RECORD
独立
もう完全に私欲がきっかけだった。
どんどんと姿が崩れて行く。声もろくに聞き取れなくなり。
そんな彼の事を、皆が心配してた頃の話。


心地よい痛みを与えてくるそれを、もっと、と指を伸ばす。
掻き回したい。
指を沈める程痛みは明瞭になり、
じゅわ、と皮膚が融ける厭な音がした。
全身を溶かしてしまうゲル状の、生物。
最高じゃねーか?

「以前はイマイチなんて言っちゃったけど。
私、今すっごくアナタに興味あります」

「ね、殺り合いません?」
心配なんてしてなかった。
ただそれがもたらす痛みと、死が、味わいたくて。
そんなワケで殺し合いして、あっさり負けて、溶かされ、喰われ。
苦悶というにはあまりに甘さを帯びた声をあげて。
「……コレがいいの?」
「変わってンね」
そう。ここに来てからずっと。
殺したい、という衝動と同じくらいに大きくなってしまった
殺されたいという感覚。
魂を捧げる儀式。その対象は、自分自身だってよかった、ここでなら。
痛みが、欲しくて。
望みを叶えてくれるなら、誰でも良くって。
***
自分を食ったその後は、彼の存在は、多少安定したようなのだけど…
彼は、恐らく随分と、前とは別のものに、変質していた。
人の味を覚えた、人ではないモノ。

無作為に人を喰う化物がここにいるのは、困る。
私はこの場所を、随分と、気に入っているんだ。
かといって、空腹というのは……
満たされないというのが酷く辛いというのはよく知っていて。
なら、選択肢はひとつしか無くて。

「あなたがまたおかしくなったら、
もっかい食ってみりゃ、いいんじゃないです?って事ですよ。
…私を。」
「普段からンなことしてたらカラダ持たなそーだケド、
ここなら巻き戻しあるし、丁度良さそうだナ!」

「そうそう。巻き戻りがあるから…
アナタも、あんまり空腹になっちゃう前に、ここでなら…。
ちと、食事いただいちゃうくらいは、
大目に見てもらえるんじゃないです?
……私がヒマでしたら、声を掛けていただければ、良いですし」
融解、良かったァ…ってなってる顔。
「そんな気に入ったのォ〜??」
……私が切欠で、良くない方向へと、進んでいるのではないか?
それは彼自身の在り方についてだったり。
それによって、気に入っているこの場所が
危険にさらされる事への不安だったり。

「ちょっと、兄さん、昨日と言ってる事、違いません?
いえ、そもそも、その辺のヤツ、
ちょいちょい食っちゃえなんてオススメしたのは私ですけどね…」

「…………食ってますよね?」
「つまみ食いくらいなら誰も怒んないなって〜」
気付いちゃった、と。気楽に宣った。

「……それならそれで、何をやっているのか、教えておいていただけねぇと…、
もう一度言いますが、私らにとってのアナタは、
人食いの化物と為り得るんですからね?
ワケの分かんないものって、怖いんですよ。
分かってりゃァ、何とかなるんで…。多分……」

「私だけじゃあ、全然足りません?」
「何が駄目なノ?」
「そう定義しても、別に良いじゃんネ」
「やなの?」

「やですね」

「私ァ、私なりに、平穏なここが気に入ってるんですよ…」

「自分自身を化物として生きていくのは、
いささか、しんどいものかと。
定義づけ、なんてものが出来るなら、
何かまっとうなものにしましょうや」
「平穏が何か解んない」
「真っ当が何かも解んない」
「……最近物忘れ酷いのよネ」
「考えなきゃいつも通りだから、考えないようにしてるケド」
「腹が減るのだけが解る」
「だから、それだけ考えてる」
「わかんねーコト抱えて生きる方がしんどいな〜って」
「ま、わかんねェんだけど」
「今が楽ってだけで」
淡々と述べられるその事実に、悲観の色など無かった。
無かったのだけど。

「もう毎日来なさいな。私のトコ。
両者『良く』って、win-winじゃないです?」

「今から食うなら、準備、しますけど」
「……うーん、
アンタはなんでそこまですンの? 良く解んない。
別に、ほっといたらいいのに。何もかも」
「Win-Winなのはそうなんだろ〜ケドね」

「私もね、どうだっていいんです。
名前もよく覚えてない人たちの、酒の席での実の無い戯言とか、
私の…偽物でしかない名を呼ぶ声とか、
誰かの乾杯とか笑顔とか、遠くから見てて、好ましいと。
平穏が大切だと。
明日の約束をして、未来にきっと何かいい事があるって」

「そう望んだ次の瞬間にはンな事ァどうだっていい!
それを壊した時の快感を考えてる!
それらに殺される自分自身を考えてる!
まっとうに、生きられないのはもう、化物でしょう!」

「……私は、私はほんとうは……
──そうですよ、こうやって色々理由を並べていますけどね」

「結局のところ、私はアナタの与える快楽が、欲しいだけです」

「ねェ、はやく、くださいよ。
準備なら、出来ているんですからね…」
「そっか」
「アンタがそう思うなら、そうかもネ」
化物としての自認を抱えて生きるのはしんどい、と。
忠告したその口から吐き出されたそれを、男は頷きだけで受け止めた。
「考えらンないようにしたげる」
「メンドクセ〜こと全部」
自身と重ねていた。
悲観の色を。そこに無いものを、見出していたのだ。
どうしようもないものが、ちゃんと満たされて。
ワケ分かんない事も、少しくらい理解できるようになって。
化物のままでも、いい。あの場所にうまく溶け込めたなら。
例えば自分にまだ時間があったのならば、どう在りたかったのか。
恐らく、そんな、ありえない未来を、おもったのだ。
***

「そうそう、最近、文字も練習しているようでしたので、
……街に行ったついでに、買って来たんですよ、これ」
店舗で丁寧にラッピングしてもらったもののよう。
中身は子供用の文字練習帳と、筆記用具と。
ペンケースは黒地に緑のワンポイントで、あなたの姿を連想したのだろう事がうかがえるデザイン。
「え〜わざわざ!?あんがとナ!
こーゆーの選ぶの苦手だかラ嬉しいゼ!」

「私も、いつまでここにいるかは分かりませんから
あなたが上手くやってりゃ、安心でさァ」

「ま、そいつでも見て、たまに思い出してくださいよ」
「思い出の品ってヤツかあ〜」
社会に溶け込んでいる状態が
最も 楽で、確実で……末永く見て、お得なように。
そんな状態に在れるといい。
そう願っていた。
***
そんな彼はいつの間にやら彼は自分の店を持って
闘技場を、後にしていて。
私が想像するよりもずっと、うまくやっていた。
きっとそれは悪くない生活。

しみじみと店を見回す。
立派だね…と、何故か、なんとなく独り立ちを見守る親な気分。
用事が終わったので、長居する理由も無くて。

「じゃあ、ね」
そのまま、以前と同じ、軽い挨拶。
「お〜。またナ!」
やっぱり、軽いのには変わりなく。
確約もない再会へのことばだけが、この男があなたへ投げる常だった。

出来るだけ長く。
あなたが、分からないと言った『平穏』とやらが、
あなたにとって居心地よく、続きますように。
祈っている。
アルア・フィフスは独立を見届けた。
これがエピソードのうちのひとつ。