RECORD
Eno.34 シャルティオの記録
【0-18 “最善”の結末】
◇
楽しい祝賀会も終わり、夜更け。
明日は長兄の葬儀だ。
大嫌いな長兄だった、恐れている長兄だった。
死んでしまった。心の中、呆気ないなという、
感慨にもならない気持ちひとつ。
眠れなかったシャルティオは、
キィランと共にふらふら。
ぽやぽやした頭で、王宮の庭園へ。
──そこで、見た。
風の防音結界を、シャルティオとキィランの身体が突き破る。
途端、聞こえてきた音と、はっきりと見えたもの。
ふたりの人影。
ひとりは真白なドレスを紅に濡らして倒れており、
もうひとりはその胸に剣を突き立てていた。
シャルティオの身体が凍りつく。
倒れているのは、剣を突き立てているのは。

思わず、乾いた笑い声が漏れた。
目の前のそれを嘘だと言えたのならば、
どれほど楽になれたでしょうか。
血濡れた剣を引き抜いて、
宝石のようなオッドアイがシャルティオを見据えた。
フェンドリーゼの歪な笑みが、満月に照らされている。

シャルティオは、それしか言えなかった。
倒れているのは兄弟の母親、
魔導王国の偉大なる女王──フォルーシアだった。

兄への視線を振り切って、
胸に真紅の花を咲かせている母王に駆け寄る。
触れた身体は冷たい。むせ返るような血の臭いがした。
魔導王国の偉大なる女王は、物言わぬ骸と化していた。

シャルティオは遺体に縋り付く。涙すらも流れない。
頭が、現実を認識することを拒否している。
されど目で耳で鼻で手で確かに感じる“死”が、
嘘じゃないよと囁きかけてきて。
僕は、あなたにこそ認められたかったのに。
死んでしまっては、もう永遠に叶わないじゃないか。


フェンドリーゼの声に、嗤いが混ざる。
己を見下ろす宝石のオッドアイ。
大好きだった兄のそれが、今はもう好きじゃない。

悲痛が、シャルティオの喉を突き破った。

シャルティオは、母の遺体をかき抱く。
青の瞳は爛々と燃えて、兄を睨んでいる。
信じていたんだ、誰よりも。
この兄が、絶対的な僕の味方が、
最高のハッピーエンドをもたらしてくれるって。
あのまま、普通に帰ってきてくれれば。
こんなことしないで、日常に戻れたのなら、
どれだけ良かっただろうか。
フェンドリーゼが、嗤っていた。


もう息をしていない母王を抱きながら、
シャルティオは叫んでいた。
己を灼く毒の涙が頬を伝う。痛い。知るか、拭わない。
涙は頬から首へと伝い落ち、赤い傷痕を作っていく。
声が震える。
「どこが……最善……だよ……っ!
僕は母さんを愛してたのに……母さんは僕の光だったのに……っ!
ふざけんなよフェンドリーゼ! 何でだよ……どうして……っ!」
激昂。慟哭。嗚咽。
ハッピーエンドで終わるはずが、こんな、こんな。
嗤う声が、していた。
「俺は君を助けようとしたんだよ、シャルティオ。
君を縛る檻を破壊しようとしたんだ!
おめでとうシャルティオ、これでもう、君は晴れて自由の身だ!
何処へなりとも飛んでいけるね!」

母の骸を地面に優しく下ろし、
シャルティオはフェンドリーゼに殴り掛かった。
身長差。シャルティオの小さな身体では、兄の頭に手が届かない。
だからその胸板を、めいっぱいの力で殴った。
毒の涙が滴る頬を押し付けた。
自由が欲しくなかった訳じゃない。
いつかこの不自由な立場が終わって、
王宮の外へ自由に行ける日を夢見ていた。
そんな日を、母王がくれると信じていたんだ。
──あれだけ、面と向かって拒絶されたのに?
それでも、それでも母王への思慕は
シャルティオの心の根幹。
どんなに嫌われようが罵られようが、
揺るがすことの出来ないものだった。
フェンドリーゼはだからこそ、
「……君の抱いている馬鹿みたいな幻想が叶う可能性を、
俺はゼロにしたのさ。
あっはっは、幾らでも俺を恨むがいい、憎むがいい!
馬鹿野郎な兄貴だったさ、俺は悪い奴だろう!!!!!」
嗤い声。

シャルティオが認められずに目を背けているものを、
フェンドリーゼが断ち切った。
宝石のオッドアイは、満月の夜に妖しい程に輝いて。
嗤っていた声が刹那、別の感情を帯びた。

