RECORD
Eno.232 シャルティオ&キィランの記録
【或る冬の灯火】
◇
12月4日の昼下がり。
地下から地上へ移された部屋の窓から外を、
少年はぼんやりと眺めていた。
この日が何の日か知っている。
けれど誰も、来てはくれないみたいだ。
「…………期待なんて、してないし」
呟いたその時、ノックの音。
もしかして、と胸の奥、高鳴るものがあった。
「……どうぞ?」
「やっほー、シャル!
許可貰ったから、ちょっと3人で遠出しない?」
鮮やかな緑の髪に、宝石のようなオッドアイ。
変わらぬ笑顔の兄フェンドリーゼが、そこにいた。
兄の後ろにはツートーンの瞳の従者、キィランが静かに控えている。
「別に……いい、けど。
でもさ兄さん、今がどんな時期か、
分からない訳でもないよね?
遠出とかしてる暇あるの」
「今日だけってことで
強引に母さんからの許可を取り付けましたー。
シャル、君に見せたいものがあってさ。
だから行こう、さぁ!」
「…………」
伸ばされた手に掴まって、少年は立ち上がる。
冬の気配の近づいて来た、12月はじめのことである。
◇
「山を登ろう。君に見せたいものがある!」
そう、兄が言った。
シャルティオの義足は凸凹した土地に向かない。
何度も転びそうになってはそのたびに支えられ、
息を切らしながら必死で登る。
こんな苦行の果てに、いったい何を見せたいの。
王都の裏に山があるのは知っていたけれど、
もちろん、行ったことなんてなかった。
そもそも城の外へ出ること自体が稀なシャルティオは、
久しぶりの外を味わってもいた。
「はぁ……っ……はぁっ……」
けれど元からそこまで体力はない。
山の中腹辺りで動けなくなって、涙目。
「……もしかして……
てっぺんまで……行く……気……?」
「そこに見せたいものがある!
夕暮れまでに着かなきゃいけないんだ、頑張れ!」
「兄さんは……体力あるから……楽だよねぇ……!」
そこへ、す、とキィランが背中を差し出した。
「シャル様、私が背負ってお運び致しますよ。
フェン様の素敵なサプライズ、
最高の状態で見て頂きたいのです」
「…………分かった」
キィランの背中に掴まって、山登りを再開だ。
キィランは華奢な体格だけれども、
力も体力もあることはあの異世界旅行でもう理解している。
王都の裏手の山。
てっぺんへ向かう道中の森の木々の葉は、
鮮やかに色付いていてとてもとても綺麗だった。
そして緩やかに、時は進む。
◇
やがて山のてっぺんに着いた時には、
もう夕暮れになっていた。
「ここだよ! 見て、シャル!」
キィランの背から下ろされ、兄の声のした方を見た。
そこは、山の上から王都を見下ろせる位置だった。
「…………」
思わず、息を呑んだ。
王都に輝く魔法の光が、
夕暮れの紅の中で幻想的に揺れている。
下の方に咲く鮮やかな紅葉が、その光景に錦を添えて。
まさに絶景、この世のものとは思えないほどの!
「…………綺麗、だ」
思わず呟いたその背に、投げかけられた声。
「そして──
誕生日おめでとう、シャルティオ!」
夕暮れの光が兄の顔に強く陰影をつける。
差し出されたそれは、手縫いで模様の刻まれた白いハンカチだ。
描かれたものはサザンカの花、シャルティオの誕生花。
困難に打ち克つ、の意味を持つ花。
「……ありがとう。覚えてて、くれたんだ」
「かわいい弟の誕生日を、この俺が忘れる訳がないだろう!
今日は誕生日プレゼントとして、この絶景も見せたくってさ!」
「…………にぃ、さん」
ハンカチを大事そうに仕舞い込んで、
シャルティオは小さな声あげた。
──そしてそのまま、兄にぎゅっとしがみついた。
「……ありがとう、大好き。
あのね、これまで大嫌いとか言ってたけど、
僕、本当は兄さんのこと大好きだもん。
……ありがとう、愛してくれて」
「…………シャル」
兄はきっと、驚いた顔をしていたのだろう。
ようやく、素直になれた。
分かる、分かるから。
両親に愛されなかった己だけれど、
この兄にだけは確かに愛されていたのだと。
大嫌いなんて言って遠ざけていたけれど、
どれほどの愛を受けたのか。
素晴らしい誕生日にしてくれたこの兄に、
いつも支えてくれた優しい兄に、少しでも感謝を伝えたくて。
「ありがとう……ありがとう……にぃ、さ……」
「…………しゃ、る」
兄の声が変だった。
不思議に思って見上げれば、
暮れの光に照らされて、兄の頬に光るものが見えた。
あれは──涙?
