RECORD
*寸陰たる火

「赤医者。状況は?」

「悪い、以外に形容の仕方があるのかね教皇聖下。
盲に加えて目暗がりになったなどと宣うならば可愛らしい事だが」

「いいやまさか。アンタは知らない様だが、折り悪く愛らしさとは無縁だ」

「…………あ、あのぉブリント神父もお医者様もその程度でえ…」

「何のことだか」
大変に居心地の悪い空間がそこにはあった。
胡散臭い笑みを固める神父と不遜な態度の赤い医者と名乗る人間。この医者は騒動が始まってから直ぐに鎮圧への協力に自ら名を挙げたのだが、如何せん教皇を前にしてこの態度である。
教皇も無礼だけを理由にして人を疎む質では無いものの、ただただ二人の仲と相性が悪いのだ。
ジュヘナザートからしても傍若無人である事自体はまだ許容が出来るのだが――理不尽にも思える博愛主義には、正直なところ嫌悪感が先立つ。
彼女の博愛ならば敵意や嫌悪ですら理解し受け止めて好意と愛情を以て返すのだろうが、それすら考えるだけで薄ら寒さを覚えるものだった。必要が無ければ関わり合いになりたくはない。

「下層の被害は甚大だな。建物の倒壊や地盤の悪化――はまだ良いが、何よりも人間が問題だ」
騒動が生じてから数日、原因と被害の調査に関して言えば難航していた。
荒れた都市は平素以上に移動しにくく、異教組織に所属しているだろう外套を纏った集団と仮にも戦闘組織である傭兵の敵対。
それに加えて状況に錯乱し暴れる者や火事場泥棒の便乗者、そして肉の触腕。元より治安など吐いて捨てている都市だが一層とその理性を失っている。
下層の聖域と呼称する教会の派出所に立て籠もりながら地下都市内外の協力者を募っていたが、少し外を出歩けば会敵の避けられない環境に対して教会の戦力は不足していた。
特に平素こそ一部の傭兵を雇用し補っていたが故に、その一部を買収された事はあまりにも手痛い。こういった数々の障害を前にして調査は遅々としていた。
この時点で既に、下中層に分配している他の派出所にも被害は及んでおり連絡の絶えた場所もある。既に助からぬ同職もいるだろう。
……仮にも同胞とも言える者たちが、救うべく民衆が殺され尚も安全と生活が脅かされているという事実に、どこか薄膜一枚隔てたものを感じていた。水中に浮かぶ水泡だとかカーテンで隔たれた様な淡い非現実感。
闘技世界で知り合った修道女の中には邪教徒、所謂ところの異教側であり己と教えに従って正教と戦う者が居たことは記憶に新しく、ある意味で反転した立ち位置ではあったが身に起き得る事として、危機感を以て話を聞いていたかと言われれば別でもある。
彼女とは友人として親しくしていたつもりもあったし、敢えて言い訳として使うのならば異世界の話だったのだ、それは。
今となれば決して他人事ではなく明日は我が身とも成り得る筈なのだが、いまいち実感が湧かない。事態を野放しにして良いとも思わないが、それは無惨に散った者への報いや報復の念から起こるものではなかった。
早くこの騒ぎを終わらせて、唾棄するような日常に帰る事ぐらいしか望んではいない。元あった最低限の秩序を再度波及させる事を除いて興味は無い。それまでに賭されるだろう命に関してはご愁傷様としか言いようが無いのだろう。
強者に弱者が淘汰されるのが自然の理であり、弱者へできる限りの手を伸ばすのが教会であり、然して取りこぼすものだ。
死にたいとは思わないが。希死念慮はそこに無いが、仮に自分が殺されたとしても――

「じきに中層にも本格的な被害が及ぶだろうな。ったく、付け焼刃の割にゃ相手共の結束が固いぜ」

「何せ相手も宗教だから……いや。あそこまで行くと最早洗脳を疑うぞ私は。
ぽっと出の組織が死兵を作れるほどのカリスマを集められるとは思えん」

「……宗教の礎とも言える存在――『母』に対して異常な執着を見せているとの報告が上がっています。
外套の集団に留まらず買収された傭兵及び、一部の住民にも……です」

「異常だな。それだけの影響力があったとして、今まで表層化しない方がおかしい。
そうじゃなくとも、都市の地形に与えている影響がデカすぎる」

「人間の所業、と思わん方が良いだろうな」

「…都市怪異か」

「……」
人間と異能たる病に聖なる祈りと邪な呪い。その他幾つかの不可思議が跋扈する都市であるが、その不可思議の中に人間から逸脱してしまう存在があった。
意思を持った事象、何らかが原因でヒトとは呼べなくなった存在、そして病のなれはて。
市に住まう人間が異能と言う名の病を恐れる理由の一つであり、共通して齎す災いと被害が甚大である。
都市災害とも呼ばれるそれらは誰しもが成り得る可能性の末路であり、それ故に忌み嫌われる存在であった。
急性的に掌握された人心と、三層から成る都市の下層が受けた被害の大きさからして――最悪の想定としてありえない話ではない。寧ろ、そうあってくれた方が道理であるとすら思える。

「都市怪異の被害としては妥当です、があ…… 、件の組織が手引きしているにしては聊か
指向性が足りない様にも思えます。事実、怪異の浸食は都市全域に及ぼそうとされているみたいですから。
教会への敵意が偏執、ひいては怪異となる引き金になったと考えるには……」

「怪異と組織に関連性があったとしても目的が合致していない可能性はあるだろう。
其処に都合が良いのが居たから利用していると考える方が自然ではないかね」

「問題は、これだけの影響を齎している怪異がまだ見つかってねえって事だ。
異教共の頭も叩かにゃならねえが、アレはどうにも自滅的だし……
であれば目下の脅威はあっちになる。今回は放置してやり過ごすのも看過できねえし」
病のなれ果てである怪異は破滅が約束されている。燃えては尽きる劫火の様に周囲を巻き込むだけ巻き込んで、大体の場合は肉体が持たずに消失する。
つまりは一過性であるのだが――今回の場合は被害の範囲と速度からして、放置をしていては怪異と都市の何方が先に致命傷を負うか分からない。今できる事と言えば、騒動の元凶究明とその鎮圧である事に変わりはなかった。

「今は、情報が出揃うのを待つしかあるまいよ。
何れにせよ諸元が見つからねば軈て窮する事に変わりはあるまい……雲隠れする相手を探すのは面倒だ」
私も足で情報稼いでくるとしよう。医者がそう言うのを皮切りに、各々の作業へと戻る。
ジュヘナザートはその背をただ眺めていた。
***
……それから約二週間の後に、此度の首謀者である下層孤児のニエ・サドラック及び都市怪異孕むものが断定される。
ニエ・サドラックは怪異との戦闘直前、怪異の手によって殺害された。
残る怪異は教会側に着いた一部都市の住民、並びに異世界からの力添えを得る事によって撃破。
のち。
異教組織である『帰々回々』及び買収されていた傭兵の総てを、後始末として残った傭兵によって処刑。
これは教会の意向ではなく、都市に害を及ぼしたが故の民意であった。
地下都市下層はほぼ壊滅状態。
死者の数は計り知れる事の無く、遺体は緊急的対応として下層の一部区画ごと焼却される事となった。
残党に関しても処理が行われるか逃げおおせるか。
いずれにしても騒動は終わりを迎える事になる。