RECORD

Eno.255 Siana Lanusの記録

◆清澄

──早朝。

手合わせを希望していた対面の信徒を投げ飛ばし、握った拳を弛めたシアーナの元に
長い水色の髪を束ねた女が、楽しげに訪れる。


「おはようございます、シアーナ。
 異世界から帰ってきてから毎日それで、
 ほんとうに精が出ますね〜!」



水の入ったコップを差し出しながら笑う女は、シアーナの同僚であるシスター、キディア・ケルートゥス。
シアーナとは真逆の高身長に、豊満な胸に、おおらかな気質。それでいて強い心身を持つそのシスターは、
シアーナが一方的にライバル視しているシスターの一人であった。
シアーナはコップを奪うように受け取りつつため息含み、水で喉を潤しては恨めしがちに口を開く。


「あんたは暇そうで羨ましい限りだわ、あてつけかしら」


「私もさっき素振りをしてきたところですし〜、
 シアーナは皆がヘトヘトなのにそろそろ気付いた方がいいと思うんですよ〜」


「マジ?まだそんなにやってないと思うんだけど」



キディアの言に、そんなはずはと視線を周りに向ければたしかに
伸びてるのが数名、座り込んでるのが数名、
明らかな空元気で「自分まだまだやれます!!!」風を出しているのが若干名。


「…………まだ100勝相当もしてないと思うんだけど」


「その判断基準何なんです?
 ダメですよ〜周りをちゃんと見ないと〜。
 周りが見えないのは余裕のない証拠ですしねぇ〜」


「…………」




──フラウィウスでの生活に慣れて戻って来て、
物足りなさを感じていると、シアーナは薄らと自覚していた。
存外自分は闘う事を楽しんでいたのかもしれないと、己を振り返って思う。

競い合う相手が居て、己の力を常に試し続ける事が出来て、勝ちと負けという分かり易さがあって。
……ここでの手合わせに歯ごたえを感じないのは、己が強くなった証左だろう。
喜ばしいことなのだろうが、どこか腑に落ちない心地を覚えていた。

闘っていたい、そんな気持ちがある事は危ないのだ。
自分の臨むのは娯楽の闘いではなく命を懸けた戦いであることを、忘れかねないと。

「……そんなに楽しかったんですか?かの世界は」



……すこし、羨ましそうな声がその頭上から。
ふと顔を上げると、遠くを見るような顔でキディアが笑っていた。
どこか寂しげな、物憂げな顔で。

「私に何があったのか、プリースト・キシマは何も教えてくれないんですよ。
 折角の異世界渡航だったのにねぇ」



かの司祭が──キシマ・ザルバの言う事には、
キディアは異世界に行った後4ヶ月もの間、行方知れずになっていたらしい。
キシマもキディアも特にその異世界では収穫も無かったらしく、
身体的にも変化はほとんど無かったそうだ。

「…………、」



異世界に行ったとして、この女が大人しくしているものだろうかと
シアーナはキディアを見つめて少し思う。
力への貪欲さについては悔しいがキディアの方が強く、
実際の腕っ節もキディアの方が優れていた。

そんな女が4ヶ月もの間、本当に何も無かったとは思えなかった。


────記憶を消されたのか、と。ふと過ぎった思考を
流石に夢物語だろうと棄却した。



閑話休題。

「……楽しかったけど闘うのに慣れすぎて
 じっとしてるのが落ち着かないのよね。

 ちょっと付き合いなさいよ、キディア。
 武器はありでも無しでもなんでもいいから」



「あらあら、いいですよ〜!
 もう来週には配置に着いちゃいますから、
 手合わせも出来なくなっちゃいますもんねぇ〜」



──そうだ。過ぎた事を考えている場合ではない。
もう目前まで、運命の時は迫っている。

大事にするべきは過去では無く、今と、未来だ。
過去の楽しさを懐かしむのは、前に進むべき今では無い。

……それにフラウィウスでの出来事を、すべて過去にする気はさらさらない。
また行くのだ。だから。懐かしむのは今では無い。


木製の模造剣同士がぶつかる鈍い音が、それからしばらくの間そこには響いたのだった。