兄が泣くところなんて初めて見た。
兄に心なんてないと思っていた。
「兄さん……どうしたの?」
「あぁ……あは、いや、何でもない、
何でもないのさ、シャル。あは、は」
ぷいと顔を背けて兄は笑う。
けれどその瞳の奥に、
深い悲しみの色が見えたのは気のせいなのだろうか。
祝うべき誕生日に、
兄さんはどうして泣いているの?
「王都の光が眩しすぎてさ、
思わず涙が出ちゃっただけなんだよ」
下手な言い訳ひとつ。
誤魔化すよう、シャルティオの身体を強く抱きしめて。
どうして泣いているの、と不安は消えないけれど。
それでも今、確かに自分は幸せだから。
日が落ちて夜になって、
夕暮れとはまた違った絶景を見せる光の王都を、
兄とキィランと3人、
寒さに凍えないようくっつきながら、眺めていた。
◇
どれだけ、そうしていたろうか。
ただ静かに穏やかに、時が流れる。
「……さて、そろそろ帰ろうか」
ふと兄が言い出した。
もう時間も、それなりに遅い。
「帰りはねぇ、キィルじゃなくて
おにーちゃんが背負ってあげるよ!
たまには甘やかさせてよぉ、シャル」
「……別に、いいけど」
差し出されたその背に、しがみつく。
兄の身体はぽかぽか、優しいぬくもり。
シャルティオを背負いながら、兄は言う。
「……ねぇ、シャル。
この夜のことを、絶対に絶対に忘れないでね。
何があっても俺は君の味方だよ。
……愛してる、シャルティオ、俺のかわいい弟!」
愛を知らない人間が、愛してるを囁いた。
けれどその直前の言葉に、胸騒ぎを覚えるのは何故だろう?
兄とキィランが暗躍しているのは何となく感じていた。
まだ忙しいはずなのに、あえてこのような日を設けて
思い出作りみたいなことをしたということは──
シャルティオは、兄の背に強く強くしがみついた。
「……絶対にいなくならないで。
ずっとずっと僕の隣にいて、僕を守ってよ、兄さん」
「……素敵な夜だったねぇ」
「ねぇ兄さん、はぐらかさないで、答えて!」
「…………」
兄は何も言わなかった。
振り返るそのオッドアイに、
夜の森の木々が影を落としていた。
「…………それでも、俺は君の味方だから」
答えになっていない。
いなくならないでの叫びに、
兄は決して応えなかった。
それが、別離の予感を覚えさせて不安だった。
「……ねぇ、キィル」
「……私は、
シャル様のお傍におりますよ、ずっとずっと」
キィランがぷいと顔を背けた。
何も言ってくれない、話してくれない。
やがて別離があるのなら、
そうかも知れないのなら、
伝えられるうちに伝えておこう。
けして後悔をしないように。
「……僕も兄さんのこと、愛してるよ。
フェン兄さんは、僕の最高の兄さんだ!」
「……あっはっは!
嬉しいこと言ってくれるじゃないか!」
すれ違っていた兄弟は、この日、
きっとちゃんと和解出来たのだ。
◇
夜も更けて、山を降りて王宮への帰り道。
フェンドリーゼの背中のシャルティオは、
いつの間にやら熟睡している。
ただその温もりだけを感じながら、
フェンドリーゼはひとけの少ない王都を歩いていく。
「……この日が、
あの子にとって確かな灯火となりますように。
愛されていたのだと、確かに自覚してくれますように」
祈るように呟いた。
「──俺はこれから、君の敵になるから」
別離があると、知っている。
愛しい存在を守る為、
風の王子はあえて泥を被るのだ。
「……そしてキィル、
これまでよくやってくれたね。
もうすぐで君ともお別れなんだ」
「……私も、フェン様のお傍にいたかった」
「でもそしたら、
誰があの子を守るというんだい?
……分かってるよね。君にしか頼めないんだ、
キィラン・リリィス」
「…………御意」
唇を噛むキィランを、大切な従者を見ていた。
それでも歩む道を変えるわけにはいかないのだ。
誰も幸せにならないけれど、
きっとそれが最善の結末。
信じた道へ進むだけ。
「……それでも、
俺は君たちを愛しているよ、シャル、キィル」
心の欠けた王子様でも、
愛しているというこの感情だけは本物なのだと、信じたい。
◇
或る冬の灯火。
未来、シャルティオはこの日、
兄の見せた涙の意味を知ることになる。
分かたれた未来、
もう二度と交わらぬであろうふたりの道。
それでも消えない優しい思い出が、
胸を締め付けるように熱く痛んで。
──この日、兄がくれたハンカチは、永遠に宝物。
後日譚06 或る冬の灯火
【或る冬の灯火】
◇
12月4日の昼下がり。
地下から地上へ移された部屋の窓から外を、
少年はぼんやりと眺めていた。
この日が何の日か知っている。
けれど誰も、来てはくれないみたいだ。
「…………期待なんて、してないし」
呟いたその時、ノックの音。
もしかして、と胸の奥、高鳴るものがあった。
「……どうぞ?」
「やっほー、シャル!
