Eno.140 レイ

■ なまえもないようなばしょより、おそめのこーるを

──船だ。


揺れる船の心地。一定のリズムに、時折乱れたような大きな揺れ。具合が悪くなるものがいるのも仕方ない。
波の音はよく聞こえる。穏やかな気持ちになる、この何日間か、何度も聞いた潮騒だ。
天気は快晴。
あれだけ、安定しなかった島の天気が嘘だったかのように晴天模様。
青空は、海に負けじ劣らず、目覚ましいくらいの青を、目に染み込ませた。


あーあ、船に乗ってしまったと、青年はずっと苦笑いしていた。


ぱちり、と目を覚ます。
ああ、また寝てしまって、酷い目覚めだ。
全部思い出したからだろうか?青年は、顔を顰めたまま頭をかく。
ここは現実であるという確認を、なんども自分にいうようにする。ここは現実。夢ではない。
夢のような揺れをしているけれど、まったく持って夢ではない。
序の口。大丈夫。不安は、大きくない。
不安が大きくなって、飲まれる感じはない。
頬をつねって、頭をどうにかはっきりさせる。
どうか、船にいる間だけは、思い立つような、それがきませんようにと。


大丈夫。まだ、みんなの話す声が、聞こえている。

なんの話をしているのか。
そういえば、みんな行き先は決まったのか。
めでたき話もあったようだ。そんな素振りはなかったから、目を丸くするほかなかったが。

乗り掛かった船。乗った船。
あの時、乗ると言ったのだから。
それなら、最後まで見届けたいものだけど。


最後まで漂うのが、自分だけでありますようにと。

ほんのりの願い事をこめながら、あくびをして、目を擦る。
…擦ると、前髪が目の中に入って、ほんのりと痛かった。

くす、とそれだけで笑ってしまったので。

さいごの、穏やかさを、噛んでいた。


◇ ◇ ◇



聖剣の存在。

…持ち物を見たら、急に増えていたそれに、青年は困惑するしかなかった。寝ている間に、入れられたんだろうか。
取り出して、それを眺めてみる。手作り感こそあれど、なかなかよくできているように見えた。
そこそこ、使われている感じがあって。
倉庫でよく見た奴だと、すぐにわかった。

持ち主も、島での会話から把握している。


─あいつだ、と青年は頭を抱えた。
自分をロープで、震えながらもとっ捕まえにきた。

彼だろうな。

…どうしたものかとほとほとに悩む。
これは、彼のものであり。
そして、島のみんなのものでもある。
…みんなのものなら、自分のものになり得るのかもしれないが。

これは、とてもおもい。





…だから、返しにいった。

どうやら、島で使っていた斧の代わりに貸してくれたらしい。
荷物が手一杯であることを伝えると、丁寧にカゴを渡してきた。
カゴまで持ち合わせてたのか、と青年は瞬きをする。
かごがあれば、行先歩く先。便利にはなるだろう。聖剣のナイフも持ったままでいられるだろうが。
…この親切心、どうしたものかと、ほとほと、困る。
変に断ったら、問い詰められてしまうだろうな。事実、島に残ろうとしたところを見られている訳だから。

それ以上、聞かないのが、問い詰めないのが、彼なのかもしれないが。
唐突な自殺志願者にでも見えただろうか。
それとも迷子になってしまって、立ち往生の人か。
どちらにせよ。

心配だから、お守りとして、持っていてほしい、と伝えられる。
余計にありあわせで作られているはずの、手元の刃は重みを増すようで。
…流石に、そんなことを思われても、しかたがないところを見られてしまっているだけある。
心配の二文字を心を向けられるのも仕方がないのだ。

青年は、前髪の下、目を細める。自分は、どういう顔に見えているのだろうな、と思いながら。
言うべき言葉が彷徨ったが。


「預かっていてほしい」と、言葉を選ぶ。

預かる。またがあるような余韻を。
こう言えば、引き下がってくれるだろうかと、淡い期待を持って。

絶対に取りにこいと。変に声に力がこもっていたから、可笑しくなって。
引き下がったのに、へらりとしていた。



下手なことを言って仕舞えば、引き下がらず、釣られるように、引っ張り上げられそうだ。釣られた、魚のよう。大魚、大漁。


いざと言う時に行動する力と、それを声に乗せるような。
メガホンで大声で叫ぶのも。花火を1人で打ち上げて救援要請していたのも。
みんなに向かって、みんなが映った写真をばら撒いていたのも。
…真水を飲んで爆発するのは、どうかなあと思っていたけども。

星が、一際強く明るく輝くように。
…案外、一際声が大きかったような?
なにより、希望を持ち、元気だったように、思われた。

そう言った人。
陰りを持たせるのは、内側に苦いものがあるので。



釣られては困る。
大波は、そこまできている。




夢現。まだ眠たいような、そんな曖昧さの返事。



重いものを持っていくわけにはいかない。
約束は、船に乗るまで。
約束の、重ねがけをするのは、とても。





全く。

もちろん彼だけでなく。


最後まで、船の中は、騒いで、仲睦まじい人たちを見まもり、馬鹿やって。



良い、日々と、みんなだった。



絶海の孤島。身を寄せ、助け合い、笑い合ったその日々を忘れないと。
また会おうと、忘れるな、誓う仲間たち。
忘れるはずもない、と青年も思うのだ。
だってこの日々は何よりもかけがえのないもので。


「出来ないはずのことを遂げられ」た。


眩しくて、目の前に手をかざして。


夢と、希望に満ち溢れた約束に、顔が綻んで。









全く。

俺は、酷い、大嘘つきだ。





◇ ◇ ◇






──!!


