なにかがおかしいよ
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RECORD

Eno.228 無名の闘技者の記録

退去

夜の浜辺の一角。やや遠い潮騒。
平靴が砂を鳴らす。白布が風と遊ぶ。

――空は闇色。
慣れた色だった。やはり頭上は黒くあるべきだ。抜けるような青など、落ち着かないにも程がある。

そうだ、落ち着かない。
ので、早々に退散することにした。
登録削除の手続きをした受付で、どんな顔をされていたかは興味がない。
借り受けていた獲物の返却も速やかに済ませ、通貨も適当に処分して、身軽なものだった。
荷は、先に購入したエネルギー結晶くらいのもの。
来訪前に押し付けられた面倒な注文は、これを手土産で押し通すつもりでいる。
飲食物は各エリア、一応見て回ったのだ。義理は果たした。
探し人は、まあ。
そのうち本人が会うこともあるだろう。

「――听令」

低い命に応えて、ず、と。
靴先から伸びていた影が立ち上がる。

――月下に独り、酌をした詩がある。
極めて雑に要約すれば。
月も影も呑みの相手などしてくれないと弁えつつ、気分で愉しんだと。そういったもの。
己を題材として好き勝手に綴られる文字たちの中で、悪くないものだったが。

因んだ仮名は、闘技場に置いてきた。
もう名乗ることもないだろう。
男はまた、星屑を引き寄せては墜とす仕事に戻る。

別れの言葉もなく。
長身を飲み込み、影が霧散する。
残る足跡もいずれ、風か波かが撫でるだろう。
男がこの世界に居たという痕跡は、たいして残らなかった。