RECORD
Eno.23 透の記録
それはつい昨日の事でした。恥ずかしながら私には過去という概念は無く、それを昨日の事と表すのが精一杯なのです。ですからそれは昨日の事でした。それより前であろうが後であろうが厳密には数年前であろうが――私には全く昨日の事だったので御座います。
灰色を塗りたくってすっかり重くなってしまったカンバスの様な空に、真っ直ぐ突き刺さった鉄塔の天辺を私は目指しておりました。しかし唐突に真っ逆さまになって落っこちてしまったようで、気付いた時にはあの魔女の掌の中だったのです。
やれやれ塔が遠ざかったかと思えば目の前には人の顔があったものですから驚きました。魔女は私には随分大きく、しかし今となっては小さかったと形容されるべき唇で話すのです。
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例えば星を擦り合わせたらこんな音が鳴るのではないかなと思う、そんな声でした。か細く鋭くそれでいて鋭利でない。透き通るガラス片にも似た声で続けるのです。
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別の塔などあるものですかと私は思いました。ですが話せる唇なぞ全く持ち合わせておりませんでしたから。そしてその時の私は頷くという行動も知らず、更に言えば思考する言葉すらあやふやだったのです。今こうして思い返し曖昧なそれらを私は何とか形容しているに過ぎません。それが正しいのか今になっても私はちっとも分からないのです。
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そうして魔女は私を放り投げたのです。
再び謎の浮遊感が私を襲い、次に触れたものがあの掌でなかった事は確かでした。その後は、その後の私は――
――嗚呼、私はてんで覚えていないのです。



覚えてる?
昨日、灰色鉄塔にて
それはつい昨日の事でした。恥ずかしながら私には過去という概念は無く、それを昨日の事と表すのが精一杯なのです。ですからそれは昨日の事でした。それより前であろうが後であろうが厳密には数年前であろうが――私には全く昨日の事だったので御座います。
灰色を塗りたくってすっかり重くなってしまったカンバスの様な空に、真っ直ぐ突き刺さった鉄塔の天辺を私は目指しておりました。しかし唐突に真っ逆さまになって落っこちてしまったようで、気付いた時にはあの魔女の掌の中だったのです。
やれやれ塔が遠ざかったかと思えば目の前には人の顔があったものですから驚きました。魔女は私には随分大きく、しかし今となっては小さかったと形容されるべき唇で話すのです。
「きみは白蟻では無いのね。」
「彼等は己が鉄塔を蝕む虫である事を知らないのよ。」
「そうしていつかあれは倒れてしまうわ。」
例えば星を擦り合わせたらこんな音が鳴るのではないかなと思う、そんな声でした。か細く鋭くそれでいて鋭利でない。透き通るガラス片にも似た声で続けるのです。
「けれどもここはもうダメだわ。」
「きみは別の塔を目指しなさい。」
「丁度良いものもあげるから。」
別の塔などあるものですかと私は思いました。ですが話せる唇なぞ全く持ち合わせておりませんでしたから。そしてその時の私は頷くという行動も知らず、更に言えば思考する言葉すらあやふやだったのです。今こうして思い返し曖昧なそれらを私は何とか形容しているに過ぎません。それが正しいのか今になっても私はちっとも分からないのです。
「もっと高くもっと強い塔を目指しなさい。」
そうして魔女は私を放り投げたのです。
再び謎の浮遊感が私を襲い、次に触れたものがあの掌でなかった事は確かでした。その後は、その後の私は――
――嗚呼、私はてんで覚えていないのです。

「……俺には、あなたが」「分からない。」

「あなたは」「俺を知っているの。」

「…………」「俺の」「事、」
覚えてる?