RECORD

Eno.563 一つ目の蜻蛉の記録

薄翅:Ⅰ

『バイタルサインを確認。バーチャル・リアリティ・ソーシャルネットワークシステム:ユ・マクロアからログアウトしました。お疲れ様でした。安全に注意して接続を解除してください。』

──恐る恐る、ヘッドマウントディスプレイの留め具に手をかける。デザインされたものではない、自分の本当の視界が開ける。目に映るのは青い部屋だ。ユ・マクロアというVR世界を、まるで自らの身体を動かすのと同じ感覚で走り回るには、現実世界にも空間が要る。プレイ中の僕は天井に腰を吊られ、コンベアの上を走り、飛び、戦っている。ここはそのためのブルーバックのスタジオというわけだ。

(……そんなことを言っても、多分向こうのひとたちは信じてくれない)

安全と、トラッキングのために取り付けるサポーターを外していく。学校も社会も娯楽も何もかも、バーチャルの世界が主流になってきて、やれ肉体は不要だの、いや今こそ自然を見つめ直すべきだの、そんな議論がされる時代、世界に秋津ヨウは生きている。
VRスタジオを後にすると、そこは寝台と机しかない(スタジオより狭い)自分の部屋で、さらに廊下の先には、たまに家族で食事を囲むためだけのリビングがある。デジタル時計が19時を示している。母親がショートメッセージで呼んでいる。食事は、世間的にはレーションをVR上で味をつけて食べるのが当たり前だが、ヨウの家ではまだ、料理をするという趣味が残っている。

秋津ヨウはある日、VRにインしている最中にフラウィウスへと迷い込んだ。最初は数あるワールドの一つでしかないと感じていたが、闘士としての戦いの中で、これはVRではないかもしれないと思うようになる。

判断材料のひとつ、生の食事ができることだ。例えば今みたいに。人と食卓を同じとして。
もうひとつ、あの闘技場のひとびとは、姿も中身も様々ではあるのに、アバターを纏っているという感じがない。(いや、中には似た境遇の者もいるかもしれない)
最後のひとつ。攻撃を受けた時のあんな痛みを、僕は知らない。

だけれど、ログアウトすれば戻ってこれる。
あの世界にはルールがあり、武器を持ち戦うことが娯楽になっているのは、VRの世界と同じ。
相手の顔が見えなくとも、意志持つものであるのであれば、相対する時に礼儀を持てというのは、ヨウの世界でも常識。
だから、何も変わらない。そう自分に言い聞かせて、合成肉を咀嚼する。
ゲームをしてもいいが、高校の勉強も怠ってはいけないという決まりだ。授業はVRだが、自習は机の方が捗る。何事も使い分けだ。

では、ログアウトせずにディスプレイを外したら──?
あの世界で食べた料理の方が、……いや、これ以上は。