───!!


「……」


「…………」


酷い罵声ではなかった。

「………………ああ」



願ったのか、それとも海に愛想つかれて放り出されたのか。

目を覚ますと、見知らぬ土地が目の前に見える。
最後まで船で漂っていたのが、自分かどうかも、定かでなく。
とにかく、船ではなく、土地だった。いつの間に降りたのか、と瞼を擦って、その景色を眺める。

そこは絶海の孤島でもなく。
腕に刻まれたものを見て、人々が怯えるような街でもなく。
夢の中に閉じ込めておく牢屋でもなく。


なんの見覚えもない、縁もゆかりもない場所だ。

見覚えがあるのは、ただただ、船で見ていたような、鮮やかな青空だけ。


何処だ、とほんの少し、困惑の気持ち。まだ寝ぼけているような。
寝ている。寝ていない。頬を強くつねる。多分、多分、現実。

立ち上がる前に、手持ちのものを確認する。カゴはきっちりそこにあり、中身、何一つ、失っておらず。
きちんと手元にあるようで。安堵の息をつく。
…その中から、写真を取り出した。折り目もついておらず、濡れてもいない。
あの島で受け取った時のまま、綺麗なままだ。
光に、透かすようにして眺める。透けはしないのだけれど。

青空に、透かすように。



─ああ。




これは、忘れない。


これは、忘れたくない。

これが、わからなくなるのは、やっぱり、嫌だ。


大切なんだ、大切なんだと。


どれだけ遠く離れていようと。またみんなで馬鹿がやれたら、どれだけ嬉しいことだと。

それができるのではないかと、ほんの少し、良い夢が見れてしまいそうなくらいで。




感情が決壊する。





また、あいたいなあ、と。思わずにいられず。

その夢を見て、もがいて、もがいて、浮上するような生き方もあったはずなのに。

─弱い人だ。

決壊したものを守るように抱え込みながら、襲いくる内側の暗がりに苦しんでいる。
酷く絶望して、酷く希望を持って。
それを持ち逃げする方が、良いと思ってしまったのだ。

ここが、現実であることを、その隙間に、鳴らし続けた。
島での日々は現実だ。
楽しかった日も現実だ。
自分の夢が叶ったのも、現実で。


それらが、押しつぶされそうになるのを、嫌がった。



立ち上がる。

カゴを抱えて、ひとつ、ふたつと歩いてみせる。
そのまま、繰り返し、繰り返し、のらり、くらりと、リズムは崩さず。


その行き先は誰も知らないのだろうし。


青年も、ただ、歩くだけで。相変わらず、方向は定まらない。


そうして、どこかに、姿を消していく。







─ただ。

さようなら、と。

ありがとう、と。

写真に、言葉をかけて。
心底、ふくふくと、柔らかな笑顔を浮かべれば。


本当にやわらなのだろうか。その笑みからは溢れているものがないか?


大切そうに、懐にしまって。
あとは、手放すこともなかったのだろう。




青空と、お日様の白い光が、それを、眩しく、暖かに照らしている。
ほんのりと、塩水の匂いがするような服が、ゆるい風に膨らまされていた。
天候は、安定していて、それもいつかは乾いてしまうのだろう。
あの島のように、厳しい日差し、とは到底言えない。
包むような暖かさの、日向だ。
少し奥に、花が咲いているのが見えて。

あれだけ吹いていた潮風は、もちろん、どこにもない。



─悪くない、ところだ。ここは。


─行く宛のない人間が、行き着くには。










それだけの話だ。

それで、おしまい。






おやすみなさい。

良い夢を。









◇ ◇ ◇


…………のはずだったのに。
そのはずだったのに。




最後の最後で、またあいつだ。


約束を結んでしまった。

なんでまあ、甘っちょろい。
そんなに全部を、全員と、また会いたいなんて、本気で思っていて。



はあ。


青年は立ち上がった。
未だ目的、行き先も見えずにいる。

何処に向かうわけでもない。

相変わらず、景色は酩酊しているような。

くらりくらり、と歪むようで。

恐怖の大波も、確実に寄せてきているが。


ほんの少し、夢の灯火を灯してしまった。
灯されてしまった。無理矢理だ。
なんで力づくだ。もうここでおしまいにしたかったのに。


「………どうすっかな…」

立ち往生。空を見る。

しかして、名もなき場所、そこにも道は続いている。
手元に写真は残っている。写真があるなら、ここは現実だ。

夢を持ったまま、歩いても良い場所。




─快晴だ。