殴られながらも、フェンドリーゼがシャルティオを抱きしめた。
──ひとごろしが、僕の身体に触れた!
シャルティオは藻掻くけれど、強い力が離さない。
フェンドリーゼの顔が、至近にあった。



愛していると声は告げる。
母王はシャルティオを愛してくれなかったのに、
この兄はちゃんと愛してくれている。
されど悲しいかな、シャルティオの思慕は母王にばかり向いていて。
シャルティオは兄の想いになんて愛になんて気付けない。
抱擁が終われば全力で兄と距離を取りナイフを向けて、叫んだ。

兄と過ごしてきた幸せな日々が砕け散る音を、
シャルティオは聞いていた。
かつて兄へ向けていた親愛は、
己の女王を殺されたことによって
憎悪へと塗り潰される。
大好きだったんだ、信じていたんだ。
でも、もう全ては過去形だ!
こんなものが“最善”の結末だなんて、
シャルティオは認めない。
その返答を聞いて、
フェンドリーゼが悲しそうな顔をした。
負の感情なんて分からないはずの兄が、
心が欠けているはずのこの兄が、悲しそうに笑った。

最後に彼がそう告げた後、一陣の風が吹く。
次の瞬間にはもう兄は消えていて、
消えることのない断絶が残された。

兄の消えた庭園で、シャルティオは慟哭する。
胸が苦しくてたまらなくて、
ただ悲痛の感情ばかりが暴れ狂う。
綺麗だったその顔は、毒の涙でぐちゃぐちゃだ。
心も身体にも激痛が走り、
どうにもしようがなくなっていた。
『──何があっても、俺は君の味方だよ』
『──愛してる、シャルティオ、俺のかわいい弟!』
『──大丈夫、きっと万事上手くいくから。俺を信じて、シャル!』
走馬灯のよう、兄の言葉を思い出す。
その全てが、灰色に染まっていった。
仮にも愛してくれていたのなら、
こんなに痛い想いを味わわせるはずがないのに。
だからシャルティオはこう考えることにした。
兄の言葉は最初から全て嘘で、
自分は兄に踊らされていただけなのだと。
『愛してる』という蜜で、兄は己を誘って嗤っていたのだと。
本当の兄は己を愛してなどくれていないのだと。
そのように考えてしまえば、
この胸の憎悪を正当化出来る。
かつて己が兄を慕っていたのは、
騙されていた故の行動なのだということに出来る。
そう、認識して心を守った。
そうでもしないと、壊れてしまいそうだった。
──そして兄弟は、訣別する。

◇
しばらくした後、眠ってしまったあるじを
キィランはそっと抱きかかえた。
傷だらけの顔にハンカチを当てる。
後でちゃんと手当てしようと思いつつ。
女王がフェンドリーゼ王子に殺されたという話は、
翌朝になれば王宮中に広まるだろう。
そしてフェンドリーゼ王子は
この国を追われることになるのだろう。
キィランはシャルティオたちが対面している間、
離れたところでその全てを見ていた。
全てを見ていながら、手出しはしなかった。

呟く声は夜風に消える。

終わってしまった絆に、ひとすじの涙。
予期していた結末、分かっていた訣別。
分かっていたのだから、
シャルティオほど感情を乱されることはなく。
「…………」
涙を拭い、キィランは
シャルティオを連れて部屋へと帰還する。
◇
翌朝。フェンドリーゼ・アンディルーヴを国賊とする、
と正式な発表が、王宮魔導士長ギャレット・サヴィアより下された。
罪状は偉大なる女王を私欲により殺したこと。
フェンドリーゼはもう二度と、
アンディルーヴ魔導王国の地を踏むことが許されない。
その後ほど分かったこと。
フェンドリーゼは女王を殺した後、
帝国の姫君、カサンドラ・アルドフェックと
駆け落ちをしたということ。
フェンドリーゼは敵国の姫君と駆け落ちをしたいが為に
女王を殺したのだという噂が、まことしやかに流された。
フェンドリーゼの居場所はもう魔導王国にはない。
彼がその手で破壊した。
それが、彼の掴んだ果ての“最善”の結末だったのだ……。
【0-18 “最善”の結末】
【0-18 “最善”の結末】
◇
楽しい祝賀会も終わり、夜更け。
明日は長兄の葬儀だ。
大嫌いな長兄だった、恐れている長兄だった。
死んでしまった。心の中、呆気ないなという、
感慨にもならない気持ちひとつ。
眠れなかったシャルティオは、
キィランと共にふらふら。
ぽやぽやした頭で、王宮の庭園へ。
──そこで、見た。
風の防音結界を、シャルティオとキィランの身体が突き破る。
途端、聞こえてきた音と、はっきりと見えたもの。
ふたりの人影。
ひとりは真白なドレスを紅に濡らして倒れており、
もうひとりはその胸に剣を突き立てていた。
シャルティオの身体が凍りつく。
倒れているのは、剣を突き立てているのは。

