RECORD

Eno.44 ブルーバードの記録

運命と幸せについて

大多数の人は、運命の人といえば結ばれて幸せになる相手だと思うのだろう。
私もそうだったらいいと思っていた。
……それが”王子様”だと、その役は王子様であるべきだと思っていた。

実際の『運命の人』というのは、単身修練を積み、輪廻の終わり間際になりやっと出会えるもので
その出会いは更に厳しい最終試練の始まりを意味する。
運命の人と幸せとは、リンク関係にない。
結果的にパートナーシップを結ぶ者もいる、というだけの話であり
天運にそれを許される人が少ない結果、憧れが伝承となり美化されたものなのだろう。
この世の幸せは、運命の人でなくとも構築できる。
むしろ、運命の人ではない方が幸せに近いだろう。

『運命の人』は、最終試練を一緒に乗り越えるためのバディ、あるいは戦友。
それまで一人で戦ってきて、ソロでの試練を全部乗り越えた先に出会い
過去最大の試練に挑む共闘者であり、試練の到来を告げる者。
それまで自分を支えていた思考を壊し、新しい価値観を植え、自分を書き換えていく作業を二人一組で行う。
弱点や悪い所を洗い出す、良すぎて悪い相性の人、それが『運命の人』だ。
数多の苦痛を伴い、大切だったはずのものから手放していく。
それは”幸せ”などでは決してない。
結果的に”あああれも幸せの一種だったんだ”と気付けるだけだ。

最後に残るのは”愛”である。
普通の人はそれのみを都合よく切り取り、運命の人=結ばれる人という図式になってしまったのだろう。
どのような人とのどのような関わりであったとしても、全てはニルヴァーナに繋がっている。
憎む必要も、恨む必要もない。
どのような幸せも苦しみも、真に不本意なことに、ニルヴァーナに至るために必要なものだった。

……それだけだ。

我欲の一切を捨て去ってなお残るものが無償の愛であった場合、最終試練は合格と見做される。
それは悟りと等しいものであり、運命の人と結ばれたいという我欲とは最も遠い場所にある。




青い鳥の旅は一つの終わりを迎えた。
だが、私はこんな終わりを幸せとは呼ばない。呼びたくもない。

生まれ変わった姫様は王子様と末永く幸せに暮らした、そんな話がよかった。
温かい家庭に生まれ両親に大切にされてすくすくと育った、そんな話がよかった。

そんなものはない。
そんな話は存在しない。
それを受け入れ認め赦し、失ったものを嘆くではなく在ったことに感謝を持つ

ニルヴァーナ幸せの極地に到達した私は、何故泣いているのだろうか。



”火”は消えた。
それでも真に不都合なことに、命は続いていく。