Eno.37 『幸福を運ぶ青い鳥』フォグ

■ こうかいの記録

島に流されてきた十六人で始まった船旅は、それぞれの居場所、あるいは新天地へ向かいながら一人また一人と数を減らしていく。
そして、航海の旅路の最後に一人残ったフォグはただ一つを願って舵を取る。船は凪いだ水面を進んで、濃い霧の中へと入っていった。

「……! あの船……まちがいない、親分の船だ!」



霧の向こうに、もはや船と呼べるのかも怪しいようなものが浮いているのが見えた。マストは折れて、ところどころに穴が開いていたがそれは沈む様子もなくただ浮かんでいる。
接舷したフォグはすぐさまその船に飛び移った。穴が開き、海底から巻き上げられたゴミの打ち上がった甲板を駆ける。そうして、もはや扉の意味を成していない木板を引き剥がすような勢いで開いた。
船室の中には、ずっと、ずっと探していた人がいた。

「親分!!」



「この声は……フォグか? お前、どうして……」



「親分、オレ、無人島に流されて……それで、そこでいろんなことを経験したんだ。船旅もして、ずっと親分のことを探してたんだよ。あの時の約束、今度はオレがみんなを助けるために」



「……はは。そうか。お前が……
いっつも誰かの後ろをついて回ってた、お前がなあ……



「お宝もあるんだ。大切な人たちからもらったものもあるから、全部はあげられないけど……親分たちのために集めたやつもある。ほら」



フォグは意気揚々と鞄を開けて、中にじゃらじゃらと詰まった宝石やアクセサリーを見せた。きっと、親分は喜んで、大笑いして、前みたいに頭を撫でてくれるのだと、そう思っていた。
しかし、実際は笑い声も、首が痛くなるほど乱暴に撫でてくれる手もなかった。

「……親分?
あ……そっか、お腹空いてるし、喉も渇いてる、よね。オレの船に来てよ、食べ物も飲み物もあるから」



黒いコートの袖から覗く、大きくてごつごつした手を掴んだ──はずだった。フォグのフリッパーは、宙空を掻いて空気を掴むだけだった。

「……でかくなったなあ、フォグ。あれからどれだけ経ったのか、俺にはもうわからんが。
……お前が俺の後をついて地獄に来るんじゃないかと心配で、ここを離れられなかったが……やっと俺も子分どもに顔を見せてやれそうだ」



「……なに、言って」



「フォグ。俺達はな、もうずっと前に死んでんだ。だから、お前と一緒には行けねえんだよ。
お前はこれから、一人で歩いていけ



膝から崩れ落ちたフォグは、はじめ腐っていた床板が抜けたのかと思った。しかし、視線を落としてみれば床板はなんともない。足が震えて立ち上がれないことに気付いて、ようやく親分の言葉を理解した。
――間に合わなかったのだ。はじめから、間に合うわけがなかったのだと。
じわりと視界が滲んだと思ったら、もう止まらなかった。

「……オレが、おそすぎたから?だから……たすけられなかった?オレが……オレの、せいで」



「海賊の男が泣くんじゃねえ!……俺はな、最初っからお前が俺達を助けてくれるなんて思っちゃいなかった。だから、お前のせいでも何でもない。
お前が生きていたんならそれでいい」



オレはよくない!!
親分達と、また旅ができるって……そう思っていたから、ここまでやってきたのに……」



涙と嗚咽を零すだけのフォグを前に、親分は手を伸ばしかけて、やめた。その頭を撫でてやるための腕は、とっくの昔に無くなった。だから、厳しくても、一人で生きていけと突き放すしかない。巣立ちの時だった。

「……子分どもと、最後に賭けをしたんだよ。お前が生きてるかどうかってな。みんな、死んでる方に賭けた。俺は、生きてる方に賭けたんだ」



「だって、お前は一度それで俺に大儲けさせてくれたからな。そんで、今回も大当たり。賭けは俺の一人勝ちってわけだ」



「お前は俺に幸運を運んでくれた。最高の子分だったよ。
でもな、いつまでも俺の尻追っかけてないで、いい加減お前はお前の好きなように生きろ」



「そんなの……オレは、親分達と……ずっと……」



置いていかないで、オレも連れて行ってと手を伸ばしかけたフォグを止めたのは、あの島で過ごした思い出。
──それぞれの決意を、思いを胸に抱いて、それぞれの願う場所へと旅立っていったみんなのこと。
たった七日間の共生の中で見た、自分の足で立ち、生きていく仲間の姿。
それを目の当たりにしてしまったから。同じ仲間として共に生きることを知ってしまったから。
この別れがどれだけの痛みを伴うとしても、もうここで終わる選択肢は選べなかった。

「……親分。今までありがとう。オレのことを助けてくれて、守ってくれて、ありがとう。
オレ、行く。もっともっと旅をして……いろんなものを見て、お宝を集めて……いつか、親分のところに行ったら、その時にまた、お宝見せるから。待ってて」



「……ああ。行ってこい、フォグ。
……待っててやるから、めいっぱい暴れて、楽しんでこい」



フォグが涙を拭うと、もうそこには誰もいなかった。船室の隅に、朽ち果てた骨が転がっているだけだ。
フォグは何も言わずに船を出る。そうして自分の船に戻って、進み始めた。

霧を抜けて振り返ると、もうそこに船の影は見えなかった。もしかしたら、船があったこと自体、幻だったのかもしれない。
これから、どこにいこうか。なにをしようか。何一つ決めていないフォグに一つだけできた、確かな目標。
たくさんの人に会いに行こう。そして、たくさんの幸福を届けに行こう。自分がそうしてずっと助けられてきたように、今度は自分が。今度こそ、自分が。
果たせなかった約束を、後悔をずっと胸に刻みながら、幸福を運ぶ青い鳥は、どこまでも続く旅路の一歩を踏み出した。