RECORD
幕開:中
ヨシツネとの謁見から数日の事だった。
ベンケイが居とする屋敷に、その者が押し入る形で現れたのは。

「―― ベンケイ。
貴様、どの様な了見だ」
詰まる所、笑って済ませてくれる者だけではなく。

「貴様、またヨシツネ様のお言葉を遮ったと聞いたぞ。
それも己の暇のためだと?
職務はどうした。手隙ならば幾らでも仕事を与えてやるが?」
腕を組み、嫌悪感を露骨に醸し出している。鋭い眼光で。
気の弱い者ならば、逃げ出してしまってもおかしくない剣幕だ。
…………要らぬ反感を、招き兼ねないともいう。
屋敷に押し掛けられ、呼び付けられたベンケイはこの男の眼前であるのだが。

「そうであろう、と思ってござりました、ヨイチ殿」
いや相手はしている。しているのだが……。

「ですが、拙者もまた退けず……。
逃したくないとするが適切でございましょうか。
ああ、いえ、……どちらでも言い訳の様に聞こえまするなぁ……」
向けられた嫌悪感や、剣幕にはぜーんぜん見向きもしていない。
臆する事なく、思う事無く。そちらに対しては全く気を留めずに。

「逃す、だと?度し難いな。
ヨシツネ様と共に在る事よりも、逃せぬモノがあると?
そう言いたいのだな?ベンケイ」

「うーむ。
ヨイチ殿らしい考えでございまするなあ」

「貴様は頑な過ぎる帰来がある。
…………私もまた、その頑なに助けられた一人ではあるが。
駆ければ良い訳では無い。戦地で無ければ尚だろうよ」
己の望まぬ事を指摘した。……ベンケイに望まぬ事を。
ただの苦言では無かった。呈する道理も添えていて。

ヨイチ
ベンケイと同様、ヨシツネに仕える従者の一人。
力強い物言いは恐れ知らずとも言え、
どの様な相手を前にしても、己が意思を射通す意志を持っている。
弓の名手であり、その目は幾度と無くヨシツネの道を見通した。
……時には、ヨシツネですらも。或いはそれより上であっても。
射られた一矢の如き言の葉は、
幾度と無く混沌を射貫き、今日へ至る。

「何を逃そうとしている、ベンケイ。
ヨシツネ様はそこまで知ろうとはすまい。故に私が問おう」
だからこそ、ベンケイは「あー、……」と、吃音を漏らした。
ガサリガサリと後頭部を摩って。

「……恩人に、今一度見える事が出来るやも知れぬのです」

「恩人、」
思考のための間が、一抹流れた。

「…………以前語った、『桜の君』の件か?」

「 "桜を見る度に思い出す方" に、ござります。
ヨイチ殿らしい風流な言い回しだと思いまするが、
拙者には不相応ではございませぬか?」
ヨイチは時折こういった面を見せるが、この御仁は出自は貴族にございまする。
遥か、……2、3年だったか。或いは更に先か。
共にヨシツネと駆けた――、化け物たちとの闘争の日々を経た存在だ。
故に、共に過ごした時間は決して少なくない。
互いについての言の葉を交わしたのは、夜だけでも数え切れない程に。
だからこそ、ヨイチは知り得ている。
ヨシツネも同様だ。仮にこの件を共有すれば、すぐ様思い当たる事だろう。

「違いない。
風に靡かれるに無縁であるモノな、貴様の身は。
……然して、『出来るやも』は見過ごす訳にはいくまい」
ビクともしない訳にはいかない時もあるモノで。

「貴様、これまで何をしていた。
矢文程度は射ていたのであろうな?」」

「………………」

「おい、」
だからその年になって独り身なんだ。
三人寄れば文殊の知恵。人間二人で婚約可能。三本の矢。
尚、ヨイチ殿には奥方がいらっしゃいまする。お綺麗です。

「あの、…………その……」
要因は理解しているが、言い難い。語り難い。
同居している、語る事と躊躇いが。

「……機会はあれど、魔戦の最中でござりましたから」

「……ふむ」

魔戦
正式には『源平魔戦』と呼ばれる、ヨシツネ達の闘争の旅の本懐。
妖怪と呼ばれる化け物と、
彼らと手を組んだ人間達との数年に渡る戦いの名。
だが、今は閑話休題。魔戦がベンケイに齎した不幸を語ろう。

