RECORD

Eno.61 ジュヘナザートの記録

前章と帰還

 
「――拐引をしろと?」
「そう」

 三層に分かたれた地下都市の一般的に最下部とされる下層。
古さが垣間見える教会の一室にて、胡散臭い笑みを張り付けた男を前に言葉の意味を問い直す。
拐引、誘拐、かどわかし。どう言い換えても良いものの言葉の端をどう摘まんだとしても良い印象にはならない話。
大旗を片手に持つ神父の意図なんてのは推し量れるものじゃあなかった。


 聖女という物は嘗て居た聖女の魂を名と物でつなぎ止め、肉の器を用意することで運用されている。
細かい話はさて置いたとしても表向きには襲名制であるとして聖職者と信者の信仰を取り纏めているから、この実態を知る者は殆ど居ない。
それこそ、目の前に居る神父。只の人間よりも古くから生きて教会の成り立ちに携わった教皇位だとか。
 この神父にしても教会にしてもロクなものじゃない事は知っているけれど、力の大きい組織って言うのは大体どこかに歪な物を抱えているし
あたしからすれば多少歪でもそれで秩序が守られてくれるのならそれでいい。
 だから問題があるとすれば、『聖女』の魂を亡失してしまったという事。元々が表沙汰になる話では無いから騒ぎにはなっていないものの、
機構の心臓を無くしたことと変わりのない始末。これに対して何かしらの手を打つ必要があるのは事実でもあり。

「態々外の世界の人間を引っ張ってきて"中身"の代替にするのは……迂遠ではありませんか?」
「だろうな。だが内に目を向けてアレほど腐りもしねぇ利他に富んだ奴を見つけるのは難しい。突然変異みたいなものだ」
「お人よしって苗床の類語みたいなところありますけれどもぉ」

 善人よりも圧倒的に悪人が蔓延ってしまうこの都市では聖女足り得る精神を持つ者なんて殆ど居ない。
そうあるべきでもある聖職者だって半分以上は腐っているんだから文字通りに眼も当てられないんだろう。仮に居たとしても死ぬまでその善性から
搾取され続けるのがオチであるし、事実として初代聖女は死んでもこき使われていたのだから実感の甚だしい。

 それはそれとして、突拍子が無さすぎる。幾ら事情に対して理解をしているからと言って、だからと何の力の無い只の修道女に任せる仕事でも無い。
クソッたれた環境のクソッたれた生活にクソッたれた人生。これらが守られていれば構わないのに異世界だとか言われても困るんだ。
つい眉根を顰めたあたしの内心を見透かす必要すらもなく、その上で神父は白く濁った瞳を薄らと向け刺してくる。
 上に立つ者の癖をして他人に期待もしなければ重鎮として扱う事も無く、ある意味では平等に掌で転がしてくる半ば確信犯。
一重に言ってカスなんだけど行動原理の半分以上は功利信仰に基づいているのだから意味が分からない。
結局そこに手段や道徳に倫理は無いし、多くの為なら幾らでも少数を切り捨てるから余計に度し難い。

「だから視界を外に広げるって話。都合の良い奴を見付けてこっちまで引っ張ってくれば後は割とどうにでも出来る」
「そんな脳内お花畑みたいな人いますかねえ」
「存外と、外の人間は利他に富んでいる奴は多い」
「突然変異を待つよりはアタリが大きいと」

 どうだか。そう言いかけて口を噤む。他の人間に比べてこの神父はあたしを虐げるでもなくフラットに接してくるものの、下手な事は言いたくない。
口も頭もよく回るし何より立場が違い過ぎる。他人への無関心さから無い話ではあるものの首を飛ばそうと思えば割とすぐなのだ。

「安心しろ。別に成果に関しちゃ期待してねぇよ。期待はしてねぇが、アンタも偶には外への知見を広めて良いと思うしな」
「はあ……」

つまり、あたしに話を断るだとかごねる選択肢は初めから無い。残念ながら教皇の意向に大人しく従うしか無い訳で。
出来る事と言えば、これがついぞ見限られて使い捨てられる事を前提とする話じゃない事を祈るばかり。
まあ、期待されていないなりに存分と仕事をサボろうと片隅に思っていたら、……旗の柄先で足を突かれた。バレてる。


***

それからの話は知っての通り。
個人的に得たものは多くとも、予定通りに仕事の方は手も付けなかった。
景品のネックレスに友人から貰ったボトルシップ、ミサンガ、栞、それから簡単には取れないタトゥーシール。どれもこれも秘めるべきで後半三つは他人にはバレやしないもの。
内に残った記憶だけは忘れない様に、また次に呼ばれるまで日常に戻るだけ。

「――ジュヘナザート、ただいま帰還致しました」

日常に。

「今回の現場での、報告と……ひとつ、願いたい事、が」

日常に息が詰まる

「もし、もし御赦し頂けるのなら 今、後」
「の」

日常に動悸がする

「……」


ぐる、と視界が回った様な感覚。

大丈夫。今迄だって問題無かったんだから直ぐに慣れる筈だ。