RECORD

Eno.312 ムサシボウ ベンケイの記録

幕開:序

 


「―― 何?いとまを得たい?」

発せられた言葉には、驚きが滲んでいた。

そこは一室だ。

主に木造で作られている様ではあるが、木から成っているというのに、
その一つ一つが豪奢な印象を抱かせる。
形状一つ、意匠一つ、明らかに熟考から成るカタチであり、
それらを更に引き立てる様、煌びやかな障子や絵画が散見する。

言葉を発した主は、座してそこに在った。
部屋に相応しき衣を羽織って。



「意を決する様であった故な、何事かと思うたぞ。
 よいよい、許す。
 ただでさえこの世はもぬけの殻の様よ」

声色はおだやか……というよりは、気だるげに。


「幾人かの目が有れば事足りよう。
 何人なんぴとかを連ねるか?―― ベンケイよ」



ベンケイ――、……地にこすりつける様に上体を追っていた男は、
「ハッ」、と言葉を漏らした後、頭を上げた。
体を折っているというのに、その身は対峙する相手よりも二回りは大きい。

……まるで大岩のようだ。

ベンケイ
「ご厚意、かたじけなく思いまする、ヨシツネ様。
 しかし、……恐れ多くも、拙者の暇に過ぎませぬ故、
 その厚意だけ、受け取りたく存じまする」

ベンケイの物言いは、ヨシツネと呼ばれた男よりも随分と堅苦しい。
或いは、ヨシツネが目上に見られ過ぎているといった所か。
二人はこれまた豪奢な卓越しで、言の葉を紡ぎ合っている。

それもその筈。この二人は主従関係にある。
ベンケイはヨシツネに仕える一人の武人であり、
ヨシツネはこの国――、……ジパングの一端を担う位置に就いている。

ベンケイにとって、ヨシツネは遥か彼方雲の上の存在。
そして、ヨシツネにとってベンケイは、己が国を守護する駒の一つに過ぎず、



ヨシツネ
ジパングの一端を左右する地位に就く男。
かつては己も武器を手に軍を率い、大戦を戦い抜いた。
その後は戦後処理から、復興に尽力している。

更に上位に座する兄を持つ。
 




ヨシツネ
「そうはいかぬ」

首を振った、ゆるりと横に。座したままの姿勢で。

ヨシツネ
「ベンケイ、知り得ておる筈であろう?
 其方は従者であるより前に、私にとって"友"であると。
 …………故に、其方が十全でなければ私の気は済まぬ」

そう言えば、ヨシツネは卓へ肘をついた。
そして肘を軸にして、座したままその身をベンケイへと傾けて。

ヨシツネ
「他に何がいる?
 金か?武具か?酒か?華やかな女は、……其方の望む所では無いか。
 まぁよい。見ての通りよ、ベンケイ」

……ヨシツネの様子を、物言いを。ベンケイは小難しい顔で後頭部を掻いた。
これが己が主なのだから、従者としては御礼の極みである。
こちらが望んでいないというのに、己の気が済まないからと持ち出してくる。拙者部下なのに。

しかし、ベンケイがヨシツネに小難しい顔を向けたのも事実だ。
主の厚意を受け取らない――、……それもまた、従者としては望ましくは無く。


ベンケイ
「…………無論、存じております。
 然して、拙者の望みは一時の暇ただ一つ。
 ヨシツネ殿もまた、理解しておられるのではありませぬか」

やはり従者としては不適切だ、その物言いは。
だがベンケイには確信がある。この物言いでも問題無いという確信が。
だからこそ――、


ヨシツネは、ハァと息を漏らして。
ベンケイへと傾いていた体は、逆方向――、後方へと。
力無く肩を下ろしつつ。

ヨシツネ
「………………やれ、知り得ておるわ。
 其方の欲はどこまでも慎ましい。語られた言以上は無きであろうよ。
 嗚呼、……知り得ておるわ」

従者を友と語る道理は伊達では無い。
そして、浮かべるのは「こうなっては頑なよな」、という言葉と苦笑のみ。
……ベンケイとの地位の違いを思えば、権威のままに従わせることは出来るのだが。

ヨシツネ
「心得た。……ならば、そなたの言の通り見送るとしよう。
 しかして、違えるでないぞ。ベンケイよ」

だが、成さない。従わせない。
ヨシツネはベンケイの紡いだ言葉のまま、その意志を享受するだけ。

そして、フッと笑い、頑なな『友』を見据えて。

ヨシツネ
「私もまた、そなたを手放す気は無い。頑ぞ。
 そなたが望まぬとも友と呼び、その道を彩ってみせよう。
 そなたの生命後もな。……それこそがこのヨシツネの望み」


ヨシツネ
「―― 努々忘れるでないぞ、ベンケイよ。
 そなたは"その目と引き換えに、私の命を繋いだ"のだからな」



対峙するベンケイは、目を点にして。……二つの眼の一方で、隻眼で。

ベンケイ
「安いモノだと、何度も申しているではござりませんか」

ベンケイもまた、笑った。
釣られたモノではない。偽りでも、また。本心から。

ベンケイ
「主を守るは従者の務めでござります。
 ……それに、ヨシツネ殿に不幸の時間以上の何ぞかが
 降り注ぐことを良しとする訳にはいきませぬ故、」

添える、目に己が手を。光を失った目を。

ベンケイ
「ヨシツネ殿が、
 心を痛める必要は無きでございまする。

 然して、」
 



ベンケイ
「―― その御心。まこと有難く、頂戴致しまする」
 
 

そう言えば、上体を折り、再びその場に額をこすりつけた。
なんと有難きお言葉か。……なんと申し訳無きお言葉か。
頂戴する他ない、万感の感謝と共に。ベンケイにとっては常の如く。


己は頑なだ、その自負はある。ヨシツネの地位を思えば非礼であるということも、また。
ある意味では異端であるし、"異端であることを心掛けている"。
悪意無き己が望みであれば、幾らでもヨシツネは気を払ってくれよう。

……だが、それに甘える訳にはいかない。当然として良い筈が無い、断じて。
ベンケイもまた、ヨシツネを友としたいが故に。
その心に応えたい、共に在りたいと思うのは、ベンケイもまた同様であった。


斯くして、ベンケイの暇はベンケイのみぞで迎える運びとなった。
迎えた暇で、果たして何を成すかを……、ヨシツネは問わなかったが。

瞳を失わなければ、と思ったことは一度も無い。一度としてだ。
主の命を繋ぐことが出来たのだから、僥倖といえよう。



それに――、