「漸く、漸く……欲望と言いまするか、
己の望みの従っても良いやも知れぬと思い至ったのでござりまする。
幸い、拙者は政治に疎いですから」
ヨイチ、ヨシツネ。そのどちらも、この国の政治に触れる立場にある。
だが、己はそうではない。
己を突き動かす"教え"に込められた信頼と敬虔を自負しているモノの、
ベンケイの出自は農夫だ。……政治に触れる機会は無いと言って良い。
本来であればヨイチと言葉を交わす事すらなく、
ヨシツネと顔を合わせる事すらも出来はしない。遠目に姿を見る程度か。
…………だが、
対するヨイチの眉が、釣り上がった。不快を示す所作。
一歩ベンケイへ歩み寄る。"本来は決してあり得ないコトの中で"。

「阿呆が。
世に政治は必要であるが、全てを賄う事は出来ぬ。
……強大な力には、御するための力が必要だ」」

「"武人"とすれば、そなたの右に出るモノは最早僅かだ。
そしてその力は失われてはならず、
命ある限り、強大な存在としてこの世で立ち塞がるべきだ。
分かるか?」
逃すつもりなど無い。―― 認めるつもりなど言わんばかりに。
ヨイチの言葉は、ベンケイを捲し立てるだけのモノではない。

「―― 貴様は、この国に必要だ。
だが、なんと脆きモノよ。政治という戯言を連ねた所で、
貴様が身を振るえば容易く薙がれてしまうだろう」
ヨイチは、ベンケイの武力を高く評価している。
それこそ、このジパングにおいて頂点である、とも。
言葉では僅かとしたが、……それは気恥しさから来るモノである方が正しい。
無意味だ、言葉など。眼前で振るわれる圧倒的な力に比べれば。
長きに渡りベンケイの力を見た。助け、助けられた。
だからこそ、悪態を付いてでもこの男を卑下させる訳にはいかない。
ヨイチは貴族の出だ。農夫の手の届かない地位。
そして、ヨイチ自身も少なからず『思ってしまう』。地位の低い存在だと。
だが、……"否定する"。己を。ベンケイを見下ろす事を。
―― この男を世に認めさせねばならぬ。
とてもではないが、容易く失える男ではあるまいよ。
ヨシツネが"友"と語るは良し。しかし、自分もそう呼んで良いモノだろうか。
幸い、長い時を共にしたという一点が意思を支えるに至っているが、
ヨイチ自身は役不足だと考えている。ベンケイにとって、己自身を。
……正に、痛み入る。
古傷が懐かしさを覚えると同時に、想いという名の薬が塗り込まれて。
ヨイチは悪人でない。時折厳しい物言いを成すだけも。
だが、それは己が出自から来るモノ。使命といっても良い。
己が成すべき事を定め――、射止めるのがヨイチという男の在り様だ。
ベンケイは知り得ている、あまりにも。
故に、その場で会釈して。

「大変。……大変、恐縮にござりまする。ヨイチ殿。
拙者はまだまだ未熟の身。
これより先も、修練を欠かしませぬとも」
想いに報いなければならない――、決して義務からではなく、己が意思で。
ベンケイにとっても、ヨイチは友なのだから。
……辛辣、冷淡。然して、ヨイチ自身は彼の語る言葉にどれも当て嵌まらない。
詰まる所、"甘えが無い"。彼が彼自身び指摘される事は無い。
自分には甘いとする者も存在するだろうが、否だ。残念ながら。
何より、当人が――、ヨイチ自身が甘える事を良しとしていない。
誰よりも己を律し、気高くある証がこのヨイチの姿なのだから。

