Eno.131 鰄 八尋

■ 漂流三日目:終わりの始まりと始まりの終わり

夜明け前の薄暗闇。黎明の気配さえ、まだ感じられず。
あらゆるものの輪郭があいまいな時間に、私はいつも目が覚める。
物資を集めに行くのなら、日が昇りきる前がいい。

サメはけっこう目が悪いから、目視されるリスクを抑えられるの。
もちろん、匂いには気を付けなきゃダメよ?
息を殺して、気配を潜めて。
あの凶悪な歯列にかからないことだけを願いながら、廃墟を歩いた。
毎日毎日、そんな風にして一日を生きられるだけの物資を集めに行くの。

文明社会が崩壊したばかりの頃は、加工食品がたくさん残っていたわ。
生鮮食品とか冷凍食品はダメになってたけど、水分の少ないお菓子は長持ちするの。

それより問題は飲み水よね。水道局が廃業しちゃっているでしょ?
この島でしているみたいに、雨水を溜めたり川の水を沸かしたりだとか。
よくわからないなりに、やっているうちに慣れてくるのよね。

世界が滅びても、私たちは生きていた。
サメの陰に怯えながら、たったひとつの生命を精一杯繋いでた。

それもこれも、元はといえば私のパパのせい。

パパは医療ベンチャーみたいな会社を作って、新しい技術の研究をしていたの。
誰が呼んだか「サメ細胞」。
サメの生命力と抜群の長寿を人間にもたらすっていう触れ込みだったわ。
パパはその技術を臨床レベルの実用化までこぎつけた。

たくさんの難病患者が健康を取り戻したそうよ。
私自身もその一人。生まれたばかりの頃、心臓がすごく弱かったんだって。
でも、そんな夢の技術を悪用しようと考える人たちが現れた。

サメ細胞の過剰投与による、超人兵士の量産計画。
人は限界を超えてサメに近づこうとした。文字通りに「限界」を超えてね。
各国の軍部はより強力なサメ細胞の開発を競ったわ。
無理な実験を繰り返して、拒否反応を示す実験体が後を絶たなかった。

悍ましいサメ人間が山ほど生まれた。ただのサメになっちゃった人も大勢いたみたい。
なぜ知ってるかって? 資料を見つけたのよ。偶然ね。
その手の内部報告みたいなやつ。あんなこと、知りたくなかった。

私のパパがもたらした技術が、世界を滅ぼしてしまったなんて。

世界には少しずつサメが溢れ始めていた。
でも、決定的な破綻はもう少し先のことだったわ。