RECORD

Eno.263 ユビアサグラーダの記録

覚醒

*


昔、母さんが生きてた頃、たまに家に来て色々と恵んでくださる方がいたんです。

仮面とフードで顔は見えなかったけど、随分いい身なりの方で。寝たきりで何も話せない母さんにも、随分良くして貰えました。

その方がよく言ってたんです。
このままでは、この国に先はないって。

意味はよく分かりませんでしたし、彼も僕の様子を咎めることはありませんでした。


でも、今なら分かる気がします。

その人は暫く前に『事故』で死んでしまって。
国の外に、恐ろしい魔王がいると噂になって。
皆が恐れているのに、兵や騎士は身内同士で争いはじめて。
戦いの中で──誰にも顧みられずに、苦しんでる人がいて。

僕は子供だったから、てっきり全部魔王のせいだって、それさえ居なくなれば、全部良くなるんだって。
思って。
それで……


……。


…僕らが住んでいた壁沿いの端には聖堂も駐留所もなくて、基人も亜人も、皆同じように貧乏で、生きるのに必死で…だから、旅に出るまで気づかなかったんです。

魔王を倒しても、何も変わらないんだって。
皆が苦しんでいた原因は彼じゃなかったし──こんなに頑張ったのに、リンドさんは英雄になれないんだって。


……亜人だから……
………邪魔だから、ヒトじゃないから、帰っても、殺されてしまうから………


……ごめんなさい。
ずっと隠してて、ごめんなさい。
嫌いになりましたよね。
僕は、あなたの大事な人達を殺した側の、人間だから…


…どんなに謝っても、気持ちは晴れないかもしれないし、信じて貰えないかもしれないけど。

僕は、リンドさんが大好きです。
強くて賢くて、世間知らずの子供も放っておけない…誰一人認めなくたって、あなたが僕の勇者です、から。
だから、この世の誰より幸せになって欲しいのに…今のまんまじゃ、叶わない…


だから僕は、彼の力を借りようと思います。

前に言ってましたよね、これからぼろぼろの国を建て直すのに、勇者の功績は役に立つって。
僕、ちゃんと勇者をやります。国の皆が安心できるよう、身を粉にして働きます。偉い人の伝言だって、代わりにいくらでも伝えます。


──皆が僕の言うことを、王様より神様より、心の底から信じてくれる日が来るまで。


こんなこと、絶対に許されないのは分かってます。
でもそうでもしなきゃ、あなたが、幸せになれない…
……相棒がただ道を歩くことすらできない平和なんて、僕、いやです。


だから、ごめんなさい。
ここまであんなに守ってくれたのに。
あなたのために、悪者にならせてください。



…討伐の報告を送ったら、じき、国の追っ手が来ます。

あなたは早々に魔王に殺されて、長く戦ううちに、残らず消化されちゃったんです。
そう、伝えます。

どうか、逃げてください。


…えっと…これさえあれば、ひとまず逃げられるはずです。素性は分かりませんが、招待状のようなのです。
モノマキア、とかいう…闘技場が、開くのだと書いてありました。

本当は僕宛て・・・のものですが、僕のものならば、譲渡もできるはずです。
…大丈夫です。戦いの場ならば、きっとリンドさんの方が相応しいでしょうし。



…へへ、こんな時まで心配してくれるんですね。
でも、この一年と半分で、僕も随分背が伸びたし、1人でも野宿もできるようになりました。多分、勇者だって1人でやれます。


だからもし、これから行く場所が、リンドさんが幸せに暮らせるような夢みたいな場所だったら、いっそ帰ってこなくても大丈夫ですよ。

二度と会えなくたって、遠くで幸せでいてくれたなら、それだけで僕はなんだってへっちゃらですもの。


それでも、そこが期待外れの場所だったら困りますから──
あなたが帰ってきても大丈夫なように、少しでもこの世界を良くして、待っています。


……ああ、始まってる。異世界へ行くのに、そうやって移動するんだ……
そんなにもがいてたら危ないですよ。わあ、手だってもう透けてる。


…どんなに遠くたって、僕はリンドさんの相棒みかたです。


…………行ってらっしゃい、相棒。あなたに、幸あらんことを!



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「…」



「…はあ……」



「……そんな事言われたら、居残るなんてできないでしょ…あの馬鹿…」




夜闇の匂いが濃い。
虫のさざめき、木々のざわめき、伝わる床石の冷たさまでもが、鮮烈な感覚となって体に伝わる。

いまだ神代抜けきらぬ、旧い世界。
帰ってきたのだと、これが現実なのだと、痛いくらいに実感する。


「…あんな言っておいて、自分で敵のひとつも倒せないくせに」



「握る剣もなしに…何が一人で勇者だ」



「………君だけ、汚させやしないから」




いずれ明ける遅い夜。黒い鋼が月光を受けている。
浮かぶ空の巡りだけが──あの島と同じ。


最早魔王も勇者も消えた城から、名も無き剣が歩み出す。
かつて辿った道を遡る。


汚れ仕事の最後。目指すはあの国に巣食う、悪なるすべて。




「やろう、カンノーレ。一緒に、魔王を殺そう」