許可貰ったから、ちょっと3人で遠出しない?」
鮮やかな緑の髪に、宝石のようなオッドアイ。
変わらぬ笑顔の兄フェンドリーゼが、そこにいた。
兄の後ろにはツートーンの瞳の従者、キィランが静かに控えている。
「別に……いい、けど。
でもさ兄さん、今がどんな時期か、
分からない訳でもないよね?
遠出とかしてる暇あるの」
「今日だけってことで
強引に母さんからの許可を取り付けましたー。
シャル、君に見せたいものがあってさ。
だから行こう、さぁ!」
「…………」
伸ばされた手に掴まって、少年は立ち上がる。
冬の気配の近づいて来た、12月はじめのことである。
◇
「山を登ろう。君に見せたいものがある!」
そう、兄が言った。
シャルティオの義足は凸凹した土地に向かない。
何度も転びそうになってはそのたびに支えられ、
息を切らしながら必死で登る。
こんな苦行の果てに、いったい何を見せたいの。
王都の裏に山があるのは知っていたけれど、
もちろん、行ったことなんてなかった。
そもそも城の外へ出ること自体が稀なシャルティオは、
久しぶりの外を味わってもいた。
「はぁ……っ……はぁっ……」
けれど元からそこまで体力はない。
山の中腹辺りで動けなくなって、涙目。
「……もしかして……
てっぺんまで……行く……気……?」
「そこに見せたいものがある!
夕暮れまでに着かなきゃいけないんだ、頑張れ!」
「兄さんは……体力あるから……楽だよねぇ……!」
そこへ、す、とキィランが背中を差し出した。
「シャル様、私が背負ってお運び致しますよ。
フェン様の素敵なサプライズ、
最高の状態で見て頂きたいのです」
「…………分かった」
キィランの背中に掴まって、山登りを再開だ。
キィランは華奢な体格だけれども、
力も体力もあることはあの異世界旅行でもう理解している。
王都の裏手の山。
てっぺんへ向かう道中の森の木々の葉は、
鮮やかに色付いていてとてもとても綺麗だった。
そして緩やかに、時は進む。
◇
やがて山のてっぺんに着いた時には、
もう夕暮れになっていた。
「ここだよ! 見て、シャル!」
キィランの背から下ろされ、兄の声のした方を見た。
そこは、山の上から王都を見下ろせる位置だった。
「…………」
思わず、息を呑んだ。
王都に輝く魔法の光が、
夕暮れの紅の中で幻想的に揺れている。
下の方に咲く鮮やかな紅葉が、その光景に錦を添えて。
まさに絶景、この世のものとは思えないほどの!
「…………綺麗、だ」
思わず呟いたその背に、投げかけられた声。
「そして──
誕生日おめでとう、シャルティオ!」
夕暮れの光が兄の顔に強く陰影をつける。
差し出されたそれは、手縫いで模様の刻まれた白いハンカチだ。
描かれたものはサザンカの花、シャルティオの誕生花。
困難に打ち克つ、の意味を持つ花。
「……ありがとう。覚えてて、くれたんだ」
「かわいい弟の誕生日を、この俺が忘れる訳がないだろう!
今日は誕生日プレゼントとして、この絶景も見せたくってさ!」
「…………にぃ、さん」
ハンカチを大事そうに仕舞い込んで、
シャルティオは小さな声あげた。
──そしてそのまま、兄にぎゅっとしがみついた。
「……ありがとう、大好き。
あのね、これまで大嫌いとか言ってたけど、
僕、本当は兄さんのこと大好きだもん。
……ありがとう、愛してくれて」
「…………シャル」
兄はきっと、驚いた顔をしていたのだろう。
ようやく、素直になれた。
分かる、分かるから。
両親に愛されなかった己だけれど、
この兄にだけは確かに愛されていたのだと。
大嫌いなんて言って遠ざけていたけれど、
どれほどの愛を受けたのか。
素晴らしい誕生日にしてくれたこの兄に、
いつも支えてくれた優しい兄に、少しでも感謝を伝えたくて。
「ありがとう……ありがとう……にぃ、さ……」
「…………しゃ、る」
兄の声が変だった。
不思議に思って見上げれば、
暮れの光に照らされて、兄の頬に光るものが見えた。
あれは──涙?
