Eno.131 鰄 八尋

■ 漂流七日目:エンドロールの流れる頃に

ユウリにお歌を教わったわ。

あの子が大好きだっていうお歌。私の胸を打った調べを。
何度も何度も繰り返し歌って、も忘れようがないくらいしっかり覚えたの。
音程も、抑揚の付け方も全部お手本通りに。歌詞もちゃんとしたのを書いておいたわ。

私の世界に帰ったら、みんなに教えてあげるんだから。
きっと気に入ってくれるはず。歌ってる場合かなんて、誰も言わないわ。
歌ってみたい!って思わせてくれるほど素敵なお歌ですもの。


そう、向こうに帰ったら―――。

週に一度だけ、お船が現れるって最初の手紙に書いてあったのよね。
でも、あの手紙は大昔のものかもしれない。今もそうだとは限らないわ。
通りがかっても、気づいてもらえるかどうかわからない。
ついでに言えば、助ける気を起こすかどうかも運次第って感じよね。

もしも全部が上手く行ったら、きっと私は帰るのよね。
「レヴィアタン」に喰われたあの瞬間に。

やるべきことをやるって決めても、やれるかどうかはわからない。
帰った瞬間に死んじゃったりしたら、もう最悪よね。
一番考えたくないパターンだわ……。
それについては死んじゃおっかな、なんて一瞬でも考えた私が悪いのだけど。

私にできることは、ただそうならないように祈ることだけ。
―――パパ、ママ。私頑張るから、もう少しだけ時間をちょうだい。


あとね、余った石を集めて瑠璃子の像を作ったの。
作ったことに、大した理由なんかないわ。ただ、忘れられたくなかっただけ。
だって、帰ってすぐに死んじゃうかもしれないんでしょ?

だったら私は、なんかバカなことしてる子がいたなって……
そんなのでもいいから、憶えていて貰いたいの。
私はきっと、こんな形でしか生きた証を残せないんだわ。
誰かの心に、一生消えない傷痕を刻めるような意気地もないし。

あの子の像にした理由ならあるわ。

素敵な子だもの。

顔が綺麗で、黒髪がしっとりしていて、発育のよさときたら天下一品だわ。
一体何を食べて育ったら、あんな風になれるのかしらね。
唇もぷっくりしていて、私の目から見てもドキッとしちゃうくらい。
穏やかで優しくて、嫋やかで気品があって……私とは正反対のタイプかも。
名前も素敵よね。瑠璃子。瑠璃子。瑠璃子って言ってみるといいわ。
舌に甘味さえ感じるみたいで、口にするたびうずうずするの。
それにほら、恥じらう姿がかわいくて、弱った顔が見たくなっちゃう。
全部無意識にやっているなら、天然物の魔性の女なのかもしれないわ……。

あっ、待って。待って違うの!
瑠璃子の一番素敵なとこは、そういうのじゃなくて―――あの子はね、
いつもおっかなびっくり戸惑いながら、きっと誰よりも芯が強いの。
奥床しさで包まれたものが何なのか、私にはわからずじまいだったけど……
世の中はうわべだけで判断する人の方が多いから、すっごく苦労してそうよね。

もしかしたら、私よりずっと大変な目に遭ってきたのかもしれないわ。
サメに襲われるより大変なことってある? あるわ。あるでしょ。あるに決まってる。
「ああっ、可哀想な私! 世界で一番可哀想!!」―――なんて思える訳ないじゃない。
少なくともまだ生きてるし、この島でもたくさん幸せな思いをさせて貰った。
きっと、今でも十分すぎるくらいに幸せなんだわ。

とにかくあの子は、身の上話にじっと耳を傾けて、精一杯心を寄せてくれたの。
ねえ瑠璃子。あなたのお話、もっとたくさん聞きたかったわ。
―――ああ、私ってばなんてバカなのかしら!
あなたのこと、もっと知りたかったのにもう時間切れだなんて。

先のことはまだわからないけど、心に決めたことならあるわ。
”家族の問題”にケリをつける。どう転んでも、精一杯のことをするって決めたの。

だから、ね、また会いましょ。

ほんの些細な巡り合わせで、私の前に現れたあなた。
この先、一人でやっていけるのかしら? 大丈夫よね。逞しくなったし。
ふふっ、瑠璃子。瑠璃子ってば。大切な私のお友達―――。