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どうにかと海の上に船を滑らせて。
いくらかの島と世界の海を巡って。
そうして船の中も随分寂しくなった頃。
小さな舟が、最強夢追威鬼乃琥魔流から離れていった。
どこかの島から同じようにして手に入れたのだろう、
真新しい木材でできたそれには、窮屈そうに黒く大きな獣が乗っていた。
船に両手を振ると、なんとか帆と舵を操りながら大海原を進んでいく。
太陽が照り付けるように輝きながらも、
島の上にあった青天井とは異なる薄い空の色と湿った風。
また別の世界の海へと『開いた』境を越えたのだろう。
南国めいた海と風と空は、すっかりその様相を変えていた。

「ただいまぁ〜」
その軽い一言と共に獣が帰ってきた時、人間たちは大層驚いた。
如何様にしてもくたばることのなかった不吉な真っ黒い獣を、
やっとの思いで我等は海の向こうに流したというのに。
どういうわけかその獣は、背負子に物を沢山詰め込んで、
少し消耗しながらも元気な様子で帰ってきたからだ。

「えっえっなんでそんな平たくなって…
え…酒があるって? …飲む!」
結局、困り果てた人間にできたことは、畏怖を畏敬に変えることだった。
単純な獣を丸め込み、怒りや報復を恐れながら崇めることにした。
幸いにして其れは、人が恐れていたように人を取って食うなどはせず、
一日に綺麗な水と焼いた魚か獣肉、それと少量の酒を捧げれば、
大人しく社に留まり、代わりに異国の話を聞かせるのだった。

「これは遠い国で手に入れた香草だ。
こうやって…刻んで、乾燥させたものを…」
大人には海難の際の生存術を、
異国で取れる植物からなる薬や香の話を、
高層住宅などを建てるための優れた技術を。

「…あぁ、それはだめなやつだ。
食べたら最後、こんにちはするからなぁ!」
童には面白おかしく、島や航海の旅の話を、
危険な茸と危険じゃない茸の見分け方を、
合成樹脂製の家鴨を戦わせる遊戯を。

「色んなひとがいた。年齢も性別も、姿形も。
小競り合いはあれど、争ったことはなかった。
…皆、優しくて善いひとだったとも」
そしてどちらであっても、最強のそうなんちゅの話を。
ずっと繰り返して、ずっとずっと繰り返して、
やがて童が大人になり、その童も大人になり、
それが安定して繰り返されるようになった頃には。
獣を恐れる人間は減り、敬意と畏れが混じりながらも
なんとか人の間に暮らせる程にはなったという。
……かつてのシマにナガサレた時と同じように、
獣はまた時折ぱっと消えては異なる世界に招かれて、
唐突にふらりと元の世界に戻ってくることもあった。
消えると戻るを繰り返す獣は、いつしか
死なずの獣と呼ばれるようになったそうだ。
これは、ある世界の神秘と信仰が完全に暴かれる前の話。