Eno.255 トワル

■ *『最後の記憶』

 
死のうと思った。


僕は世界の概ね全てが好きだけど、そこに立ちたいわけじゃない。
幾つもの偶然で作り上げられたその形を俯瞰する事が好きなだけだ。
きっと何かひとつでも欠けていればそうはならなかった。
そんな一つひとつの歴史、一人ひとりの人生を遠くから眺めていたい。

眺めていたいだけなんだ。
当然、好きな所もあれば、好きになれない所もあるけれど。
それを自分の足跡で汚すなんて、冗談じゃない。
そんな徹夜明けの気の迷いだった。

ともかく僕はまず死ぬなら最後に何をしたいか考えた。
僕はこの世界の概ね全てが好きだ。
けれどこんな気質だから、実際に見た事があるものは殆ど無い。
だから────旅行をしよう。一人で。

行き先は少し迷ったけど、結局答えは一つだった。
最後だからって誰かの居る所に行くほど血迷ってるわけじゃない。
北と南は昔から大体常に物騒だし、面倒事には関わりたくないし。
東は最近何かあったみたいだから行きたくない。

西の果ての海に行こう。
こと現代に至っても、海は海の魔の領域だった。
恐ろしいほどに美しく、残酷なまでに遠大たるもの。
竜の霊峰と並んで、陸の生き物には到底踏み入れぬ場所だった。

それはヒトの半歩ほど先を行く魔女という種であっても。
その場所は古より生まれ育った場所とおよそ隣り合っていたのに、
900年という歳月を経てもなお、未だ手の届かない場所だった。
長い年月で積み上げられた知識を以てしても知り得ない、未知のもの。


やる事が決まったら、あとは準備をして、実行に移すだけ。
思い付く限りの旅行に必要そうなものを一通り仕様書にして、
使い魔達に準備しておくよう指示を出したら後は彼等の仕事だ。
それとは別に移動と荷運びに適した使い魔を拵えた。良い出来だと思う。

そんなこんなで、人生初の旅行は案外何事も無く終わった。
果ての海は陳腐だけれどこの世のものとは思えないほど遠大で、誰も居なかった。
有り余る時間と技術をありったけ詰め込んだ使い魔との旅は快適だったし、気楽だった。
何か一つでも不満があれば馬鹿馬鹿しいとやめにしていたかな。


「……じゃあ、これ。持って帰って。
 その後は指示通り。僕が居なくても数百年は保つ、けど
 他にしたい事ができたら、自由にしていいから」



旅行の為の荷物を全て、連れていた使い魔に持たせて。
『家』に帰るよう指示をすれば、こくりと首肯し踵を返した。
だって荷物、ここに置いていくのは迷惑だもんな。

………こういう時、なんて言うんだっけ。
ああそうだ、父さん、母さん、先立つ不幸をお許しください……


「……いや、僕が最後だし」



はは、なんて乾いた笑いとしょうもなさ。
親孝行者はそれだけ携えて、背後の崖へ、ゆっくりと上体を傾けた。