Eno.131 鰄 八尋

■ 漂流五日目:歩くような速さで

食べ物の備蓄は十分。
サメとか大きな魚を捌いて焼いたのが多少あるわ。
真水と材木も、一日二日は困らないくらい確保できてる。

暮らしに余裕が出てきたって、言っていいんじゃないかしら。
周りのみんなもそう。多かれ少なかれ、似たような状況に漕ぎつけたはず。
そうでない人は、きっと助けてもらえるわ。

つまりね、よっぽどのアクシデントでもなければ生き残れると思うの。
二日目の切迫感は、すでに彼方へ遠のいていて……
手を動かすより、考える時間が増えて来ている。そういう実感があるわ。

これって、いいことよね?

これまでのこと。いまのこと。このさきのこと。
思い返せば、落ち着いて考える機会がずっとなかったことばかり。
ただ無意識に逃げていただけかもしれないけど、考えるようになったの。

あなた、リアイティショーって知ってる?

生身の人間が実名で出てきて、バラエティ番組みたいなんだけど……
一応の筋書きはある。生々しさが売りのテレビ番組よ。
文明が崩壊する前はけっこう人気があったのよね。

この無人島生活で、思い出したの。

私は私自身の漂流生活を、どこか離れた場所から眺めている。
もしかしたら、生まれて初めてヤヒロ・カイラギを客観視できてるのかも。

それだけじゃないわ。

いろんな人に話を聞いてみて、私はサメのいない世界があることを知った。
(ここでいうサメは空を飛んだり、巨大化したりする狂暴なサメのことよ)

文明崩壊前の社会に似通った世界もあれば、おとぎ話みたいな世界もあるの。
ハーピーのチックに、天使の月蝕。サメの災害を知らない人たちも。
というか、こんなにサメを恐れているのって私だけじゃないかしら?
だんだんそんな気がして来たわ。

つまり私は、あの悲惨な世界を遠く離れて―――
自分自身の境遇を、はじめて相対化できている。そんな気がするの。

「客観視」に「相対化」。
口で言うのは簡単かもしれないけれど、大切なことよね。

考えないといけないことは山ほどあるわ。
たとえば七日目を迎えた後のこと。私は何がしたいのかしら?