Eno.224 ナンナ•セファレイエ

■ 縋るもの

夜のうちに方角を割り出しておこうと砂浜に行ったら、例の天使のお兄さんが祈りを捧げていた。
天使っぽいじゃなくて天使の、なのは祈りを捧げてたお兄さんの背中から翼が生えていたからよ。
祈りを邪魔するのも悪いかなーって思ってお水とお魚をお供えしてちょっと離れたところで空を読もうとしたけど、アヒル令嬢をまだ信じてたの!
本当に大丈夫かしらこのお兄さん……。

まあ、あたし吸血鬼だし神サマ斬ろうとしてる剣士だし、祈りを邪魔したって別に良くない? ってなって普通に砂浜に足を踏み入れたわ。
だってそこが一番月がよく見えるんだもの。
「あら、お祈り中にごめんあそばせ……お祈りを邪魔するなんて吸血鬼っぽいでしょう?」
なんて自分でも寒気がしちゃう様なお嬢様口調で言ってみたら、
「でもキミはそんなことしないだろうね。
 わざわざ邪魔するよりもそのまま全て倒してしまった方が早いだろう?」
だって。
ふふ……そんな冗談も返せたのねえ。もちろんその通り、降りてきた神サマごとぶった斬るわ。
……ああ、でも別に神サマに縋ることを悪いとは思ってないのよ。
あたしには帰る場所ががあって成すべきことがあって……いわばそれに縋ってるようなものでしょう?
お兄さんには帰る場所もなくて、天使だったから神サマやそれに類する存在が家族だったんでしょうし。
……でも祈りを捧げたら救われるとはどうしても思えないだけで。

安心するために祈りを捧げることも知ってるし、分かってる。
そうしている人が身近に居たから知っている。
結果的にその人は救われたけど、長い間苦しんだ。
今も苦しんでると思う。
まあ……スエン(おにーちゃん)の話なんだけど。
あたしから見ても、ママ、スエンとあたし達とで扱いが違うなあって思ってたもん。
スエンがずーっとパパと会えますようにってお祈りしてたのも知ってる。
祈って裏切られて祈って叶わなくって……その繰り返しで、おにーちゃんはすっかり捻くれてしまった。
昔はあたしと同じように無邪気に笑って、剣で遊んでたのに、いつしか辛そうな顔ばかりするようになった。
あたし達から距離を置くようになった。
笑わなくなった。
泣きそうな顔ばかりするようになった。
でも、あたしにはどうすることも出来なかった。
ただあたしは、スエンがどっかに行ってしまわないように繋ぎ止めることしか出来なかった。
だって、それでも……一緒に笑っていたかったから。
『パパに似た子供が欲しかった』
ママはよくそう言っていた。あたし達、そしてスエンにも。
ママ自身もどうしようもなかったんだろう。
神サマは残酷だと思った。
──ママに似た子供の後に、パパに似た子供が生まれるだなんて。
あんなに祈りを捧げていたのに、神サマは何一つ、スエンに欲しいものを与えなかった。
見た目も、剣の素質も、魔法の素質も。
全部あたし達が取ってしまった。……ママの愛情まで。
だから……祈りを捧げても無駄だって思った。
裏切られて傷付くなら、そんなものに縋らなきゃ良いって、思ったの。
だからあたしは祈りなんて不確かなものに縋ったりしない。
神サマなんかに縋ったりはしない。

あたしが信じるのは、この身体と剣だけ。
あたしが、縋るのは帰る場所と、成すべきことだけ。
進むべき道をただまっすぐ進むだけよ。
まっすぐ進んでいればいつかは……陸にも辿り着けるんだから。