Eno.423 ルビー・キスク

無題

 数日前の夜。宿の一室で、女は荷物を見つめながら独り言を呟いていた。

「ちょうど水難避けだけ持ってないんですよね……」



 彼女は旅人だ。
 各地を歩いて回り、時に頼まれ事を引き受けては路銀を得て、また別の土地へと赴く。そういった根無し草の生活をずっと続けていた。

 たまたま新しく引き受けた仕事で海を渡る必要があったわけだが、大陸を歩いていた時期が長かったため備えがなかったのだ。普段担いでいる"棺の形をした大荷物"の中には、ほどほどの河川や沼地に向いた『道具まじゅつ』はあっても、大型の湖や海などに向けたものはほとんどない。

「ま、この身一つでもなんとかなるでしょう。
 今までもそうでしたから」


「念のため、使わない道具類は置いていきましょうか。
 いずれ戻ってくるとわかっていても、失くしてしまうのはいい気分ではないですし」



 必要最低限だけ用意し、他の荷物は棺に戻して寝台の傍に押しやった。そして、棺の蓋を宥めるように優しく撫でた。

「なるべく早く戻りますが……多少遅くなったとしても、機嫌は損ねないでくださいね?」