RECORD

Eno.313 エヴァム・リリスの記録

1 私のリリス

「リリス。ああ、リリス。私の可愛い──」

 その日は満月で、明るくて、そして雲一つなかった。
 夜闇に溶けるような黒の髪も、バラ色の頬も、小さな口も、整った鼻筋も、細い首も、すべてが月光のもとで美しく輝いていて……リリスは妖精のようだった。

「私のリリス、私だけの可愛いお人形。あなたは誰からも愛される。他の誰よりもあなたに目をかけてあげる。あなたの欲しいものをなんでも与えてあげる」
「本当?」
「もちろん。私はあなたを愛しているから」

 そう言うと、リリスは嬉しそうに微笑みを浮かべた。
 リリスは天使のように純粋で、無垢な存在だ。私の言うことにはすべて素直に従ったが、自分が疑問を感じることに対しては、執拗に問いかけてくる。リリスの愛を一身に受ける時間は私にとって至福だった。
 私の可愛いお人形。私だけのリリス。この子さえいれば他には何も要らない。

「どうしてこの部屋から出ちゃいけないの?」

 リリスは子供特有の澄んだ瞳で、真っ直ぐに私を見据えてそう尋ねた。その問いに対して、私はいつもこう答えた。

「あなたは特別な子だから」
「とくべつ?」
「あなたの魂はとても純粋で美しいでしょう? だから、外に出したらきっと悪魔に魅入られてしまうんだよ」
「悪魔に魅入られてしまうの?」
「そう。そして、醜い悪魔の伴侶になって、二度と地上に帰ってこられなくなる」
「……。いやだな、そんなの」

 リリスはそう言って、小さな口を両手で覆った。私がそっと抱き寄せると、リリスは嫌がることもなくすんなりと私の中に納まった。温かくて柔らかい感触が肌に心地よい。

「だったら、いい子にしていて。あなたはずっと、私の側にいるんだよ」
「うん、わかった」

 リリスは素直に頷くと、私の胸に頬を埋めて目を閉じた。細い肩が寝息と共に上下するさまに笑みが溢れる。いつまでもこうしていたい気分だったが、そうもいかなかった。
 リリスといられることだけが至福だ。そう思っていたはずなのに、いつの間にか、私は何かが足りないと感じていた。そのことは私を苛立たせて、同時にひどく不安にもさせた。

 ────儀式を行わなくては。

 リリスが二度と目を覚ますことなく深い眠りにつき、その魂を私のものにするための儀式。その美しい魂が誰の目にも触れぬところで永遠に輝き続けることを思うと、恍惚とした気分になった。

「ああ、可愛いリリス。私だけの宝物。いつまでも私の側にいておくれ」

 眠るリリスを抱きしめて、私は一人呟く。この子の小さな背中を指先で撫でながら、この子のために用意した白く柔らかなベッドへと、そっと横たえた。

「明日も来るからね」

 リリスの側から離れ、部屋を出て、この子のいない虚しい世界へと戻る。 その時間が私はとても嫌だった。リリスのいない生活は、私を少しずつ孤独の底へと落としていく。


 ◆◆◆


 扉が閉じられて、ひとの気配が離れていく。この部屋の周りには何もない。
 ベッドから起き上がって、金属の板でできた扉の前へと行く。冷たい感触。叩いても、声をかけても、反応はない。
 扉には外側から鍵がかかっている。部屋の中は薄暗くて、明かりは小さな窓から入ってくる月の光だけ。

「飽きたな」

 リリスは魔力の帯びた床の画を眺めながら、退屈そうに伸びをした。

「明日には出よっと」