RECORD

Eno.122 花貫 渓の記録

<他人>

自分以外の全ては、結局のところ他人だ。

自分がたとえいくら苦しくとも、他人が苦しむこととは背反でない。
他人がどれだけ苦しそうでも、自分が苦しいことと反するものではない。
カナリアに言われるまで割と忘れていたことだが、本来自分のことと、他人のことは両立しうるものだ。

結局他人は他人なのだが
それが他者を思い遣らない理由にはならない。
あるいは、それこそが他者を思い遣る理由なのかもしれない。
相手のことは分からないからこそ、常に苦しみを抱えている可能性もあるのだ。

自分のことは、こうして定期的に思考を整理して出力を繰り返し
それでもなお完全な理解に至ることはない。
ならば他者は尚更だ。
他者の完全な理解というのはあり得ない。

理解し難いからこそ、他者を知るには身の上を知る他になく
けれど身の上を聞き出すのは、他でもない他者の侵害でもある。

自分が自分で在るように、その他人は、彼自身である。

困ったことに、相手を知らなければ、自ら他者を援けることは難しい。
一方で相手を知ろうとすれば、時に相手の尊厳を損ない、彼は助けを求めることができなくなる。

恐らく、永遠に最適解は導けないのだろう。
ただ、自分自身が選ぶとすれば

決して不用意に踏み入らず
けれど相手が自ら語ることをきちんと拾い上げ
行動によって、窮地に声をあげるための信用を勝ち取ることだろう。

自分は、他者に踏み入っていくことが得意ではない。
自分は、少しだけ記憶力が良い。
自分は、不器用故に都合の良い言葉を掛けることは得意ではない。
自分は、他人のこぼすSOSを取り落とす恐怖を知っている。

万人にとって好ましい、愛想の良い人間でなくて良い。
ただ悲しまないで欲しい人間にとって、己が誠実であることを願う。