■ DAY4/AM4:00-アーカイブ
ブックエンドの4人目のマスターは孤独な老婆だった。
「おはようございます、マスター。
ワタシはブックエンド。いつでもアナタの人生の傍に」
経年劣化した型落ちとして、捨て値で中古販売されていたところ、
多忙により介護に時間を取れない息子によって買い与えられた。
その老婆は元来の偏屈により周囲に嫌われていた。
身体は健康そのものだったが、近年ぼけを発症し、
目にした人間全てを幼少時代隣の家に住んでいたケンちゃんだと思い込むようになってしまったため、
いよいよ周囲は介護をブックエンドに任せて寄り付かなくなってしまった。
肉親の縁故か、息子だけが時々訪ねてきていたが、それも一か月に一度程度だった。
『ケンちゃん、昼ご飯はもう食べたかい?
あたしが作ってあげるよ』
「”ケンちゃん”はブックエンドのニックネームとして登録されております。
マスター、先程昼食をお摂りになったばかりです。
一日4食以上の食事は──」
老婆の家は旧団地エリアに所在しており、他に住民はほぼいない。
彼女の日常に存在するのは、殆どブックエンド──ケンちゃんだけだった。
老婆の容態はあまりよく無く、やがて自らを思春期の少女だと思い込むようになる。
『ケンちゃんに見せてあげる、葉っぱ手裏剣のつくり方!』
「葉っぱ手裏剣として登録されているレシピにはイヌマキの葉を用いますが、
イヌマキは14年前に絶滅しております」
『ふふふ。こっちだと、ハナミズキの葉の方が有名なんだよ。
ハナミズキの方が、色鮮やかで綺麗でしょ?』
家政婦として派遣された当初、
枯れ果てたようだった老婆の表情には、今や瑞々しい表情が浮かんでいた。
「... ... ...」
「新規レシピを登録しました。
プレゼントに感謝します、マスター」
人間は一人として万能じゃない。
ひょっとすると、老婆のその振る舞いを耄碌なのだと、
指をさして笑う者もいるかもしれない。
だけれどロボットは基本的に、他者を助けるため、
ヒトの未来を祈った人類によって作られる。
だからこそ、そんな露悪的な感慨など持たなかった。
会話は噛み合わないかもしれない。
けれどそこには、どこにも悪意の存在しない、
穏やかな4畳半の楽園があった。
けれど、そんな日々も長くはなかった。
ある日ブックエンドが炊事を行っていると、老婆は唐突に崩れ落ちた。
「ピー、ピー。急性心筋梗塞と見られる症状が発生しております。
只今、付近の救急機関及び緊急連絡先にコールを行います。頑張って!」
老婆は苦しみあえぎながら、しかしブックエンドの通報を制止した。
『このまま逝かせておくれ……』
『もう、やりきった。もう、良いんだよ……』
『ケンちゃん……』
ブックエンドは『命令』を受けたと認識し、通報をやめた。
彼女、及びこの国で製造された医療・介護に分類されるロボットは、
『マスターからの命令』を、『マスターの生命の保全』より上位の優先度に登録されているのだ。
「... ...」
「... ... ... ...」
ブックエンドは、黙って老婆を看取った。
今死にゆく者へ言葉を贈るのは、家政婦ロボットにとって過ぎた役割だった。
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『女手ひとりでオレを育ててくれた母さんに、
親孝行してやりたかったんだ。
だから沢山働いて、金貯めようとしてて……』
”多分違かったんだ”、と息子は唇をかみしめて目を伏せた。
このころ労働者の労働環境及び賃金は、悪化の一途を辿るばかりだった。
この三十年で、AI・ロボット技術は、
既存の労働環境を瞬く間に塗り替えてしまったのだ。
『ケンちゃんっていうのは、母さんが小さいころ好きだった人なんだ。
だけど川に溺れて亡くなっちまって……。
その後お見合いで結ばれた父さん……も過激な人だったらしくてさ、
オレが物心ついた時には離婚してた。そのせいか、いつも気を張っていたよ』
『母さんはあんたをケンちゃんだと勘違いしてたが──
だけど、あんなに生き生きとした母さんは久しぶりに見た』
『ありがとうブックエンド。あんたを買ってよかった』
『それで少しでも、母さんに恩が返せたのなら』
「ピピー」
後悔と感謝が混ぜこぜになったその言葉に、
ブックエンドはどう返答するべきか分からず、
最近すっかり頻発するようになったエラー音を吐き出す。
それから一分半かけて、ブックエンドは一言だけこう発言した。
「お悔み申し上げます」
その言葉を聞いた男の目から、堰を切ったように涙が溢れだした。
悔悟からの啜り泣きを、ブックエンドはただただ、黙って聞いていた。
(このようなシチュエーションでの返答パターンが実装されていないからである)
そうして役目を終えたブックエンドは、
マスターの登録を解除された状態で売却された。
本来ならばもう売り物にはならない製品だったが、
所有者の強い希望により、廃棄ではなく、売却という形になった。
雇用期間は2年だった。