Eno.140 月白色の科学者

■ 知識欲の獣

生まれた時からずっと、飢えと渇きに苛まされている。
何を食べても、何を飲んでも満たされないそれは、名を『好奇心』と言った。





俺の原風景は、水の中にある。
母たる羊水ではない。とある地底湖の、水中。
俺を見つけたのは、近隣の採掘場の作業員だったと聞いている。
殆ど赤子としか言えない俺がどうしてそんな場所にいたのか、誰もが首をひねった。
冷たい地の底でよく生きていたものだ、とも。

その国は年がら年中どこかと戦争をしているような国であったから、
孤児は山ほどいたし、そういった子供への手当ては厚かった。
いくつもある孤児院の一つに俺は預けられ、里親が現れないままに育った。
だから俺は、親というものに関しては知らない。


知りたい、と思った。親の事だけではなく、何もかもを。
我ながら漠然としているが、とにかくこの飢えと渇きを満たしたかった。
まずは、言葉。次に、書物。
自分の手の届く範囲にあるありとあらゆる知を貪った。

足りなかった。
余計に飢えた。

周囲からは勉強熱心かつ優秀な子供と見られたお陰で、
徐々に手の届く範囲は広がったが、この飢えの前では誤差でしかない。


ある程度育った所、特待生扱いで教育機関に入れられた。
友人もできた。恋人も――誰とも長続きしなかったが――沢山できた。それでも飢えていた。
しかし、学べば学ぶほど、より学ぶことができるという事を学んだ。
得られる知識はまだ足りなかったが、生まれた時とは比べ物にならない程に増えている。
ならば、より高みを目指そうと考えるのは酷く自然な事だった。

俺の頭の出来は特別良かったらしく、民間の研究機関に所属した後、すぐに軍へと引き抜かれた。
前述したとおり、そこは年がら年中戦争をしているような軍事国家。
物資は勿論、頭脳もあればあるだけ良いという背景があったが、そこはどうでもよかった。
俺の研究物が何に使われ、その結果どうなるかという事も、知識として知りはしたかったが、
悪魔だの人でなしだの罵る声にはさほど興味がなかった。
今思えば俺も若かったし、もったいないことをしたと思う。

俺へと向けられるその感情も、立派な『情報』だったというのに!

魂の底から来るとしか言えない渇望のままに、
俺は知識を収集し、蓄え、産みだし、食らった。
人間の倫理観という薄氷一枚を超え、少し暗い所に潜れば、得られる情報は飛躍的に増えた。
人体実験。異種との交配。怪物を操る方法。エトセトラ、エトセトラ。
禁忌という言葉は知っていたが、それによって行動を制限される気はなかった。
俺は研究をし、結果を出す。その代わりに軍は資金を出し、結果を手にする。
どちらにも利益のある関係だ。


そうして渇いていることにも慣れた頃、ふと考えついたことがある。
―― 一番不可解なのは俺自身なのではないか? と。
思いついたら試さずにはいられなかった。あらゆる行動を試したかった。
しかし俺は一人しかいない。人生で初めて困った。検体がたった一つでは到底足りない。

だから増やすことにした。

表向きには、疑似的な死者蘇生を目的とした記憶の転写術。
軍向けには、より柔軟かつ高性能なAI、および素体の作成術。
そういった名目で予算をもぎ取り、俺は俺の完全な複製を作った。
流石に随分とかかった。肉体の複製はともかく、精神には数十年使った。
不完全な"俺"を功績として売ることで、予算には困らなかったことが幸いか。


最終的に俺は"俺"を生み出し、あらゆる手段を用いて食らった。
人生で一番飢えの満たされた瞬間だった。
そして、一つの答えも得た。

――俺の飢えを満たすには、人間という器では足りない。
観測範囲も、容量も、そして寿命も。

だから人間をやめることにした。
そのための知識はすでに手に入れていた。





そして俺は『世界』の一部になった。
手放したもの、零れ落ちたものも多かったが、後悔などするものか。
これは俺が望み、選択した結果だ。

――何千年、何億年経っても。