Eno.433 若葉博士

■ 記録017

そういえば、私が壊れた時計の謎に混乱していた時、誰かが小さく呟いていた。

『さいしょの便箋』

改めて読み返した。



"……この島はあまり長く住むには適しません"

"この島は……早くて数日、長くとも数十日と経たずに海へと沈みます。"

"七日ほどに一度、この辺りには船が通ることがあります。"



「どうせどこの誰が書いたか分からないものだ」と軽視した私は如何に愚かだったか、今になって思い知る。

食料は明らかに獲れなくなってきている、長く住むのには向かないわけだ。

そして海面水位。クソッ、何故この文書を軽んじたんだ。最初から意識しておけば、水位を観測出来たはずだ。何のための博士号なんだ、こんなことに気付かずに「博士」なんて名乗って恥ずかしいぞ……。

最後の、7日に1度「来るかもしれない」船。……これは先にこの島に関する私の推論を説明してからだな。


(稚拙な図で申し訳ない、私には絵心が無くてね。)

概念的に、この「島」は複数の次元の焦点であると私は考える。

そして「10:08:42」はレンズだと考える。正確にはレンズになった時間的ポイント、まあ「時点」と言うべきだろう。

「10:08:42」に屈折させられた次元達の焦点、「島」。
その屈折した次元達が「島」の定義範囲に居る間、私たちは共に生きる。
「島が沈む」は次元の拡散だろう。屈折した次元が交わった後も進み続ければ、それらは「島」の定義範囲から外れ、バラバラに拡散していく。


(定義範囲はタイムリミットと言い換えても良い)


(拡散してしまえば、次元軸を大きく外れ、二度と元には戻れないだろう)

……恐らく船も概念的なもので、その正体は「矯正力」だろう。



拡散する次元達を、本来の場所に戻す力。
……もしくは、全てを一本の次元に纏める力。


これは……希望的観測だ。最後は次元の渦に飲み込まれて消えるだけかも知れない。

でも良いじゃないか、希望的観測でも。「現実的に」考えるべきだろうか?しかし、こんな現実離れした場所で現実的に考えるほうが現実的じゃないと、私は思う。



勿論、これは仮定に仮定を重ね、希望と、妄想と、願望を織り交ぜた与太話だ。

誰かに話そうなんて思っちゃいないさ、聞きたがる奴がいたら……いや、これを説明するのは大変すぎるな……。

ま、一応何かに書いておこうか。




……これで私の自己満足は完結だ。 最後が「めでたしめでたし」で終わることを祈ろう。