「…………は、はは」
思わず、乾いた笑い声が漏れた。
目の前のそれを嘘だと言えたのならば、
どれほど楽になれたでしょうか。
血濡れた剣を引き抜いて、
宝石のようなオッドアイがシャルティオを見据えた。
フェンドリーゼの歪な笑みが、満月に照らされている。

「…………どうして」
シャルティオは、それしか言えなかった。
倒れているのは兄弟の母親、
魔導王国の偉大なる女王──フォルーシアだった。

「どうして、なの、にぃ、さ」
兄への視線を振り切って、
胸に真紅の花を咲かせている母王に駆け寄る。
触れた身体は冷たい。むせ返るような血の臭いがした。
魔導王国の偉大なる女王は、物言わぬ骸と化していた。

「かぁ、さ、ん」
シャルティオは遺体に縋り付く。涙すらも流れない。
頭が、現実を認識することを拒否している。
されど目で耳で鼻で手で確かに感じる“死”が、
嘘じゃないよと囁きかけてきて。
僕は、あなたにこそ認められたかったのに。
死んでしまっては、もう永遠に叶わないじゃないか。

「…………どうして?」

「俺が、やりたかったから」
フェンドリーゼの声に、嗤いが混ざる。
己を見下ろす宝石のオッドアイ。
大好きだった兄のそれが、今はもう好きじゃない。

「…………ひとごろし」
悲痛が、シャルティオの喉を突き破った。

「ひとごろし!
僕は、あなたを、
信じていたのにっっっ!!!!!」
シャルティオは、母の遺体をかき抱く。
青の瞳は爛々と燃えて、兄を睨んでいる。
信じていたんだ、誰よりも。
この兄が、絶対的な僕の味方が、
最高のハッピーエンドをもたらしてくれるって。
あのまま、普通に帰ってきてくれれば。
こんなことしないで、日常に戻れたのなら、
どれだけ良かっただろうか。
フェンドリーゼが、嗤っていた。

「──これが、
俺の掴み取った“最善”の結末だ」

「──これのどこが
“最善”だよッッッ!!!!!」
もう息をしていない母王を抱きながら、
シャルティオは叫んでいた。
己を灼く毒の涙が頬を伝う。痛い。知るか、拭わない。
涙は頬から首へと伝い落ち、赤い傷痕を作っていく。
声が震える。
「どこが……最善……だよ……っ!
僕は母さんを愛してたのに……母さんは僕の光だったのに……っ!
ふざけんなよフェンドリーゼ! 何でだよ……どうして……っ!」
激昂。慟哭。嗚咽。
ハッピーエンドで終わるはずが、こんな、こんな。
嗤う声が、していた。
「俺は君を助けようとしたんだよ、シャルティオ。
君を縛る檻を破壊しようとしたんだ!
おめでとうシャルティオ、これでもう、君は晴れて自由の身だ!
何処へなりとも飛んでいけるね!」

「──僕はそんなの、
望んでないッッッ!!!!!」
母の骸を地面に優しく下ろし、
シャルティオはフェンドリーゼに殴り掛かった。
身長差。シャルティオの小さな身体では、兄の頭に手が届かない。
だからその胸板を、めいっぱいの力で殴った。
毒の涙が滴る頬を押し付けた。
自由が欲しくなかった訳じゃない。
いつかこの不自由な立場が終わって、
王宮の外へ自由に行ける日を夢見ていた。
そんな日を、母王がくれると信じていたんだ。
──あれだけ、面と向かって拒絶されたのに?
それでも、それでも母王への思慕は
シャルティオの心の根幹。
どんなに嫌われようが罵られようが、
揺るがすことの出来ないものだった。
フェンドリーゼはだからこそ、
「……君の抱いている馬鹿みたいな幻想が叶う可能性を、
俺はゼロにしたのさ。
あっはっは、幾らでも俺を恨むがいい、憎むがいい!
馬鹿野郎な兄貴だったさ、俺は悪い奴だろう!!!!!」
嗤い声。

「──これが、俺の正義だ」
シャルティオが認められずに目を背けているものを、
フェンドリーゼが断ち切った。
宝石のオッドアイは、満月の夜に妖しい程に輝いて。
嗤っていた声が刹那、別の感情を帯びた。

「俺を信じてくれてありがとう、
こんな俺に、愛してるって
言ってくれてありがとう!」
殴られながらも、フェンドリーゼがシャルティオを抱きしめた。
──ひとごろしが、僕の身体に触れた!
シャルティオは藻掻くけれど、強い力が離さない。
フェンドリーゼの顔が、至近にあった。

