」
親しみを抱かせる大笑い。……そして、捕捉された。
或いは、ベンケイであったからやもしれない。気付くことが出来たのは。
獣に取り囲まれたかの様な、そんな感覚を抱いたのは。

「…………ええ、まあ」

「場所は?」
うぅん、とベンケイは唸り、被りを振って。

「奇妙に思われるやもしれませぬが、定かでは無いのです。
ある日、知らせが届きまして……。
同意することであちらへ出向くことが出来、
いくつかの暇の後、再びこちらに戻ることが出来るのでござります」
噓偽りなく答えた、ベンケイは。
当人が気さくであっても、高位な地位であることに変わりはないのだし。
それを知っては知らずか、
アスカはふむと頷き、布団の様な裾を持ち上げた。餅か?

「なるほど。聞いたことのないケースだ。
……いや。特定個人だけに知らせが届くなら確かに希少か。
仮に戻れなければそれまででもある――、」

「無事に戻れたのが吉報だったやも知れないよ、ベンケイ殿。
怖くは無いのかい?"定かではない場所へ往く"んだよ?」
それは意外な視点だった。ベンケイにとって。

「怖く、……」
一度として、そう思ったことは無かったから。
見知らぬ場所、見知らぬ人々。
姿は同じヒトの様で、中身は全くのベツモノ。思い当たる節はある。
とてもではないが、己の理解の範疇を超えた思考を耳にしていて。
――『自分を鍛えて人を護る事の大事さを広く他人に伝えたい』。
『 “今” の村人の在り方を反して、
それは神創壁神の教えに背く事になる』。
……理解出来ようか。出来る筈が無い。
我々は"それ"を全うし、それに伴った多くと"今"向き合っているのだから。
だから、ベンケイは己が顎を擦って。
……あの時にはなかったヒゲが、ジョリッと音を立てる。

「幸い、でござりましょうか。
拙者が見えたのは、良き教えと楽しき日々でござりました。
あの日々は拙者の礎です。
あの時間があったこそ、"今の拙者があるのです"」

「ですから、怖くはありませぬ。
……心待ちしている、とも言えるかと」
笑っていた。笑っている、自然と。あの日々を思えばいつもこうだ。
魔戦において幾度と無く敵を屠った力も、様々な存在と向き合う敬虔も。
……腑抜けぬ意思を見出したのも、あの日々があったこそだから。

「…………恵まれたか、ベンケイ殿は」
……だが、アスカの言葉は絞り出す様であった。
嫌悪は見られないが、呆れというか、……諦めというか。
認めたくは無いモノの、認めざるを得ない。そんな声色。

「アスカ殿?」
だから、思わず尋ねてしまった。どうしてか、と。
どうして貴女がその様に気に想うのかと。
―― そんなベンケイに、アスカは意地の悪い笑みを浮かべて。

「さてはて、この緋鳥朱鳥に踏み入るかい?ベンケイ殿。
君とて、私に纏わる何かを耳にしたことはあるだろう?」

「えッ、いや、」
たじろいだ、思わず。ここで好奇を貫ける若さはもうベンケイには無い。
故に、努めて。努めて背をピンと張って、一礼――、

「ああ、待て。そういうのじゃない」

「は、――?」
制止された、謝罪の一礼を。ジパングにおいて一般的な所作だったのだが。
そして、遮ったアスカの言葉は柔らかかった。問い詰める意図は全く感じられず。

「私の御用は問いだけだよ、ベンケイ殿。他は無い。
私自身の何かを語ることもね」
詰まる所、線引きだ。"ここまで"という線引き。
蠢く影の正体も語るつもりは無く。

「はあ、……。いえ、ではその様に。
然して、拙者はアスカ殿の何ぞかに触れてしまったと思っておりまする。
故に、拙者は詫びねばなりませぬ」

「君ねぇ」

「―― 申し訳ござりませんでした、アスカ殿」
ふぅ、とアスカは溜息一つ。弛んだ表情で。
なるほど。この武人は学が苦手と語ったが、礼儀は万全の様だ。
この国らしい思考の遷移であるし、咎めればこちらがぶしつけである。
……故に、アスカは望ましく受け取った。ベンケイの所作を。

「良いさ。元から良いって言ってるしね。
良いモノは良い、それだけのことだよ」
私を見る目はどこか警戒しているが、まぁ、間違いではない。
"耳にしている"のだろうから。

