Eno.472 ベル中尉

■ 陸軍中尉遭難記録 其の壱

潮騒、眩しい砂浜と蒼い海原を照らす陽光。海水でずぶ濡れになった彼が最初に見たのは、そんな美しい光景だった。

此処は、何処でありますか…?



痛む体を起こし、マントや服に付着した砂を払い落としながら辺りを見回す。少なくとも彼の知る限り、彼の祖国であるヒノワ帝国にこんな美しい場所はない。今や彼の祖国は戦火に包まれ、行楽を行えるような余裕はあらゆる意味で存在しない。こんな場所があるならば、すぐさま港が建造されて兵が送り出されているであろう。
しばらく辺りを見回していた彼だが、はっと気付いて頭を振る。

…いや、そんな事より!我が戦友は、部下達は、輸送船は、戦況は!どうなっているでありますか!



そう、彼は何も単身泳いで遭難したわけではない。
彼はベル。帝国陸軍中尉の肩書きを持つ軍人である。
本土から離れた戦場での戦況が芳しくなく、其処への援軍として部下や戦友と共に派遣されている最中に敵国の戦略兵器によって輸送船が襲撃を受け、沈没。そのまま意識を失い、今に至る。

護衛船には対潜水竜装備が搭載されていたはず、それを突破してくるとなれば…きっと、無事ではないでしょう…



手持ちの装備を全て広げてみる。懐中電灯、ナイフ、水筒のみ。いずれも軍から支給されたものである。
彼は決して愚かではない。船が沈没した事、生き残りが極めて少ない…ともすれば自分しかいないであろう事、そしてこの装備では単身での帰還は極めて困難な事。それを瞬時に理解した。

しかし…しかし。諦めるわけにはいきません。必ず、生きて帰らねば…!



そう。絶海の世界である事は、彼にとって生還を諦める理由にはならない。帝国軍人として、そして1人の人間として。祖国のためにも、帰りを待つ家族の為にも。
決意のラッパが、彼の中で音高く響き渡る。