「……さよならだ、シャルティオ。
それでも俺は、君のことを愛している。
君はどうか幸せにね、俺の知らないところで笑っていて!」

「……大っ嫌いだ、兄さん」

「大好きだよ、シャルティオ!」
愛していると声は告げる。
母王はシャルティオを愛してくれなかったのに、
この兄はちゃんと愛してくれている。
されど悲しいかな、シャルティオの思慕は母王にばかり向いていて。
シャルティオは兄の想いになんて愛になんて気付けない。
抱擁が終われば全力で兄と距離を取りナイフを向けて、叫んだ。

「僕はお前を絶対に許さない!
憎んでやる……。
兄さんなんて、大っ嫌いだ!!!!!」
兄と過ごしてきた幸せな日々が砕け散る音を、
シャルティオは聞いていた。
かつて兄へ向けていた親愛は、
己の女王を殺されたことによって
憎悪へと塗り潰される。
大好きだったんだ、信じていたんだ。
でも、もう全ては過去形だ!
こんなものが“最善”の結末だなんて、
シャルティオは認めない。
その返答を聞いて、
フェンドリーゼが悲しそうな顔をした。
負の感情なんて分からないはずの兄が、
心が欠けているはずのこの兄が、悲しそうに笑った。

「…………さよなら」
最後に彼がそう告げた後、一陣の風が吹く。
次の瞬間にはもう兄は消えていて、
消えることのない断絶が残された。

「…………っ! あぁ……ぁ……うぁ…………
うぁぁぁあああっっっ!」
兄の消えた庭園で、シャルティオは慟哭する。
胸が苦しくてたまらなくて、
ただ悲痛の感情ばかりが暴れ狂う。
綺麗だったその顔は、毒の涙でぐちゃぐちゃだ。
心も身体にも激痛が走り、
どうにもしようがなくなっていた。
『──何があっても、俺は君の味方だよ』
『──愛してる、シャルティオ、俺のかわいい弟!』
『──大丈夫、きっと万事上手くいくから。俺を信じて、シャル!』
走馬灯のよう、兄の言葉を思い出す。
その全てが、灰色に染まっていった。
仮にも愛してくれていたのなら、
こんなに痛い想いを味わわせるはずがないのに。
だからシャルティオはこう考えることにした。
兄の言葉は最初から全て嘘で、
自分は兄に踊らされていただけなのだと。
『愛してる』という蜜で、兄は己を誘って嗤っていたのだと。
本当の兄は己を愛してなどくれていないのだと。
そのように考えてしまえば、
この胸の憎悪を正当化出来る。
かつて己が兄を慕っていたのは、
騙されていた故の行動なのだということに出来る。
そう、認識して心を守った。
そうでもしないと、壊れてしまいそうだった。
──そして兄弟は、訣別する。

◇
しばらくした後、眠ってしまったあるじを
キィランはそっと抱きかかえた。
傷だらけの顔にハンカチを当てる。
後でちゃんと手当てしようと思いつつ。
女王がフェンドリーゼ王子に殺されたという話は、
翌朝になれば王宮中に広まるだろう。
そしてフェンドリーゼ王子は
この国を追われることになるのだろう。
キィランはシャルティオたちが対面している間、
離れたところでその全てを見ていた。
全てを見ていながら、手出しはしなかった。

「……これが、
きっと“最善”なのでしょうから」
呟く声は夜風に消える。

「……さようなら、フェン様。
私は貴方様のことを、
心よりお慕い申し上げておりましたよ」
終わってしまった絆に、ひとすじの涙。
予期していた結末、分かっていた訣別。
分かっていたのだから、
シャルティオほど感情を乱されることはなく。
「…………」
涙を拭い、キィランは
シャルティオを連れて部屋へと帰還する。
◇
翌朝。フェンドリーゼ・アンディルーヴを国賊とする、
と正式な発表が、王宮魔導士長ギャレット・サヴィアより下された。
罪状は偉大なる女王を私欲により殺したこと。
フェンドリーゼはもう二度と、
アンディルーヴ魔導王国の地を踏むことが許されない。
その後ほど分かったこと。
フェンドリーゼは女王を殺した後、
帝国の姫君、カサンドラ・アルドフェックと
駆け落ちをしたということ。
フェンドリーゼは敵国の姫君と駆け落ちをしたいが為に
女王を殺したのだという噂が、まことしやかに流された。
フェンドリーゼの居場所はもう魔導王国にはない。
彼がその手で破壊した。
それが、彼の掴んだ果ての“最善”の結末だったのだ……。