「陰魔術のために、私も出向いてみたかった。
……と言えば、それらしくは聞こえるかな?」
君をご指名の様だがね、と付け加えれば、
アスカはカッカッとまた笑って。

「願わくば、戻った時に詳しく聞かせてくれ。
折角の休暇なんだ。楽しんで来なよ、ベンケイ殿」
そう言えば、手を振って――、裾を振る様であったが。
アスカは再び、ゆらりゆらりと通い路を進んで。

「―― 痛み入るお言葉にござりまする、アスカ殿」
そして、ベンケイもまた今一度身を折って一礼。
そしてアスカの姿が見えなくなるまで、見送った。
・
・
・

「定かでは無く、
知らせが届き、
同意することであちらへ出向く、」
それは、……アスカは、言葉を紡ぐ。

「なるほど、なるほど。そんなタイプもあるのか。
ベンケイ殿の言い分からすると、
他者へ譲れるかどうかは不明慮だね。消えてしまっては意味が無い」
場は宮殿。在るのは己も含んだ数人の貴族たち。
眼前には日皇が映り込み、ジパングの今後を見据えた議論が飛び交っている。
……その中で、アスカは言葉を紡ぐ。
時折己も、議論に言葉を交えながら。

「―― 出来ることと言えば、私に舞い込む様祈るくらいか」
そうして、アスカの衣が――、……影が蠢く。
アスカが"ヒト"に紡いでいたのは、議論の言葉のみ。
先のベンケイとのやり取りに通じる言葉は、何れも漏れていない。
その全ては、"アスカの内"で交わされた言葉であった。
"耳にしている"――、とは、蠢くアスカの影への周囲の目だ。
歴史書にその名と存在が記されること、400年。
同時期に存在したとされる者達は、一人として生きていない。アスカを除いて。
当然だ。現在のジパングにおいて、生を全うするには精々50年程度。
……だというのに、この存在は400年の時を経て尚健在。
"清冥"が当時の日皇にのみ伝聞を残したが故に、
権力を持たされ、その職位に有るということを知る者は、
日皇の血統のみぞ知る、他の誰にも知る由の無いこと。
だからこそ、その権力と職位を狙われ、命を狙われることもある。
だが、50の時のみを許された人間に、なぜ400を上回ることが出来ようか。
どうせ暗殺は失敗に終わる――、……終わり続け、やがてアスカは笑い出した。
"暗殺を失敗した事実だけが残る"のだから。
こんな筈じゃなかったはあまりに遅すぎる。そうして、アスカは幾多の口を塞いで来た。
その様なことを思う者達だ、自ら縛り上げられに参じるならば気楽なモノで。
緋鳥 朱鳥――、……後に『隠者の魔女』の名を持つことになる存在は、
この時より、厳密には遥か以前よりその身を魔女へと変容させていた。
彼女の願望は、異なる世界への移動であったが……。
それが成されたのは、更に500年の歳月を経てからのこと。
・
・
・

「よし……荷造りはこんな所でござりましょう。
確か多くの場がありました故、
多くは必要無きに思いまするが」
経過した年月は、8年。
かつてベンケイがあの場――、世界に座してから。
古い記憶だが、旅と言えぬ程人の手が届いていたと記憶している。
当時は修行と称し、己が武器まで持ち込んだが、此度はそうではなく。

「気を緩め過ぎてはなりませぬが……。
良き、時を過ごせたらと思いまするなあ」
―― 『怖くは無いのかい?"定かではない場所へ往く"んだよ?』
不意に、アスカの言葉を思い出す。……ああ、確かに。無くは無い可能性だ。
仮に、意思を揺さぶられる何かが生じたならば。己が命を懸ける何かが訪れたのなら。
何ぞかが、現れ出るやもしれないと。
……いや、あって然りとするべきだと、ベンケイは示唆した。
己が想っているのだ、一人や二人、訪れた方が然りといった所だろう、と。
想うということは、即ち可能性があるということ。―― 成す者が在るやもしれない証。

「お元気で、いらっしゃるでござりましょうか」
揺れる、桜が。びゅお、と風が鳴り響き。この庭園には桜が並んでいる。
その色を見る度に、切磋琢磨を捲し立てられる様に感じて。
当人は居ないというのに、ベンケイはそうして気を引き締めて来た。
麗しい方になっておられるやもしれませんなあ。
……は、己が内にだけ閉まっておこう。真に思ってはいるのだが。
凛として咲き誇る様な存在――、それがベンケイの想う所であって。
そうして、時は巡る。その時を迎えるだろう。
変わったモノ、
変わらなかったモノ、どちらをも携えて。
あの日受け取った、"それ"を荷に仕舞い込んで。
ベンケイは、その時を待つ。