RECORD

Eno.849 ベルガルド・リュンクスの記録

眉間の皺のデコ山猫

「デコ助、気分はどうだ!
 我らのフラウィウスへの出発日が決まったぞ! 来週だ!」



 俺が捕らえられて数日で渡航の予定は立った。元より組んでいた予定に少々の変更を加えただけだからか、やけに話が早く進む。
 予定していた道連れが家臣から暗殺者になったところで大した影響は無かったようである。
 ……それは、問題ではないだろうか。

「という訳で不意を突いて今日発つ」


「は?」



 斯くして、爆速で俺の船旅が始まった。始まってたまるか。俺自身の身支度は獄中の身につき、元より殆ど無いようなものだが急過ぎる。
 訳の分からぬ内に乗せられたが、俺には牢でなく船室が与えられていることは幸いと言える。……幸い過ぎはしないだろうか?

「敵を狂わすには早め早めの行動だ。
 奴らが気がついた時には既にせっかちな俺はもう居ないのであった〜!」



 王子は相変わらず何を考えているのか分からない。何も考えていないのかもしれない。そうであれば、この答えの出ない無意味な思考時間も終わらせられるのだが。

「敵、居んのか?」


「さあ。居てもおかしくはないと思うぞ。家臣一人切った後だしな」


「お前さあ。なんでそんな警戒してんだ?
 お前の王位継承権は第十位だろ? 狙うならお前よりもっと上が居んだろ」


「んー。俺ってば王宮で一番可愛い王子だし? モテモテで困ってしまうな! ま、その話は追々」



 はぐらかされた気がする。
 俺は王宮の内部事情にはそれほど詳しくない。このお子様が暗殺者を家臣にしようとする割に用心深い理由は気になった。
 厳密には、王宮内部への警戒が強いと言うべきか。そんなに敵の多い宮廷生活を送っているのだろうか。
 素早く渡航の手配ができるあたり、全くの孤立無援ということもなさそうではある。

「しっかし、殺そうとしてきた相手を枷の一つも無しに放流するなんざどういうつもりだ?」



 そう。俺は今、何の身体制限も受けていない。丸腰とは言え無防備すぎはしないか。
 武器がなくたって大人が子どもの首を絞めることぐらいはできる。……俺がこの王子に出来るかは置いておいて。
 助かる保障は無いが海へ逃げることだってできなくはない。

「なんだなんだ、縛ってほしいのかこの変態め……」


「死ぬ気かって聞いてんだ」


「お、暗殺リトライするか? 一度派手に失敗したお前に誰が報酬を支払うのか知らんが」


「やらねえ。けど、俺みたいなのが他に湧いたらどうするんだ? まさか逐一家臣にする訳じゃねえだろ」


「いいなそれ。面白そう」


「乗り気になってんじゃねぇよ」


「そうだなあ。生け捕りした上で服従させなきゃだからな。
 お前みたいに毎度そう上手くもいかないだろうし……倒すしかないなー」



 どこか憮然たる面持ちで王子は言った。この子どもはどこまで本気で言っているのか今ひとつ掴めない。
 なんで俺はこんなに信頼を受けているのだろうか。疑いもなく“上手くいった”と思われてるのも不気味だ。弱いからと言ったって、それは王子から見た話だ。一般的な話として、寝込みを襲えば流石に仕留められるんじゃないか。
 王子は対策を講じた上で話しているのかもしれないが。

「お前を引き入れたのはタイミングの都合もあったんだがな。早い内に誰とも繋がってない人間を傍に置く。
 それで周囲のペースを乱し混乱を起こせたならば上々だ」


「……へえ?」



 考え無しの酔狂というわけではないらしい。少なくとも無垢な慈悲から助けたわけではなさそうだ。
 たかが子ども、されど王家の子。高を括ってコテンパンにされた俺としては底知れぬものを感じさせられる。

「でも実現出来たら楽しそうだよな! 元暗殺者だらけの俺直属部隊!
 案外、家の外の繋がりを作るのに手っ取り早いかもしれん」


「やめとけ」



 信用に足る相手か見極めるのに難儀するにも程がある。尤も、それは相手が誰でも起こり得る話か。

「デコ助も折角俺とお近付きになったんだし、そろそろ名前を教えてほしいぞ。俺は」


「必要ねえだろ」


「必要だわ。つれないなお前。俺に負けたこと根に持ってるのか?」


「そんなんじゃねぇよ……」


「気にするなよ。俺はお前には勝てたが、お前の筋が読めただけだ。
 これから向かう地で鎬を削る数多の武闘家の前に立てば足下にも及ばん」



 俺の面子を潰しておいてよく言ったものだ。これから数多の武闘家とやらの中に放り込まれる俺の将来が思いやられる。
 勝ち星を上げられるならそれは生き延びた回数とも言えるかもしれないが、果たしてそんな夢のような景色を拝めるのはいつになるやら。自分の不始末から生まれた顛末と言えど、先を想像するほど憂いを帯びる。

「彼の地でお前は強くなるぞ。俺よりな。そしてその力は他者を守る力になる」



 思わず王子の顔を見た。青藍の眼はまっすぐこちらへ注がれている。2、3度瞬きをする間にも、その双眸は逸らされることが無かった。
 思い過ごしだろう。よもや、胸の内を読まれでもしたなどと。

「……俺がお前の言うことを聞いてんのは死なねえ為だ」


「だが、やるしかない訳だ。で、名前は?」


「しつけえな」


「アレか、裏社会の人間らしく《眉間の皺のデコ助》とか字名が付いてるタイプか? ん?」


「んなだせぇ字名付いてねえよ」


「じゃあカッコイイ字名は付いてるのか?」


「……いや……」


「あるんじゃないか!? 言え!! 俺の即席センスを凌駕する裏のナイスネームを!!」


「なんでそこ食いつくんだよ!!」



 その後攻防することおよそ一時間。事ある毎にカッコイイ字名を尋ねられ、さっさと呼び名を与えるのが早いかと折れた頃。

「……ベルガルドだ。ベルガルド・リュンクス」



 辟易とくたびれて名乗った俺を前に、王子は瞳を煌めかせた。

「ベルちゃんだな!!」


「よりにもよってベルちゃんって何だクソガキ!!」



 こうして嘗て《山猫》と呼ばれた男は、首輪付きの家猫ベルちゃんになったのであった。
 尚、ここで伝えたフルネームは忘却され闘技者名は「ベル」で登録手続きされる羽目になるのだが、それはまだ俺も知らない話────