「ヨイチ殿にこれ程言わせてしまっては、
拙者も気を引き締めねばなりますまい」

「ふん。当然であろう。
ベンケイ貴様、やはり腑抜けていた様だな?」
無論、ヨイチは「なんだ」と口を尖らせるが。
平常運転だ、こちらの方が。最早慣れてしまったと言える程に。
死地を掛けていた際は毎日顔を合わせていたのだから。
この辛辣さがあってこそのヨイチだとすらも思う。

「いえ、一度として」

「嘘に思えぬのが忌々しいな」

「……それに、でござりますよ。ヨイチ殿」
当に慣れてしまった、目に頼らないのは。
有れば使う。ならば、無ければ別の何かを使うまでの事で。
それでも尚、見えるモノがある。見失わないモノがある。
―― ベンケイの横顔は、遠くを見つめる様で。
ゆらりとヨイチを見、再び口を開いた。

「腑抜ける訳にはいかぬのです。
拙者が腑抜けた暁には、
『桜の君』殿は拙者を八つ裂きにしてしまうでござりましょう」

「八つ裂き、」
それとも『桜の君』は化け物なのか?
いや、……化け物の申し子がベンケイは、ある意味納得出来てしまう。
つよいし。桜は人を攫うとも云うし。

「……八つ裂きではなかったやもしれませぬ。
が、腑抜ける事を良しとされなかったのは確かです。
もうどれ程前になる事やら」
八つ裂きしそうだなあと思いはするも、努めて心中のみだけで漏らそう。いたッ
……嗚呼。随分と懐かしい、あの日々も。

「貴様が私と、ヨシツネ様に出会うよりも以前だったか。
その者が参じているとも限らぬだろうに」
ベンケイの表情は、極めて穏やかだ。腑抜けには至らぬ程度に。
美味を口にするとも、吉報を得るともまた異なった顔。
それは詰まる所、ベンケイの記憶に色濃く刻み込まれている事を意味して。

「ハハハ。…………今一度。
一度だけでもお会いし、伝えたいのです。
今の拙者があるのは、貴女のおかげなのだと」
再び相見える事を。―― 今一度、出会う事を。
己という個を象った、象ってくれた礎の一つだから。

「…………心得た。
どうやら余計であったのは私の様だ。
往くが良い、ベンケイ。
それ程の意志を遮る事こそ、愚かであろうよ」」
"友"の感情の機微を、見逃す筈が無いのだから。
己の知らぬかつてを語る顔は、これまで見た何れとも異なる。
……ヨシツネが良しとしたのも頷ける。恐らく近しい想いを抱いたのだろうとも。

「ヨイチ殿。
……はい、有難きお言葉でござりまする。
謹んでお受け致しまする」
ヨイチの言葉を受ければ、フッと口角を上げて小さな一礼。
どちらもヨシツネの従者。だが、友人でもあるのだから。

「ヨイチ殿も、どうかご健勝で。
ヨシツネ様をよろしくお願い致しまする」

「阿呆が。
私ではなく、ヨシツネ様の安寧を想うべきだろうよ」

「そうおっしゃると思っておりました」

「八つ裂きにされろ」
だから、祈ろう。ヨイチの安寧を。
ヨシツネの安寧を祈るのは当然の事だ、思うまでも無く。
そしてベンケイは知り得ている。イヤという程に。
ヨイチは己と同様、ヨシツネのためにその命を振るう事を。
だからこそ、"貴殿"の安寧を祈るのは当然ではありませぬか。
一人の友として。……奥方がいらっしゃいまするが。
―― そうして、時は巡って行く。四季が身勝手に巡る様に。
あの時からベンケイは、八つの桜の時を迎えた。
その度に、その折に、……桜に、促される様であった。
『腑抜けるんじゃないぞ』、と
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
だからこそ、今日まで命を繋いでいる。
時の歩みは、進む。ベンケイが再びジパングを離れるその日へと。