RECORD

Eno.105 マリン・ペリドットの記録

『カンラン石の少女』Ⅳ


 「―――――身体が、あつい」


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その日、不死様は珍しい魔導書籍を手に入れる為に屋敷を離れた。
曰く、遠くに住む古い知り合いが亡くなった、とかで。
その人が持っていた書籍を死後、譲り受ける為に招聘されるのだという。
転移術式を使えば話は楽だが、街の決まり事で使えないから遅くなる、と。
……転移術式、テレポートと呼ばれるそれは『政を取り仕切る不死様』の住まう城
その城への賊の侵入・或いは他の不死様による謀反を許す恐れがある……とかで
他の不死様といえど使う事は避けられているものであった。
他にも幾つかそういう術式がある、と不死様は仰せっていたが、兎にも角にも
一瞬で遠くへと行ける魔法は使えない。だから遅くなる、当たり前の事実を言われた。
……それなのに、身体が強張ってしまう。不死様が居ない間は好き勝手できるのに――
それこそ、館を抜け出したり。自ら命を散すことも、或いは隊商の貨物に紛れ込んで
外の世界へと抜けだす事だってできたはずなのに――


「帰ってきたら、可愛がってやる。私のペリドット」


乱暴に頭を撫で回され、ぽんぽんと頭を最後に優しく撫でて不死様が夜の闇へ消えていく。
その姿が消えてしまうまで、まるで呆けたようにその場に立ち尽くしていた。










それから、一人屋敷に残された私は不死様に言われていたルーティンワークをこなす。
掃除、洗濯、勉強、裁縫、料理、……そして、ワインの『仕入れ』。
ワインを買いに行く時だけは、外出を許されていた。決まった時間、決まった場所で、
決まった銘柄のワインを買う。

少し違う事があるならば、噂だと『不死様向け』のワインがあって、近い内に
それが販売されるかもしれない、なんて話。
風の噂というか、ワインをいつものお店で買い付けている時に街の商会組合の人達が
話をしているのを盗み聞きすることになってしまったからだ。

「あの――――――――が、『不死様向け』のワインを献上するらしい」

「ほう、もしもそれがお眼鏡に叶えば……ワインはほぼ独占商品になるんだろうな」

「仕立屋だって不死様向けに仕立てをしているんだ、俺達だってそうだ」

「まあ、それでウチの娘を『献上』しなくていいなら安い話だろう」

「おい……言葉には気を付けろよ、教団員だろうが」

「そうである以前に父親なもんでね――――おっと」




……偶然にもその会話を聴いてしまった私に気付いた組合員の二人がこちらを視る。
私を見るなり、『不死様』に拾われた子供だとは分かっていたのだろう。
足早に去って遠くに放っていた貨物を、商品を荷卸しする作業へと戻って行った。







街はいつも曇天模様だったが、夜になると綺麗な月と星空が時々街を照らす。
蛮族との戦いで破壊された区画を通れば、復興作業をしている男衆に、
その手伝いで小遣いを貰う孤児の姿も見える。
日中に復興作業をやる者達の方が多く、夜に復興作業をする者達というのは
いわゆる街路掃除や日中に作業できなかった残りを片付ける者達である。
とはいえ、夜に復興作業をする方が安全だと考える層は多い。不死様が外に出て
街に繰り出すから、夜間に蛮族が攻めてきても安心なのだと。

孤児とすれ違った。少年だ。
その子は自分より年下だが孤児としての経歴は長かった子だったと思う。
……すれ違った時にお互いに振り返って、またお互い別の道を歩いていく。
それは自分がもう「孤児」ではないということ、或いは仲間ではないという事だ。

そしてお互いに声を掛けず、記憶にも残らないようにする。
住む世界が違ってしまったなら、不干渉で居る方がお互いに楽だろうから。


帰り道も後少しという時、背の高い隻眼の女性が向こう側から歩いてくるのが見えた。
なんとなく目を合わせてはいけない気がして、目深に帽子を被って通り過ぎる。
かつ、かつ、かつ、かつ、と。軍靴の鳴らす音が近づいて、遠ざかる。
目を合わせていけない、と思ったのは軍靴の音が怖かったからだ――――

この街の軍隊は、パパとママを奪って行ってしまった。
二人を軍へと編入させ、そして蛮族への戦いへと充てたから。
私が孤児になった理由そのものだから。
そして隻眼の女性は、なんとなく。…………誇り高い軍人の歩みをしていたから。

そっと、後ろを振り向く。
その女性はこちらを視ていた。

怖くなって、ワインの入った籠を抱えて走る。




息を切らし、扉に手を掛けて勢いよく開け、館へ飛び込んで扉を閉める。
扉に背を凭れ、ずる、ずるとその場に座り込んで息を整える。

「…………、ぁ」

そうして、首筋に手を触れて。ぞくり、と身体に電気でも流されたように
『食事』の時に与えられる『ご褒美』の感覚が唐突に想い起された。

良くも悪くも、不死様に与える『食事』とは。普通の食事、とはいかず。
『吸血』による血を捧げる行為、それによって成り立つものである。
そして、その後は大体息が上がって身体が熱く、呆けた意識の中に居た。

……似たような状況だった。思い切り走って身体に酸素を巡り巡らせ使い込み
エネルギーを消費し稼働した筋肉は熱を帯び、エネルギーを放つ。
追加の酸素を取り込むために呼吸を浅く繰り返せば、酸素が欠乏する脳は
思考がぼやけて曖昧になる。

そうして、『血を吸われたい』、『不死様に与えられるご褒美に溺れたい』欲求が
つまりはカタルシスを得たいという欲求に駆られてしまう。
我慢すべきなのだろう。本で読んだ「快楽」というものの一つがコレだと知っている。
人は欲に生き、そして溺れる。
だから、













私は我慢すべきだというのに、不死様を身近で感じていたくて。

その夜は、不死様の部屋の寝具に身体を横たえたのだ。