兄が泣くところなんて初めて見た。
兄に心なんてないと思っていた。
「兄さん……どうしたの?」
「あぁ……あは、いや、何でもない、
何でもないのさ、シャル。あは、は」
ぷいと顔を背けて兄は笑う。
けれどその瞳の奥に、
深い悲しみの色が見えたのは気のせいなのだろうか。
祝うべき誕生日に、
兄さんはどうして泣いているの?
「王都の光が眩しすぎてさ、
思わず涙が出ちゃっただけなんだよ」
下手な言い訳ひとつ。
誤魔化すよう、シャルティオの身体を強く抱きしめて。
どうして泣いているの、と不安は消えないけれど。
それでも今、確かに自分は幸せだから。
日が落ちて夜になって、
夕暮れとはまた違った絶景を見せる光の王都を、
兄とキィランと3人、
寒さに凍えないようくっつきながら、眺めていた。
◇
どれだけ、そうしていたろうか。
ただ静かに穏やかに、時が流れる。
「……さて、そろそろ帰ろうか」
ふと兄が言い出した。
もう時間も、それなりに遅い。
「帰りはねぇ、キィルじゃなくて
おにーちゃんが背負ってあげるよ!
たまには甘やかさせてよぉ、シャル」
「……別に、いいけど」
差し出されたその背に、しがみつく。
兄の身体はぽかぽか、優しいぬくもり。
シャルティオを背負いながら、兄は言う。
「……ねぇ、シャル。
この夜のことを、絶対に絶対に忘れないでね。
何があっても俺は君の味方だよ。
……愛してる、シャルティオ、俺のかわいい弟!」
愛を知らない人間が、愛してるを囁いた。
けれどその直前の言葉に、胸騒ぎを覚えるのは何故だろう?
兄とキィランが暗躍しているのは何となく感じていた。
まだ忙しいはずなのに、あえてこのような日を設けて
思い出作りみたいなことをしたということは──
シャルティオは、兄の背に強く強くしがみついた。
「……絶対にいなくならないで。
ずっとずっと僕の隣にいて、僕を守ってよ、兄さん」
「……素敵な夜だったねぇ」
「ねぇ兄さん、はぐらかさないで、答えて!」
「…………」
兄は何も言わなかった。
振り返るそのオッドアイに、
夜の森の木々が影を落としていた。
「…………それでも、俺は君の味方だから」
答えになっていない。
いなくならないでの叫びに、
兄は決して応えなかった。
それが、別離の予感を覚えさせて不安だった。
「……ねぇ、キィル」
「……私は、
シャル様のお傍におりますよ、ずっとずっと」
キィランがぷいと顔を背けた。
何も言ってくれない、話してくれない。
やがて別離があるのなら、
そうかも知れないのなら、
伝えられるうちに伝えておこう。
けして後悔をしないように。
「……僕も兄さんのこと、愛してるよ。
フェン兄さんは、僕の最高の兄さんだ!」
「……あっはっは!
嬉しいこと言ってくれるじゃないか!」
すれ違っていた兄弟は、この日、
きっとちゃんと和解出来たのだ。
◇
夜も更けて、山を降りて王宮への帰り道。
フェンドリーゼの背中のシャルティオは、
いつの間にやら熟睡している。
ただその温もりだけを感じながら、
フェンドリーゼはひとけの少ない王都を歩いていく。
「……この日が、
あの子にとって確かな灯火となりますように。
愛されていたのだと、確かに自覚してくれますように」
祈るように呟いた。
「──俺はこれから、君の敵になるから」
別離があると、知っている。
愛しい存在を守る為、
風の王子はあえて泥を被るのだ。
「……そしてキィル、
これまでよくやってくれたね。
もうすぐで君ともお別れなんだ」
「……私も、フェン様のお傍にいたかった」
「でもそしたら、
誰があの子を守るというんだい?
……分かってるよね。君にしか頼めないんだ、
キィラン・リリィス」
「…………御意」
唇を噛むキィランを、大切な従者を見ていた。
それでも歩む道を変えるわけにはいかないのだ。
誰も幸せにならないけれど、
きっとそれが最善の結末。
信じた道へ進むだけ。
「……それでも、
俺は君たちを愛しているよ、シャル、キィル」
心の欠けた王子様でも、
愛しているというこの感情だけは本物なのだと、信じたい。
◇
或る冬の灯火。
未来、シャルティオはこの日、
兄の見せた涙の意味を知ることになる。
分かたれた未来、
もう二度と交わらぬであろうふたりの道。
それでも消えない優しい思い出が、
胸を締め付けるように熱く痛んで。
──この日、兄がくれたハンカチは、永遠に宝物。