RECORD

Eno.255 Siana Lanusの記録

◆潤滑

「──今回渡航した異世界についての報告は以上です」


「……ほーん、」



質素な家財が置かれた一室にて。
シアーナ・ラナスは対面の者に一通りの説明を終え、緩やかに頭を下げる。
礼を向けられた黒衣の壮年の男は、パイプを片手に煙と共に息を吐き出し
頭を垂れたシスターを一瞥した。

──司教、クランベル・エルスィー。
本人に拘りが無く司教と自称しているが、そのひとこそ
この宗教を統べる教祖であり、教皇であった。
無精髭を軽く撫でては、報告を聴いていたもう一人の男へと視線を向ける。


「ンなるほどねぇ。
 鍛錬には事欠かない世界だったみたいじゃねぇか、
 時間に余裕があったら他のヤツらにも行かせたかったが
 ……ま、時期が悪かったな」



「生憎、時勢を見るなら動くのは今しかない。
 勇者に魔物の数をこれ以上減らされるのを
 悠長に見ては居られないからな、
 今からよそに人を遣る余裕はないだろう」



クランベルに侍るように傍に居た白衣の男──
司祭ヴェセンス・パルカージは同調するように溜息を吐く。
その手には羊皮紙と羽根ペンがあり、先のシアーナの報告を書き記していた様子だった。

「それで?シスター・シアーナ。
 お前は計画の実行は問題なく出来るか?」



「…………」



シアーナは少しだけむっとして、司教の姿を睨んだ。
己の意志に淀みは無く、異世界渡航ごときでそれを疑われるのかと
浮かんだ不満を言葉にしようとしたところで、クランベルは否定するように軽く片手を振った。

「お前の意志を疑ってるわけじゃねぇ。
 ただ、こんな狭い世界じゃなくて他の世界を知ったんだ、
 それに憧れたり、そこに何か大事なものを見出したりしてるなら
 お前に責任を負わせたくねぇって事」



ふ、と煙とともにクランベルは、小さく笑う。

「お前が流れて行きたいのが、この世界じゃねぇなら
 それを尊重してやりたいってワケだよ」



──この司教もまた分かっているのだ。
自分たちの成そうとしてることが、無謀なことなのだと。

停滞は淀みである、緩やかな破滅である。
それを認め、手を打たねばならないとして、
打破する手段は暴力しかないのだと理解しても尚、
停滞を愛する境会に歯向かうというのは、正気では無い行為だと。
シスターも、司祭も、司教も、分かっているのだ。

だからこうやって確認されるのだろうと、シアーナは思った。
異世界に触れたものがその意志を揺らがせる可能性は、少なくないだろうから。

出会った人や友人の姿をふわりと脳裏に浮かべた後、
シアーナは一度瞳を閉じ、それからクランベルを見据えた。


「…………お言葉ですけど」



あたしが引っぱたきたいのはこの世界の人間なんで。
 他の世界のヤツらなんて、叩いたって仕方が無いのよ」



──ただ。
支川に選ばれた時からずっと、流れる場所意志は決めていた。
シアーナ・ラナスにとって友情は、引き留めるものではなくその背を押すものだった。
約束は、生き残るための意地であった。
それらは立ち止まるための理由になり得ない。

「自由に流れるのは、大海に至った後にします。
 だから川が逸れる心配なんてしてないで、
 本気で引き金を引いてください」



そも殉教するつもりなど微塵にも無い、
世に混乱と混沌を齎して終わりにする気も、もとより無い。

だから、その意志は揺らがなかった。

「…………、」

「そうか、」



……そんなシアーナの表明に、クランベルはただ
何とも言えなげな顔でパイプの煙を吸った。



*


「……クランベル。らしくないな、
 シスター・キディアの時とは違って成果があったんだ、
 少しは喜んだらどうだ?」


「……いんや。まあ、シアーナはよくやったのはそうなんだが、
 魔晶石とかいう土産も扱いようがあるし、マンジュウとかいうのは美味かったし。

 …………。そう、最近うちのおひいさまがうるさいもんでな」


「…………。お熱いようで何より?」


「違ぇ」


「…………ティアー様の事を
 手のかかる子どもみたいに言うのはお前ぐらいだな」


「…………なあ、ヴェセンス。
 ……アイツが言う通りになってる気がすんだよ。

 『勇者』に花を持たせるために
 俺たちが用意されているような、そんな」




「……今更、止められやしないぞ。
 この作戦宗教も、この思想宗教も」



「分かってらぁ。
 俺に甲斐性はねぇが、ここで何もかも投げ出すほど
 人を辞めちゃいねぇ。

 たとい魔王だと誹られようとな」