RECORD

Eno.253 クァリの記録

フォルマリュネ

いわゆるアパッチ・ピストル無法者の銃
お守り代わりに持ち歩いていたが、闘技場にて再び陽の目を見ることとなった。

しばらく名前を決めあぐねていたが、やっと与えることができた。








彼女が初めてそれを見たのは、確か七歳の時だった。

泥と見分けのつかない有様の、灰色の旅人。
酷い雨から逃れてきたのか、彼女の家の玄関で倒れていた。

恐る恐るその肩を揺すると小さな呻き声が聞こえた。
慌ててキッチンに戻り、おやつに取っていた焼き菓子を口元に押し付けると、旅人は少し困惑した様子ながらも齧り始めた。

旅人は、長い耳と灰色の肌の持ち主だった。
元気を取り戻したその耳長に、彼女は矢継ぎ早に疑問をぶつける。

あなたはエルフ?どこから来たの?どうしてそんな色なの?

旅人はどの質問にも、微笑を浮かべたまま曖昧に首を振るだけだった。

……しゃべれないの?

旅人は肩を竦めた。

その後も彼女は拙く淹れたお茶を振る舞ったり、お気に入りの絵本を見せたり、長い耳に触れようとしてやんわり断られたりした。

やがて雨が止み、陽が差す。
虹がかかっているのを見上げ、旅人に教えてあげようと振り返る。

しかしそこに灰色はなく、あるのは乾きかけの泥だけ。
ありがとう、と嗄れた声が聞こえた気がした。

この不思議な出来事について、帰って来た両親に興奮気味に伝えたが、まともに取り合ってはもらえなかった。






二度目。あちらが気付いていたかはわからない。

十数年が経ち、彼女は進路について悩んでいた。
種族間紛争、空白の歴史、未だ根強い偏見、解決への課題――
そういった知識は、ただ試験をやり過ごすためのものでしかない筈だった。のに、なぜか彼女の心をどうしようもなく揺さぶっていた。
さっさと卒業して、それなりの仕事に就いてしまうつもりだったのに。

月のよく見える晩、人の気のない橋の上でぼんやり考えていた。
その肩を叩いたのが、灰色づくめの耳長種だった。
彼女が身投げでもするのかと思ったらしい。

勘違いを詫びて去ろうとする耳長を、彼女は内心の興奮を隠しながら引き留める。
お人好しな耳長は、彼女に自身の事を語って聞かせてくれた。
照明のような月明かりの下で。

傲慢な耳長種と、狡猾な人間の諍いがあったこと。
愚かな両者を呑み込んで、三日三晩燃え続けた森のこと。
その土地は実在し、今では豊かな農耕地帯になっていること。

全員焼けてしまったのなら、この灰色の語り手は何者なのか。正面から問うと、それは秘密だと耳長は悪戯っぽく笑ってみせた。

それから、意を決して以前会ったことが無いかと訊いたが、耳長は申し訳なさそうに首を傾げるばかりだった。

遠くの空が白む。いよいよ去ろうとする耳長に、名を尋ねる。

「おれのことはクァリって呼んで」

男とも女とも、若いとも老人ともつかない声で、灰色は言って、そしていなくなった。










屋根の上で、空を見上げる。

月はチーズで出来ている。

好きな寓話のひとつだった。
まさかここに来て、月といくらかの縁ができるとは思わなんだが。

薄い雲が晴れ、月明かりが夜の黒色から灰色を炙り出す。
それがどうにもスポットライトのようで――屋根の上から逃げ出した。